グローバル化の進展する現在の国際関係を「感情」という切り口で読み解こうとする論稿。
ここで世界は3つの感情に大きく色分けされます。
「希望」の世界…中国、インドなどのアジア新興国
「屈辱」の世界…アラブ/イスラム世界
「恐れ」の世界…ヨーロッパと米国
この色分け自体は、極めて理解がしやすいものです。
それゆえに、あまり新たな知見を得られたという感じはしなかったのですが…
むしろ秀逸だなと思ったのは、何ゆえ感情が国際社会の重要ファクターとなってきたのか、についての考察。
以下、終章より引用します。
無知と不寛容は表裏一体だ。平和と和解は、互いのことを理解し、受け入れる人たちの間にしかあり得ない。情報化時代とはいうが、われわれは他者のことを昔よりよく知っているわけではない。むしろその逆だ。われわれは世界のありようを明らかにするというよりは、むしろ曇らせるイメージやデータに押し潰されそうになっている。世界は今後ますます複雑さを増し、文化、国家、個人はますます自らのアイデンティティに執着するだろう。この執着のせいで、国際政治における感情の重要性は高まる一方だ。
だがわれわれの暮らす、この相互依存的で一体化した世界を把握し理解するのは至難の業だ。それは量の問題であるとともに、質の問題でもある。人類はかつてこれほど数が多く、これほど多様だったことはない。生活様式、価値観、境遇において。これほど変化に富んでいたことはないのだ。このような複雑さを、初めからないものと考えることで免れたくなる気持ちになるのも無理はない。原理主義的宗教や過激なイデオロギーの魅力は、ここにある。この複雑な世界を、単純なスローガンやキャッチフレーズ、絶対的な命令に還元してしまうのだから。
著者は、アウシュビッツを生き抜いた父親の子供として生まれたフランス人国際政治学者で、ハーヴァード大学に学び、現在も同大学の政治学部客員教授という立場にある人物。
その経歴もあり、ヨーロッパ人の感情にかかわる記述には、日本人である自分にはなかなか計り知れないところがあり、なかなか興味深かった。
例えばトルコに対する感情。
トルコはEUへの正式加盟を目指しているが、ヨーロッパ市民の大多数はそれに対してはっきりと反対の立場をとっているという。
その反対姿勢は、理性だけで理解できるものではない。
中東とヨーロッパの架け橋たりうるトルコをむざむざとアジア・イスラム・中東へと押しやることは戦略的には正しくない態度とも言える。
が、ヨーロッパ市民にとって、絶対的他者であるイスラム教徒に対する恐れは絶大で、「トルコを入れる」ことは、多くの意味で直観に反する、強い意志と政治的知見の行為であると認めざるを得ない、と言います。
また、イラク戦争以降その威信を凋落させたアメリカに対するヨーロッパの複雑な感情についても興味深く言い当てています。
冷戦終結後のプロセスの中で、「共通の敵」を失い分裂していくアメリカとヨーロッパ。
アメリカはますますヨーロッパを見下すようになり、ヨーロッパは以前ほどアメリカを必要としていないことに気付いた。
そして、ヨーロッパは、アメリカが弱体化し、世界におけるアメリカのイメージが凋落していることを明らかに喜んでいる。
しかし、その姿勢は意味をなさない。
ヨーロッパには、国際社会で大きな役割を担い、その大きな負担を分担する覚悟はないからだ、と説かれています。
一方で、アジアに関する記述は通り一遍な印象でした。
特に東アジアについてはあまり深い知見を持ち合わせていないような。
日本については、「希望」に支配されたアジアの「例外」として取り上げられているのですが、そのこと自体はその通りだとしても、いまいちピントが外れているように思いました。
朝鮮半島についてもほとんど関心が無いようです。