「三栖(みす)王子」を後にして、私たちは約2㎞先にある「八上(やがみ)王子」を目指して小高い丘を下りました。
丘を横切っている道路は通行止めになっていましたが、これは、今年和歌山を襲った豪雨によって地滑りが起こり、道路に段差ができたもので、未だに補修工事ができていないことによるものです。
・道路の中央分離線の先が地滑りで段差が生じており、全面通行止めとなっていました。
通行止めとなっている為、う回路の案内がありましたが、私たちは標識を読み違え、道路を横切って整備されていない山道を進みました。
読み違えたまま山道を行くと梅林沿いの道路に出て、更に進むと案内にあった道路に出てきました。
道に迷いながらも目的地の八上王子に到着しましたが、案内に記載されている距離、約2㎞の倍ほど歩いたように思います。
「八上神社(八上王子跡)」
八上神社は、古くは八上王子と呼ばれる熊野九十九王子のひとつで、天仁2年(1109)に熊野を詣でた藤原宗忠(むねただ)の日記『中右記(ちゅうゆう)』には「田辺の王子に奉幣後、萩生山口で昼食をとり、山を越えて新王子社に奉幣した」と記されており、この新王子社が八上王子で、天仁2年(1109)ころに設けられた王子であると伝えられています。
八上王子は西行法師(1118~1190)が歌を詠んだことでも知られ、西行の生涯を描いた『西行物語絵巻』にも、西行が八上王子の社殿の瑞垣に歌を書き付ける場面が描かれているそうです。
境内には、西行法師の歌の石碑が建てられています
八上神社の本殿です。
「待ち来つる八上の桜咲きにけり あらくおろすな みすの山風」 (西行法師)
(意訳):八上王子の辺りの桜の花に出会えるのを期待して来たが、ちょうど咲いていてくれていたよ。三栖山の風よ、強く吹いて花を散らさないでおくれ。
現在の八上神社には西行が詠った桜は残っていませんが、境内には西行のこの歌の碑が2基建てられています。
・境内にに建てられている西行法師の歌の石碑です。