今回の歴史探訪“熊野古道を歩く”は、集合場所であるJR紀勢線紀伊田辺駅をスタートし、最初の王子である秋津王子から稲葉根王子までの約15㎞のコースを歩いてきました。
今日はこのシリーズの最終回として、昨日ご紹介した「大賀ハス田」の隣りに鎮座している田中神社と「稲葉根王子」をご紹介します。
「田中神社」
田中神社は、熊野古道中辺路(なかへち)の八上(やがみ)王子(現八上神社)と稲葉根王子(いなばねおうじ)の中程に鎮座しています。
この辺りは田畑が広がっている地区であり、正に、名前通り、田の中にある神社です。
田中神社は、昔、ここから6kmほど上流にある岡川八幡神社の上手の倉山という山から、大雨のときに森全体ごと流れ着いたとの伝説があるそうです。
社叢(しゃそう:神社の森)は全体を藤で覆われており、この藤は、南方熊楠(みなかたくまぐす)の命名により「オカフジ」と呼ばれてます。
・鳥居に巻きついている木もフジです。
「稲葉根王子」
稲葉根王子は、熊野九十九王子の中でも社格の高い准五体王子で、天仁2年(1109年)の「中右記」にもその名が見え、社歴も古く、格別に崇敬されていました。
この王子の神は熊野本地曼陀羅に稲を背負う翁の姿で描かれ、別名稲荷王子と呼ばれ、稲荷信仰に深い関係を持っているそうです。
江戸時代は一村の産土神(うぶすながみ)として尊崇を受けていましたが、大正15年(1916年)に今の岩田神社へ合祀され、 現在は旧地に分霊を遷し、稲葉根王子として再興しています。
境内にはかつて、高さ50m、幹周り15mの大きなクスノキがあって、その根元には洞があり、そのなかで寝泊まりする者もいたといいます。
今ではこの楠の木はありませんが、ここから熊野三山を詣でて、またここへ戻って来るまで7日間かかったので、「七日詣りの楠」と呼ばれたそうです。
稲葉根王子社のすぐそばを流れる富田川(岩田川)は昔の旅人が聖水と崇めた川であり、聖水で身を清める「水垢離」が盛んに行われたそうです。
旅人は、この王子で馬を捨て、川で水垢離を取りつつ対岸の一ノ瀬王子へ渡ったといわれています。
その富田川が今年南紀地方を襲った豪雨のため、土砂で川底が高くなったことから復旧作業の最中であり、昔の水垢離の面影は全く見られませんでした。
・復旧作業が行われている富田川です。