熱戦が繰り広げられているロンドンオリンピックも10日目を迎えました。
昨日はメダルが期待されていた女子マラソンが行われましたが、日本の3選手は木崎の16位が最高で、尾崎は19位、重友に至っては79位と実力を発揮できず、惨敗に終わりました。
このマラソンの距離である「42.195㎞」の由来となったのが第4回ロンドンオリンピック大会であることをご存知でしょうか?
今日はこの「42.195㎞」の由来についてご紹介します。
先ず、マラソンの呼称は、ギリシャの地名「マラトン(Marathon)」を英語読みにしたものです。
そしてマラソンの由来は、起源前490年ギリシャ軍の兵士が戦場のマラトンからアテネまでの約40㎞を走り、勝利を報告した後に絶命したと言う故事に基ずいています。
このことについては多くの方がご存知だと思います。
この事が由来となり、ギリシャで行われた第1回アテネオリンピック大会では、マラソンで走る距離が古戦場からアテネの競技場までの36.750㎞でした。
その後、第2回から7回までは40㎞前後とまちまちでしたが、1908年に行われた第4回ロンドン大会の距離(26マイル385ヤード)を1921年に正式距離とすることを決定し、1924年の第8回パリ大会から正式に採用されました。
この距離となったのは、イギリスの女王の要望からと云われています。
即ち、1908年のロンドンオリンピック大会のマラソンの距離は、当初、ウィンザー宮殿からシェファードブッシュ競技場までの26マイルの予定でしたが、イギリスの女王アレキサンドラが、「どうしてもスタートを見たい」ということでスタート地点を宮殿の前の庭に、そしてゴール地点を競技場のロイヤルボックス前に設定しました。
この為、距離が385ヤード長い26マイル385ヤードとなり、この距離のメートル表示が42.195㎞になるものです。
なお、この大会で最初に競技場に到達したイタリアの選手ドランドはゴール地点を勘違いして直前(彼がゴールと思った場所)で倒れ、役員の助力でゴールしたため、のちに失格となってしまったと云われています。
このアクシデントは「ドラントの悲劇」と呼ばれています。
42.195㎞と云う端数が付いているマラソンの距離、その由来は女王の我儘からだったようです。
流石、イギリスの女王です。影響力がありますね。