らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

口は虎、舌は剣

2012-08-21 | 雑学

「口は虎、舌は剣(つるぎ)」や「舌は槍よりもひどく人を傷つける」など、ものは言い方次第で、人を傷つけたり自分の身を滅ぼしたりすることになるから注意せよという戒めの諺があります。
物騒な表現ですが、「人を殺すのに刃物は要らない」と言われるように、何気ない言葉が相手の生命を脅かすような場合もあるようです。

内視鏡と心療内科が専門の某医師が500人の患者に傷ついた言葉としてアンケートを行ったところ、「大したことない」「気の持ちよう」「年のせいだからしかたないね」など、何気なく言われた言葉に傷ついたという回答があげられたそうです。
これは、真剣に悩んでいる自分の気持ちを軽く扱われて傷ついたということのようですが、その医師によれば、「自分をおとしめるようなことばが入ってくると、人はストレスを感じ、胃潰瘍や胃炎になったり、下痢や便秘を繰り返すといった“過敏性腸症候群”を引き起こし、潰瘍性大腸炎になる人もいる」と話しています。

例えば、「しっかりしてよ」「結婚はまだ?」などと何度も繰り返し言われることがストレスになることもあり、実際に、こうしたことばが原因で病気になる人も少なくないそうです。
正に「舌は槍よりもひどく人を傷つける」です。

普段何気なく使っている言葉。
もしかすると、話し相手の人に槍やナイフを突き刺しているかも知れませんね。
十分気をつけたいものです。



秋ナス栽培

2012-08-20 | 家庭菜園

「秋茄子(あきなすび)嫁に食わすな」という諺があります。
意味は御存じのように、“秋のナスは味がよく、勿体無いから嫁なんかに食べさせるな”と言う意味から、姑(しゅうと)の嫁いびりとする説と、秋のナスで体を冷やすといけないから、或いは種が少ないので子種が少なくなるから嫁に食べさせてはいけないと、嫁をいたわった意味の2説がありますが、諺の意味は兎も角、秋ナスは家庭菜園でも簡単に栽培できるので、今日はその方法をご紹介します。

秋ナスは、春に植えた茄子の収穫が一段落した頃に、切り戻し剪定をすることによって栽培できます。
「切り戻し剪定の時期」
真夏になるとナスの株が弱ってくるので、ナスの実が割れたり固い実となって収穫が一段落します。
ナスの切り戻し剪定はこの頃に行います。

・夏になると、ナスの実が裂果したり虫に食害されたりして固い果実となり、食用に適しません。
 写真のナスも実が硬く、食べても美味しくありません。


「切り戻し剪定の方法」
切り戻し剪定の方法は、古い茎に葉を2、3枚と、新しい芽を3~4個残すように、芽の上から切り落とします。



・今年栽培している茄子の畝です。10本の茎を全て剪定したところです。


その後、株の周囲に移植ごてを入れて古い根を切り落とします。
そうすることで新しい根が出てきて再度大きく成長します。



虫に食べられている古い葉を取り除き、新しい葉を害虫から守るための薬剤散布を行い、同時に施肥をして新芽の伸長を促します。
剪定から1カ月ほどすると1番花が咲き、10月中旬まで美味しい秋ナスの収穫を楽しむことができます。


トマトの秋植え栽培

2012-08-19 | 家庭菜園

今日は初めて挑戦するトマトの秋植え栽培についてご紹介します。

家庭菜園におけるトマトの栽培期間は、通常、春先の定植から夏頃の収獲までになります。
菜園仲間は勿論、懇意にしている専業農家でも、この時期にトマトを植えているところはなく、夏に植えて秋に収穫ができるのかどうか、所謂、トマトの二期作は可能なのかを実験したいと思い、先日植え付けをしたところです。

この時期、トマトの苗木は販売されていないので、秋植え栽培は苗木の育苗から始めることになります。
その方法は、栽培していたトマトの脇芽を挿し木して根出しさせます。
根出し率は50%程度と低いですが、それでも8本の苗木ができました。

・これが挿し木で作ったトマトの苗木です。


植え付ける畝はカラカラに乾いて水気が全くないため、水を撒いて柔らかくし、更に植え付ける場所に穴を掘り、水を流し込んで植え付けました。
植え付け後、更に水遣りをし、乾燥防止のため稲わらを敷きました。



根が張るまでの間、直射日光から苗を守るため寒冷紗を覆っておきます。場合によっては気温が30度を下回るまで寒冷紗が必要かもしれません。



この後、朝夕の水遣りをして生長を見守ります。
うまく育ってくれればいいのですが・・・。
実験結果が楽しみです。


カシワ(鶏肉)の由来

2012-08-18 | 雑学

先日、二十数年前に同じ職場だった元同僚7人と久しぶりに堺で酒を酌み交わしました。
その席には女性2名も参加していましたが、酒の当てに鶏の空揚げが出てきた時、突然、その内の1名から「大阪では鶏の事をカシワと言い、鶏肉の空揚げをカシワのから揚げと云うのはなぜか?」と云う質問がありました。
そこで今日はその由来を調べてみました。

鶏肉を「かしわ」と云う言い方は肉食禁止令による隠語として生まれた言葉です。
即ち、仏教の国教化で天武天皇の三年(675)に肉食禁止令(牛馬鶏犬猿猴)が出て、肉食は禁止されましたが、肉を草木に例えた隠語が生まれ、植物と偽って食べ続けたことから生まれたものです。

鶏肉以外にも下記の肉に植物の隠語が当てられています。
本来の肉名   隠語         理由
・鶏肉      柏=かしわ   (地鶏の羽の色が柏の葉の紅色に似ている)
・猪肉      牡丹=ぼたん (肉の色が牡丹の花の色に似ている)
・馬肉      桜=さくら    (肉の色が桜の花の色に似ている)
・鹿肉      紅葉=もみじ  (肉の色がモミジの紅葉の色に似ている)

・鶏肉(カシワ)のから揚げです。(ネットより)


なお、肉食禁止令が解除されたのは約1200年後の明治5年(1872年)であり、牛や豚はその時以降に食べるようになったので隠語はありません。
カシワは、厳密には鶏肉全般ではなく、昔から日本で飼われている茶や黒い羽の鶏の肉です。しかし、最近では、ブロイラー種なども含めて鶏肉全般をかしわということが多くなっているようです。

現在、「かしわ」という言葉を使うのは、愛知県・富山県、近畿地方一帯と愛媛県の一部・福岡県・鹿児島県など西日本に集中しており、東日本では秋田県だけだそうです。
何故、西日本中心なのか?
実は、江戸時代の文献にも『江戸は軍鶏(しゃも)』とあり、どうやら関東では黄鶏より軍鶏(しゃも)が好まれていたこと。
また、名古屋あたりではトリ肉を食べるという言い方は品がないとされ、トリ肉とストレートには言わず、木の葉の色にたとえた「かしわ」が好まれたのではないかと言われています。


「お化け屋敷」の由来

2012-08-17 | 雑学

今月7日に立秋を迎え、暦の上では秋になりましたが、実際の季節は今が夏真っ盛り。
昨日の大阪の気温は35度近くまで上昇する猛暑となりましたが、この暑さの中、各地の納涼イベント会場では「お化け屋敷」が人気を博しているようです。
そこで今日は「お化け屋敷」の由来について調べました。

「由来」
興行としてお化け屋敷が始まったのは、天災や飢饉など社会不安が頻発した天保元年(1830)だそうです。
東大森に住んでいた瓢仙という医者が、自宅の庭に小屋をつくって、壁から天井まで一面に百鬼夜行の様を極彩色に描き、それに一ツ目小僧などの化け物細工の人形を飾り付けたのが始まりで、これが評判となって、「大森の化け物茶屋」といわれ、江戸からも多くの見物人が集まったそうです。
しかし、悪趣味に過ぎるとの理由で代官にとがめられ、3カ月ほどで撤去されてしまったと言われています。

その後、天保9年(1839)、両国回向院で井ノ頭弁財天の開帳時、境内の見世物の中に、泉 目吉の人形細工「変死人形競(へんしにんくらべ)」があって、土左衛門や獄門のさらし首をはじめ、髪の毛で木の枝に吊るした女性の生首などがリアルに再現されました。
他にも棺桶に入った亡霊がその破れ目から首を出したところに月の光が射したり、木に縛りつけられた裸男のノドに短刀が突き通され両眼をむき出したさま等が人気を呼んだようですが、これが現在のお化け屋敷の原形と云われています。

「歴史」
明治時代の博覧会ではお化け屋敷は余り登場しなかったようですが、大正時代に入り、お化け屋敷を特設することが流行しました。
大正3年、大阪・千日前の楽天地で「納涼博覧会」が開かれ、この時もお化け屋敷の興行が併催され人気を呼んだそうです。
お化け屋敷は後に「お化け大会」ともいわれるようになって、納涼イベントとして定着し、百貨店の催しとしても開かれるようになりました。

戦後のお化け屋敷は、百貨店や遊園地の催事として登場しますが、戦前のリアルな表現は少しずつ姿を消しました。
現在では 映像や音響、からくり、役者などを駆使し、利用者に対し幽霊や怪物に対する恐怖を疑似体験させ、楽しませる事を目的とする施設が多いようです。


「ホオズキ」とお盆

2012-08-16 | 

12日から昨日まで盆休みさせていただきました。今日からブログを再開しましたので、引き続き宜しくお願いします。

昔からお盆にはホオズキの花が欠かせないと言われています。
そのホオズキを7月9日のブログで取り上げた時はまだ花後の青い状態でしたが、今日はそれから1カ月余り経過して、お盆に合わすかのように赤く色づいてきました。

7月9日のホオズキがです。

                  
さて、月遅れのお盆は、8月13日の「迎え盆」から16日の「送り盆」までの4日間を言い、この期間に生前過ごした家に帰ってくるとされる祖霊や近親者の霊を迎えて供養するものですが、昔の人はこのホオズキの赤い玉を提灯や霊魂に見立てたりしていたため、お盆には欠かせない花の一つと言われています。

・がくに包まれたホオズキの果実を枝付きで精霊棚(盆棚)に飾り、死者の霊を導く提灯に見立てるそうです。


なお、月遅れのお盆の由来は、日本では7月か8月のいずれかに「お盆」を行うことが多かったのですが、明治初期当時、「お盆」が7月15日では、国民の職業の8割を占めていた農家の人達にとって、もっとも忙しい農繁期と重なり都合が悪いために「お盆」をひと月遅らせ、ゆっくりとご先祖様の供養ができるようにと8月に変更したようです。

 


「庖丁」の由来

2012-08-11 | 雑学

「月の法善寺横丁」と云う歌をご存知でしょうか?
1960年(昭和35年)に藤島 桓夫(ふじしま たけお)が歌って大ヒットした曲です。

〽 庖丁一本 さらしに巻いて
  旅へ出るのも 板場の修業
  待っててこいさん 哀しいだろうが
  ああ若い二人の 想い出にじむ法善寺
  月も未練な十三夜

この歌にある 庖丁は板前さんや料理に関わる人には必要不可欠な道具ですが、今日はその庖丁の由来について調べました。

今では包丁と言えば料理の時に使用する薄刃(うすば)の刃物を言いますが、元々は台所で料理をする人の事を言っていました。
包丁の「包」という漢字は代字で、本来は『庖丁』と書きます。
『庖』の「广(まだれ)」は家の屋根を表しており、「包」は外からまるくおおうという意味なので、『庖』は【食べ物を包んで保管する場所=台所】をいう言葉だそうです。

一方、『丁』は“よほろ”という意味で【青年男子、働き盛りの男子】を表しており、もともと【料理をする人、料理人】のことを言います。
この包丁と云う言葉は中国から伝わったもので、紀元前に書かれた「荘子」には“庖丁”という料理の名人が登場したということです。

平安時代、米を主食に魚が中心に食べられていたことから、料理法は簡単でした。このため「庖丁(料理人)」にとって、魚をどう切るか、どうさばくかが腕の見せどころだったそうです。
宮中の宴会では、客の目の前で魚をさばいて披露したり、貴族が自ら魚をさばいてみせたこともあったと言われており、そのため『庖丁』は料理人のことだけでなく、切り方など料理の方法や作法のこと、また料理の腕前なども言うようになったそうです。

このように『庖丁』にはさまざまな意味が含まれるので、料理人は「庖丁師」「庖丁人」などとも言われ、料理のときに使う(小)刀を「庖丁刀」と言いました。
「庖丁師」「庖丁人」はその後、職業として定着していき、江戸時代になると「板前」と呼ばれるようになります。
こうして『庖丁』は、本来の料理人という意味よりも「庖丁刀」のことと定着していき、一般的となったそうです。


「お詫び」
  いつも当ブログにアクセスいただきありがとうございます。
  誠に勝手ながら、明日12日から15日まで休ませていただきます。
  16日から再度書き出す予定にしていますので、引き続き宜しくお願い致します。


草刈機「チップソー」の研磨

2012-08-10 | 家庭菜園

大阪南部の熊取町では先月21日から昨日まで20日間全く雨が降っていません。
今日も降りそうになく、畑はカラカラに乾いており毎日の水やりが大変な作業となっています。
作物は乾燥に弱く、1日水やりが途切れると萎れてきて枯れそうになりますが、畦道の雑草は水が無くても日に日に伸びます。
連日猛暑日が続いていますが、それでも水遣りと月に1~2回の草刈りは欠かせません。

草刈作業は刈払機で行っていますが、数回使用するとチップソー(回転歯)の切れが悪くなり取り換えが必要になります。
今までは、その都度新しいチップソーを購入していましたが、費用もかかることからチップソー研磨機を購入することにしました。

近隣のホームセンターには販売していないのでインターネットで購入することにし、東京の業者に発注したところ、発注の翌々日には商品が届きました。
便利になったものです。

・これがネットで購入したチップソー研磨機一式です。


早速組み立てて研ぐことにしました。
取り扱いを説明したDVDがついているので、機械音痴の私でもよく解り、簡単に研ぐことができました。

・数回使用するとこのように鋼(はがね)の先端が丸くなって切れが悪くなります。


・低速グラインダーに研磨用のチタンコートダイヤ砥石(円盤)をセットし、チップソーの裏面を外周形状に合わせて、角度を決めて砥石に当たるようにセットします。


・外周形状の鋼を一刃ずつ研いでいきます。研いだ面はこのように削られています。


外周形状の鋼を全て研ぐと次の横すくい角の研磨作業に入ります。

・横すくい角の研磨作業では、チップソーをセットする位置をグラインダーの正面近くにし、更に水平から1目盛りだけ右に傾斜させて固定します。


・チップソーは表面を上にしてセットし、これも一刃ずつ研いでいきます。


全ての横すくい角を研磨して終了です。

・横すくい角を研磨することによってこのように鋼の角が尖ってきます。


・早速、研磨したチップソーを使用したところ、見違えるような切れ味になっていました。





「おとなしい」の語源

2012-08-09 | 雑学

ロンドンオリンピックで、日本の男子柔道は、昭和39年の東京オリンピックで正式種目となって以降続いていた金メダルの獲得が途切れました。
テレビを観ていると、外国の選手に比べて日本の選手は組み手にこだわり、積極的に前に出ていく姿勢が見劣り、全体に「おとなしい」柔道だったように感じました。
この事が、審判の印象にも影響して、「指導」を取られたり、「判定」で不利に働いたのではないでしょうか?
柔道が世界に普及するにつれて、技を競うと言う古来の日本柔道から格闘技のような形態に変貌しつつあるように思います。
柔道の醍醐味は何といっても「柔よく剛を制す」であり、これは体力の劣る日本人が得意とするところの筈であり、襟元を捉えた一瞬の素早い技を磨くなど、指導者の方には次回大会までに是非立て直して欲しいものです。

さて、柔道談義はこのくらいにして、今日はその「おとなしい」の語源について調べました。

「おとなしい」は漢字で「大人しい」と書き、成人を意味する「大人」を形容詞化した語です。
元々、「おとなしい」はその言葉通り、「成熟しているさま」を表しましたが、「思慮分別が備わっていて年長者らしい」と云った意味が含まれるようになったことで「大人びている」「大人っぽい」など、実際の年齢を問わない表現となりました。

その後、「大人のような」と云った意味から、「穏やか」「落ち着いている」「静か」と云う意味が含まれるようになり、「素直なさま」「「柔順なさま」も表すようになりましたが、江戸時代には既に今のような「穏やかなさま」という意味でも使われていたそうです。

なぜ、本来の「大人びている」という意味から変化したのかと云うと、日本には古くから「言わずもがな=言うまでもない」が美徳であるという考え方があり、「以心伝心」や「察し」の精神が人間関係に重んじられてきたことから、ことば巧みな人よりも静かで穏やかな人が“大人”であるとみなされてきたようです。
更に、おとなしいデザインと云うように人間以外のものに対しても落ち着いた性質を「おとなしい」と表現するようになりました。

一般的には思慮分別のある「大人しい」は必要ですが、勝負を競うスポーツの世界では歓迎されません。
国際的なスポーツ大会では勝ちにこだわって、貪欲に前へ前へ出て行き、一瞬の素早い技で相手をなぎ倒して欲しいと思います。


「チャンブルー」の語源

2012-08-08 | 家庭菜園

庭のグリーンカーテンにしているゴーヤの蔓は一向に茂りませんが、畑のゴーヤは棚いっぱいに茂り、果実のゴーヤをたくさんぶら下げています。
連日猛暑日が続く大阪南部の熊取ですが、この棚の下は太陽を遮り、少し涼しく感じます。
私は棚からゴーヤやブドウが垂れ下がっているのを眺めるのが好きなので、この下でゆっくりしたいところですが、蚊が多いのでそうもいきません。

さて、ゴーヤの調理法はいろいろありますが、最もよく知られているのが沖縄を代表するゴーヤ料理であるゴーヤチャンプルーではないでしょうか?
我が家では豚肉やベーコン、卵などを混ぜ合わせてゴーヤチャンプルーをよく食べますが、他にも果物と野菜を入れてミックスジュースにしたり、佃煮などにして食べています。

・畑のゴーヤの棚です。


このチャンプルーと云う言葉は、沖縄を代表するゴーヤ料理に使われている言葉なので沖縄の言葉かと思っていましたが、調べてみるとそうではなく、語源はインドネシア語だそうです。

インドネシア語で「チャンプール〔campur〕」は【混ぜる、ごちゃ混ぜ】を意味する言葉で、料理だけではなく色々なものが混ざったという意味でも使われるそうです。
この言葉が沖縄に入り、ゴーヤを使ったごちゃ混ぜ料理に当てられてゴーヤチャンブルーとなったそうです。

沖縄は、古くから中国や東南アジア、ヨーロッパとの交易が盛んだったため、言葉や文化の面で強く影響を受け、日本本土と異なるものがありますが、沖縄県は正に、各国の文化や言葉が“チャンプルー”している県と言えるかも知れません。