今週号の週刊ダイヤモンドの特集「解雇解禁」について、山崎元氏がダイヤモンド・オンラインのコラムで採り上げています。
論旨全般について同感ですが、直接の主旨からは外れるものの、<論点1>の部分で法律家が陥りがちな陥穽について触れている部分が個人的には興味深かったです。
書かれている通り、法律家という人種は、何が公正か何が正義かという点への関心に集中するあまり、その公正さをどのように実現するかという実践的な論点に無頓着、というか、何が公正であるかを明らかにすればそれだけでその公正さが実現されるかのように考える傾向があるように感じます。
自分は大学時代法学部に所属していましたが、法律学にどうもしっくりこないものを感じていたこともあり、「法と経済学(Law and Economics)」のゼミに参加しました。
法律学の判断基準が公正さ、正義であるとすれば、経済学の判断基準は資源配分の効率性である。
公正・正義が主観的・定性的な概念であるのに対して、効率性は客観的で定量的に測ることができる。
公正な世の中とは、実は資源配分が最適に効率化された社会のことではないか、即ち公正・正義イコール効率性と考えることが出来ないか、との仮説を検証する学問が「法と経済学」である、と自分なりに理解しました。
法律学に欠けている(と自分には思えた)実践性と客観性を備えた経済学に魅せられたことが、その後自分が経済学好きになったきっかけでありました。
論旨全般について同感ですが、直接の主旨からは外れるものの、<論点1>の部分で法律家が陥りがちな陥穽について触れている部分が個人的には興味深かったです。
書かれている通り、法律家という人種は、何が公正か何が正義かという点への関心に集中するあまり、その公正さをどのように実現するかという実践的な論点に無頓着、というか、何が公正であるかを明らかにすればそれだけでその公正さが実現されるかのように考える傾向があるように感じます。
自分は大学時代法学部に所属していましたが、法律学にどうもしっくりこないものを感じていたこともあり、「法と経済学(Law and Economics)」のゼミに参加しました。
法律学の判断基準が公正さ、正義であるとすれば、経済学の判断基準は資源配分の効率性である。
公正・正義が主観的・定性的な概念であるのに対して、効率性は客観的で定量的に測ることができる。
公正な世の中とは、実は資源配分が最適に効率化された社会のことではないか、即ち公正・正義イコール効率性と考えることが出来ないか、との仮説を検証する学問が「法と経済学」である、と自分なりに理解しました。
法律学に欠けている(と自分には思えた)実践性と客観性を備えた経済学に魅せられたことが、その後自分が経済学好きになったきっかけでありました。