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そもそも、この絵(「さざんかの咲く頃」)は横須賀からIターンで多気町にお住まいを構え、松阪市飯南で「あちこち山花」を営んでいるお二人の生き方、お人柄への賛歌のつもりで描いた。
周りのさざんかの花は、昨年、サイクリングで飯南町にあるさざんかの大木を見に行った印象からであるが、「山花」を支える、お客さんや地域の人々をイメージしている。看板に止まるカワセミは店の横を流れる櫛田川の清流をイメージしている。背景の緑色は飯南のお茶、山々の緑である。
「宗教画」であれば、お二人はさしずめヨセフとマリア。周りの花々は天使、横から差し込む光は神(または恩寵)、カワセミは神又は神の使いの化身、というところか。
レンブラントのダナエにおける斜め横からの光はギリシャ神話の神ゼウスが光となって現れたところで(お約束事では光の雨となって現れるのであるが、レンブラントは単に光だけで表現している)、自分の絵も斜め横からの光を差し込んでいる。(実際は櫛田川に面した窓からの光であるが)
そもそも絵画は権力者や神、聖職者などへの賛辞として始まっている(写真がない時代の絵の役割)(風景画はルネッサンスなど後の世になってでてきたジャンルである)。ということで、この絵が宗教画風という指摘はあたっているかナ。
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