そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

神学論争

2007-01-21 00:39:36 | Society
教育再生会議、第1次報告最終案を大筋で了承(読売新聞) - goo ニュース

教育再生会議が「ゆとり教育見直し」などを柱とした第1次報告最終案を了承したとのことで、各所で採り上げられている。
学校教育を受けるという経験をしない日本人はほぼゼロだろうから、この問題は「自分の問題」として捉えやすい。
そのこともあり、マスメディアでもネット上でも百家争鳴である。

それにしても教育問題の論議と言うのは、神学論争になりがちだ。
教育再生会議の委員の方々がテレビで語っている内容にしても、それに対するコメンテータ諸氏の異論反論にしても、結局個々人の信条・趣味・経験に基づいており、「自分はこうやったらうまくいった/失敗した→だから、こうすべき」といった筋道を辿るものばかりで、これじゃあいくら時間をかけて議論したところで、論議の深まりようがないんじゃないか、という気がする。
「教育学」という学問がどんなことをやってるのか、ほとんど知らないのだが、もう少し科学的に教育施策の効果を実証するような研究は為されていないのだろうか?

たとえば今や完全に悪玉にされている「ゆとり教育」だって、導入された当時はそれなりの問題把握と目的をもって推進されたはずではないのか。
もちろん、その「目的」がうまく達成されていないからこそ今批判に晒されているわけだが、「ゆとり教育」のどこが良くなくて、逆に全く成果がなかったのかどうか、論理的に説明された論説を読んだり聞いたりしたことがない。
学習内容を削減すれば学力が相対的に低下するのはある意味当たり前のことだ。
そうでありながら、「ゆとり教育」が施策として選択されたのは、多少学力が低下しても仕方がないのでそのエネルギーを他のもっと有意義なこと(それが何なのかは知らないが)に振り分けた方がよい、という意思決定が当時それなりに説得力をもっていたからこそのことではないのか。
「ゆとり教育」は何故失敗したのか?学習内容削減の仕方が悪かったのか?削減して余った時間を振り分ける先がうまく見つけられなかったからなのか?本当に成果はゼロだったのか?
まずはそういうことに対する客観的な分析をすべきなんじゃないんだろうか。
このままじゃ単なる「揺り戻し」を永遠に続けるだけになってしまうのではないか、と思う。
コメント
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