6日付けのブログで、亀山機関区のC50について触れ、遠方からのC50の写真を載せた。この写真は遠足のバスの中から撮った写真(国一号、亀八食堂の近く)で高校の時だ。
また、地下道の写真も載せたが、ここは貨物ヤードがあったところで、今は太陽光発電の敷地となっている。太陽光発電の作業用道路を残して、地下道はオープンになっているが、昔は全面線路下で、暗い地下道だったのだ。(高さ1.7m)
C50はハチロク(8620)の後継機だが、できた時は昭和4年、既にC51やC53が出来ており、軽量貨客用としての役割だが、改良で軸重が重くなり、ローカル線では難しい面もあったようだ。
当時、亀山には構内入れ替え用に75号と76号の2機がいて、我々は「兄弟」と呼んでいた。朝10時からは点検整備の時間となって、数人がかりで点検、清掃をしていた(みだしの写真 1969年7月)デフ(徐煙板)なしで、スポーク動輪の古風な感じ、また、可愛い姿が気に入っていた。今見ても懐かしい。
今朝は、椿~水沢~和無田の定例50kmコース。絵の会の先生宅へ来週予定の役員会資料を届けることを兼ねてサイクリング。
また、地下道の写真も載せたが、ここは貨物ヤードがあったところで、今は太陽光発電の敷地となっている。太陽光発電の作業用道路を残して、地下道はオープンになっているが、昔は全面線路下で、暗い地下道だったのだ。(高さ1.7m)
C50はハチロク(8620)の後継機だが、できた時は昭和4年、既にC51やC53が出来ており、軽量貨客用としての役割だが、改良で軸重が重くなり、ローカル線では難しい面もあったようだ。
当時、亀山には構内入れ替え用に75号と76号の2機がいて、我々は「兄弟」と呼んでいた。朝10時からは点検整備の時間となって、数人がかりで点検、清掃をしていた(みだしの写真 1969年7月)デフ(徐煙板)なしで、スポーク動輪の古風な感じ、また、可愛い姿が気に入っていた。今見ても懐かしい。
今朝は、椿~水沢~和無田の定例50kmコース。絵の会の先生宅へ来週予定の役員会資料を届けることを兼ねてサイクリング。