そもそも論者の放言

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私的「格差」考(1) 格差社会は何故いけない?

2006-04-20 00:02:36 | Society
ここのところ盛んに語られている「格差社会」。
日経新聞の朝刊一面でも今日から特集が始まった。
個人的にも興味があるテーマだし、最近読んだ本もこれに関係のあるものだった。

自分の頭の整理の意味からも、数回に分けて思うところを綴っていこうと思う。
もちろん拙い知識を基にしており、掘り下げも浅いので、まとまりの無い文章になることが予想されるし、どの程度のペースで書いていけるかもわからないので、その点はあしからず。

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「格差社会」を「良くないもの」というのが一般的な論調であろう。
では何故「良くない」のか?
そこのところって、人によって念頭に置いているイメージがバラバラになっているような気がする。
「格差社会は良くない」「否、必ずしも悪くない」といった類の論争を聞いていても、イマイチ噛み合っていないように感じるのは、その理由によるものではないかと思う。
まずは「格差社会は良くない」という漠然とした主張のバリエーションを整理することから始めたい。

第一は、「そもそも格差があること自体良くないことだ」とする立場。
本来平等なはずの人間が金持ちと貧乏人に分かれることを「否」とし、せいぜいそこそこの金持ち、そこそこの貧乏くらいの差に収めるべきだという考え方である。
端的に言うと「結果平等」を重視する立場である。

第二には、結果的に格差が生じることは已む無しとしながらも、その格差が固定化することを「否」とする立場である。
努力の結果として格差が出ることは仕方ないが、出自によって努力しても報われる目が無いような社会にはすべきでないとする考え方。
「機会平等」を重視する立場といってもいいかもしれない。

第三の立場は上二つとは切り口を異にする。
「弱者に冷たい社会は許せない」とする立場である。
老人、病人、障害者など、社会的弱者への保護を薄くし、福祉切捨てを行なう社会として格差社会を捉えるイメージである。

第四に、「地域格差」を重視する立場である。
都市型政治家である小泉首相が「格差社会の権化」として非難される場合、いわゆる「地方切捨て」が念頭に置かれているケースが多いように感じる。

まだまだバリエーションはあるかもしれないが、ざっと思いつくままに挙げてみた。
それぞれの立場は完全に独立するものではなく重なるところもあるとは思うが、一口に「格差社会」と言っても人によってイメージするものは異なり、そのあたりをきちんと整理してからでないと有益な議論はできないのではないかと思う。

じゃあ、整理した上でどう考えるか。
続きは次回。
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