そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「ブギウギ」 坂東眞砂子

2010-10-07 23:38:54 | Books
太平洋戦争終戦前後を舞台に、箱根の旅館に収容されたドイツ軍Uボート艦長の不審死を巡るミステリ活劇小説。

この時期の日本にドイツ兵が存在していた(しかもドイツ降伏後なので、既に同盟国ではなくなっており、「捕虜」の立場)という設定が新鮮。
冷静に考えれば、史実としてそのようなドイツ兵がいたとしても不思議ではないが、「鬼畜米英」とは異なる西洋人だが観方とも言い難い、という微妙な立場と、箱根・芦ノ湖畔の閑静な旅館町という組み合わせが実に妙味。

戦後の東京の描写も佳い。
綿密なリサーチに裏打ちされているに違いないディテールで生き生きと紙面から立ち上がってくる、焼け野原と闇市とGHQに象られた、敗戦直後の東京。

登場人物のキャラクタリゼーションも秀逸。
特に、エネルギッシュで純粋でありながら、強かさも備え持つヒロイン・リツが、ぐいぐいと物語をドライヴしていく。

ミステリとしては今一歩鮮やかさに欠ける気もするけど、そういうことがあんまり気にならない自分のような読者には十分。
一気に読ませる力のある小説です。

ブギウギ
坂東 眞砂子
角川書店(角川グループパブリッシング)
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小沢氏「強制起訴」雑感

2010-10-07 00:14:30 | Politcs
・村木さん無罪判決と大阪地検特捜部FD改ざん疑惑
・尖閣問題、地検判断による中国船長の釈放
・小沢一郎氏、検察審査会による強制起訴

と、ここのところ立て続けに「検察」をキーワードにした問題が世間を騒がせています。

小沢氏の強制起訴について、山崎元氏がダイヤモンド・オンラインにコラムを書いています。

検察審査会の小沢一郎氏“強制起訴”議決の意味(山崎元のマルチスコープ)

これを読んで思ったところを以下簡単に書いてみます。

・個人的に検察審査会という制度の存在意義が理解できていなかったが、山崎氏の「現行の制度では、どんなに嫌疑が濃厚な容疑者でも検察が起訴を見送れば処罰されない。検察は過剰な裁量権を持っている。正義の公平性の観点から、何らかの歯止めが必要であり、実施方法等に要改善点があるかも知れないが、検察審査会はこの役割を果たすものだ。」という主張は腹に落ちた。

・「『起訴が直ちに有罪を意味するのではない』という当たり前の原則をメディアは再確認すべき」という点については全くの同感。ちなみにこの推定無罪の原則は(前にも書いたが)逮捕された大阪地検の検事たちや押尾学被告らにも適用されるべき話で、(いくら気に食わない奴らであっても)現段階で彼らを罪人扱いしてはならない、というのが原則である。

・推定無罪の原則からすると、強制起訴されたから直ちに離党せよ辞職せよ責任を取れ、というのは論理的には正しくない。この点でメディアの論調が混乱しているということについても同意。ただしあえてメディア側を弁護するなら、(山崎氏も指摘するように)小沢氏はこれまで「検察が不起訴と判断したんだからシロだ」というロジックを使ってきたのに対して、今回検察審査会という「市民感覚」が「納得していない」と判断したのだから、これを契機に政治的・道義的責任が確定(あるいは強化)される、という論理も通らなくはない気もする。

・要は、メディアも小沢氏も、加えて「世間」も、整理された論拠よりも情緒で動いてしまっているから混乱が拡大して収拾がつかなくなっている、という感あり。
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「経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか」 野口悠紀雄

2010-10-01 23:29:58 | Books
2007年からの経済危機・金融危機に至る世界経済変遷の基点を1970年代に置き、世界経済全体の流れを俯瞰的に捉えながら日本経済が抱えている問題の本質を論じた一冊。
通俗的なものの見方を覆す視点が刺激的な良著です。

備忘も兼ねて、本著で論じられている流れの要点を以下記しておきます。

70年代に起こったニクソン・ショックと石油ショックにより、現在の世界経済の仕組みを形作られた。
第二次大戦後、ゼロからのスタートとなった敗戦国、日本と西ドイツが驚異的な経済成長を実現し、アメリカ、イギリスという戦勝国の経済的地位が相対的に低下したことにより固定相場制を維持することが不可能になる。
そして、石油ショックの本質は「ドルの価値が、実物財である原油や金に比べて低下した過程」であり、ニクソン・ショックが必然的にもたらした帰結であった。
また、アメリカやイギリスが、石油ショック後の激しいスタグフレーションに苦しんだのに比べて、日本と西ドイツが石油ショックに比較的適切に対応できた要因は、変動相場制により円やマルクが増価したために原油価格上昇の影響が緩和されたことにある。
後発工業国である日本と西ドイツは、後発であるがゆえに、戦後、製造業の生産性を急上昇させることができた。
それ以前から生じていた生産性格差を反映するように為替レートが変化したのが、ニクソン・ショックと石油ショックの本質であった。

そして80年代。
経済の低迷に苦しんでいた英米両国に、サッチャーとレーガンという強力なリーダーが出現する。
サッチャーとレーガンによる新自由主義的な改革が、イギリス、アメリカ両国の経済の効率性を向上させる基盤を形作る。
この時期、日本の製造業は世界市場を席巻し、アメリカやイギリスの製造業が衰退したと考えるのが一般的だが、アメリカやイギリスで起こっていたのは経済構造の転換であった。
また、冷戦が続いていたことにより中国をはじめとする社会主義国が世界経済にまだ組み込まれていなかったことが、日本の製造業が強く見えていた大きな要因であった。

90年代に世界経済は大きく変わる。
その基盤となったのは、80年代のサッチャー、レーガンによる変革であり、ITと金融工学という技術の発展であった。
脱工業化に成功したアメリカとイギリスは繁栄し、アイルランドのようなヨーロッパの小国もITと金融により急成長する。
バブル崩壊後の不良債権処理で手一杯だった日本は、その流れに完全に乗り遅れ、この時期に世界で起こっていた潮流の変化を理解できていなかった。
ドイツ、フランス、イタリアといった脱工業化に乗り遅れたヨーロッパの大陸諸国も流れに乗れなかった。

2000年代後半、アメリカとイギリスで大繁栄した金融バブルは崩壊する。
これを日本では「強欲資本主義の終焉」「やはり地に足がついたモノづくりこそが強い」と捉える向きが多いが、それは事態を見誤っている。
金融危機による経済の落ち込みが大きかったのは、危機の震源であるアメリカやイギリスよりも、むしろ日本やドイツだった。
ショックにより世界的に消費の落ち込みが発生すると、財の輸出で食っている日本やドイツは経済の落ち込みが大きい一方、脱工業化しているアメリカやイギリスは輸入が大きく減るものの国内経済への影響が比較的小さくて済む。
また、価格競争力の面で、日本やドイツの製造業は新興国にもはや叶わない。
望ましい国際分業の姿を探る必要がある。

70年代から現在にかけて、変わらないものと変わったものがある。
ヒトとモノは変わらず、カネと情報が変わった。

今、日本に必要なことは「変革」。
第一に、古いものの生き残りや現状維持に支援を与えないこと。
第二に、21世紀型のグローバリゼーションに対応すること。
第三に、専門分野での高等教育に力を入れること。

…ポイントをまとめると以上のようになります。

著者はエール大学に留学し、スタンフォードで教鞭をとった経験もある国際派だけに、日本から天動説的に世界経済を眺めるのとは違った視点が興味深い。
個人的には、変動相場制移行や石油ショックの本質を論じたあたりが新鮮で、目を開かれた思いがします。
日本は脱工業化社会を目指すべき、というか他に方法がない、という点には同感だけど、じゃあ具体的にどんな産業を伸ばしていくべきなのかというのはなかなか難しい。
英米の真似して金融だITだというのもちょっとしっくりこない気がするし。
何よりもっと「国を開く」ことに力を入れるべきでしょうな。
「国を開く」とは、積極的に移民を受け入れるとかそういうことではなくて、海外の英知と資本、カネと情報を取り入れることに貪欲にならなければいけない、ということだと思います。
「おわりに」で、著者は「日本人は謙虚さを失ってしまった」と嘆いていますが、確かに。
やはり、まずは高度成長の成功体験を脱却することが肝要なのでしょう。

経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか
野口 悠紀雄
東洋経済新報社
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