![]() | 1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74) (朝日新書 74)竹森 俊平朝日新聞社このアイテムの詳細を見る |
1997年といえば、タイで勃発した通貨危機がインドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国に拡大して国際経済に大きな打撃を与え、一方日本においては拓銀・山一證券の倒産が発生、翌年の長銀・日債銀破綻へと繋がる金融不況が巻き起こりました。
1997年の夏から秋にかけて、アジアで、日本でいったい何が起こったのか、その危機に対してIMFや、アメリカや日本の当局はどのように対処しようとしたのか、そのプロセスが詳細に検証されます。
さらにその危機がどのように乗り越えられ、そこから学ばれた教訓は(2001年の米同時テロ時など)その後発生した危機の対処にどう生かされたのか、そして昨年勃発したサブプライムローン・ショックにどのように生かされようとしているのか、考察が加えられます。
その考察に使われている概念が「ナイトの不確実性」です。
20世紀初頭の経済学者フランク・ナイトが提唱したこの概念を説明した部分を引用。
不確実性には二つのタイプがあり、二つのタイプのうち第一のタイプは、それが起こる可能性についての「確率分布」を思い描けるものだ。ナイトはこれを「リスク」と呼ぶ。他方で第二のタイプは、それが起こる「確率分布」を思い描けないものである。ナイトはこれを「真の不確実性」もしくは「不確実性」という。
「サイコロの目」、「自動車事故」は、確率分布を想定できる事象である。そのようなタイプの不確実性が「リスク」である。不確実性が「リスク」であるためには、「確率分布」について理論的な推測が可能か、類似した現象が過去に数多く発生しており、データからの統計的推測が可能でなければならない。
このような「不確実性」に直面したとき人は「合理的な判断」を行うことができず、過剰な「強気」または「弱気」に基づく予想しえない事態が発生します。
1997年の危機はまさにこの「不確実性」に襲われたものであった、と。
過剰な「弱気」がさらに「弱気」を呼び、流動性を確保しようとする「質への逃避」が嵐のように巻き起こった。
今現在世界に暗雲をもたらしているサブプライム問題もまったく同じ構造に陥ろうとしているわけです。
1997年といえば、自分は会社に入って3年目で、システム開発の現場で目先の仕事を片づけるのに手一杯の状況でした。
アジア通貨危機も国内金融機関の大型破綻も他人事のように眺めながらいったい何が起きているのか深く理解もしていなかったので、今回それら危機の実態がどのようなものであったのか、構造的に理解することができただけでもたいへん興味深かったです。
それにしても気になるのは、本書でも指摘されているように、そういった国際経済における危機の構造と根本的に異なり、日本における危機、「不確実性」は常に政治の問題であるということです。
経済をまったく理解していない政治家と官僚が、自分たちの組織の安泰のために自己の論理を押し通すことのみを行動規範にしているがゆえにもたらされる危機。
あまりに愚かしく思えますが、そうした政治と行政も結局は我々国民一人ひとりを写し出す鏡のようなものなんだろうか…とも思えてきます。