(前の記事の続き)大河ドラマでの史実の脚色はどこまでが許されるのだろうか?
大河ドラマ西郷どん、江戸市中で強盗・放火・殺人・・・などの無差別テロを行った薩摩御用盗の存在をスルーせずに直視したという点について、前回の記事で評価した。その史実から逃げなかった姿勢は、評価できると思う。
しかし、それを実行するまでに西郷を追い込んだ原因としてドラマで描かれたのは、「フランス公使のロッシュが徳川慶喜に薩摩の割譲要求をしている」という、史実にない虚構であった。この虚構を、「脚色」として許してしまってよいのだろうか?
これは「脚色」といって許されるレベルではないと思う。「創作」ではなく「ねつ造」である。
大河ドラマにおける「創作」とは、記録の残っていない空白の部分に、もしかしたらこんなこともあったかも知れない・・・と、想像の羽を広げて、ストーリーを膨らませることであろう。
主人公である西郷と旧知の架空の女性「ふき」を登場させ、その女性がライバルである徳川慶喜の妾になるというのは、ドラマを面白くするための創作として許される範囲であろう。もっとも、その架空の人物を登場させる必然性が感じられないので、あまり評価はしないが・・・・。
しかし、フランスという現存する国家の外交上の行為にかんして、当事者たちがやっていないことが明らかであるにもかかわらす、「やった」ことにしてしまうのは、「ねつ造」ないし「歴史改ざん」であり、創作とは違う。これは許されないだろう。
大河ドラマ西郷どんでは、フランスは日本に領土的野心を抱き、「幕府」を操って日本を乗っ取ろうという野心を持つ国に描かれている。そして徳川政権は、日本をフランスに売り渡そうとしているのだ、と。
フランスには、日本を侵略者しようと考えた計画もないし、領土的野心もない。フランスは、日本に領土割譲の要求などしていない。フランスは当時、普仏戦争が起きそうで、そんな余裕はなかった。そもそお大英帝国ほどの国力もない。
西郷どんでは、主人公サイドのイギリスが相対的に無色に描かれ、幕府と接近していたフランスの方が帝国主義の権化のように描かれているが、実際には逆である。
実際には、そのような野心を持っていたのは薩長に接近したイギリスである。その帝国主義国家イギリスの野心にまんまと乗せられたのは薩長なのだ。英国は、実際に日本に軍事進攻計画も立てて、戦争シミュレーションまでしている。イギリスの対日戦争シミュレーションについては、保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機』(吉川弘文館)を参照されたい。
イギリスは、長州藩が1863年にアメリカ船、フランス船、オランダ船に次々と無差別砲撃を加えるというテロ攻撃を実行すると、自国船は砲撃されていないにもかかわらず翌年に他の三加国に働きかけて、長州を攻撃する戦争を仕掛けている(下関戦争)。フランスは自制的であったが、イギリスは戦争の口実に飢えていた。
イギリス公使のパークスは、下関戦争の勝利のあと、長州藩に彦島の租借を要求している。このとき、フランス公使のロッシュは、そのパークスの彦島租借要求に反対している(矢田部厚彦『敗北の外交官ロッシュ』白水社を参照)。
パークスの領土的野心を打ち砕いたという点で、日本人はロッシュに感謝する必要があるかも知れない。(ちなみに、高杉晋作がイギリスの彦島租借要求を拒否したというのは、明治以降に広まった後付けの話で、史実としての信ぴょう性は薄い)
さらに慶応元年(1865)10月にには、英仏蘭米の四か国艦隊が兵庫沖に停泊して、朝廷に条約勅許、兵庫開港、さらに関税率の20%から5%への引き下げを要求して、軍事的圧力をかけた。これも、ドラマの中では、慶喜がロッシュに頼んで軍事的な圧力をかけさせたかのように描いていたが、とんでもない。この軍事的威圧も、イギリスのパークスのイニシアティブによって行われた砲艦外交である。
これも、あたかも慶喜が「売国奴」であるかのように見せるためのドラマのねつ造である。これも大河ドラマでは許されてはならない一線を越えていると思う。徳川政権の名誉を汚していること甚だしい。
ドラマの中とはいえ、実在の国の政府がやってもいないことを「やった」ことにして、悪者にするというのは、著しくその国の名誉を汚すことになる。史実をベースに描く大河ドラマではやってはいけないことだろう。フランス大使館はNHKに抗議すべきではないかと思う。
このような歴史改ざんの脚本を許してしまった時代考証家たちの責任も問われると思う。
薩摩の西郷・大久保、あるいは長州では松下村塾党を主人公にすると、ダークなテロ行為を描かざるを得なくなり、それを無理に正当化せんとすると、無理な歴史改ざんをせざるを得なくなって、ストーリーが破綻していくのだろう。「西郷どん」や2015年放映の「花燃ゆ」が視聴者の共感をあまり生んでいない理由はその辺にあろう。
長州・薩摩が舞台でも、大村益次郎主人公の「花神」や、「篤姫」の評価が高いのは、薩長の中にあってテロに手を染めていないという点で、無難な人物を主人公にしたからだろう。
「花燃ゆ」や「西郷どん」は、薩長正統の「明治維新神話」の虚構が崩れていくという、現在進行形の事象に貢献したというという点で、功績は大きいと思う。
大河ドラマ西郷どん、江戸市中で強盗・放火・殺人・・・などの無差別テロを行った薩摩御用盗の存在をスルーせずに直視したという点について、前回の記事で評価した。その史実から逃げなかった姿勢は、評価できると思う。
しかし、それを実行するまでに西郷を追い込んだ原因としてドラマで描かれたのは、「フランス公使のロッシュが徳川慶喜に薩摩の割譲要求をしている」という、史実にない虚構であった。この虚構を、「脚色」として許してしまってよいのだろうか?
これは「脚色」といって許されるレベルではないと思う。「創作」ではなく「ねつ造」である。
大河ドラマにおける「創作」とは、記録の残っていない空白の部分に、もしかしたらこんなこともあったかも知れない・・・と、想像の羽を広げて、ストーリーを膨らませることであろう。
主人公である西郷と旧知の架空の女性「ふき」を登場させ、その女性がライバルである徳川慶喜の妾になるというのは、ドラマを面白くするための創作として許される範囲であろう。もっとも、その架空の人物を登場させる必然性が感じられないので、あまり評価はしないが・・・・。
しかし、フランスという現存する国家の外交上の行為にかんして、当事者たちがやっていないことが明らかであるにもかかわらす、「やった」ことにしてしまうのは、「ねつ造」ないし「歴史改ざん」であり、創作とは違う。これは許されないだろう。
大河ドラマ西郷どんでは、フランスは日本に領土的野心を抱き、「幕府」を操って日本を乗っ取ろうという野心を持つ国に描かれている。そして徳川政権は、日本をフランスに売り渡そうとしているのだ、と。
フランスには、日本を侵略者しようと考えた計画もないし、領土的野心もない。フランスは、日本に領土割譲の要求などしていない。フランスは当時、普仏戦争が起きそうで、そんな余裕はなかった。そもそお大英帝国ほどの国力もない。
西郷どんでは、主人公サイドのイギリスが相対的に無色に描かれ、幕府と接近していたフランスの方が帝国主義の権化のように描かれているが、実際には逆である。
実際には、そのような野心を持っていたのは薩長に接近したイギリスである。その帝国主義国家イギリスの野心にまんまと乗せられたのは薩長なのだ。英国は、実際に日本に軍事進攻計画も立てて、戦争シミュレーションまでしている。イギリスの対日戦争シミュレーションについては、保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機』(吉川弘文館)を参照されたい。
イギリスは、長州藩が1863年にアメリカ船、フランス船、オランダ船に次々と無差別砲撃を加えるというテロ攻撃を実行すると、自国船は砲撃されていないにもかかわらず翌年に他の三加国に働きかけて、長州を攻撃する戦争を仕掛けている(下関戦争)。フランスは自制的であったが、イギリスは戦争の口実に飢えていた。
イギリス公使のパークスは、下関戦争の勝利のあと、長州藩に彦島の租借を要求している。このとき、フランス公使のロッシュは、そのパークスの彦島租借要求に反対している(矢田部厚彦『敗北の外交官ロッシュ』白水社を参照)。
パークスの領土的野心を打ち砕いたという点で、日本人はロッシュに感謝する必要があるかも知れない。(ちなみに、高杉晋作がイギリスの彦島租借要求を拒否したというのは、明治以降に広まった後付けの話で、史実としての信ぴょう性は薄い)
さらに慶応元年(1865)10月にには、英仏蘭米の四か国艦隊が兵庫沖に停泊して、朝廷に条約勅許、兵庫開港、さらに関税率の20%から5%への引き下げを要求して、軍事的圧力をかけた。これも、ドラマの中では、慶喜がロッシュに頼んで軍事的な圧力をかけさせたかのように描いていたが、とんでもない。この軍事的威圧も、イギリスのパークスのイニシアティブによって行われた砲艦外交である。
これも、あたかも慶喜が「売国奴」であるかのように見せるためのドラマのねつ造である。これも大河ドラマでは許されてはならない一線を越えていると思う。徳川政権の名誉を汚していること甚だしい。
ドラマの中とはいえ、実在の国の政府がやってもいないことを「やった」ことにして、悪者にするというのは、著しくその国の名誉を汚すことになる。史実をベースに描く大河ドラマではやってはいけないことだろう。フランス大使館はNHKに抗議すべきではないかと思う。
このような歴史改ざんの脚本を許してしまった時代考証家たちの責任も問われると思う。
薩摩の西郷・大久保、あるいは長州では松下村塾党を主人公にすると、ダークなテロ行為を描かざるを得なくなり、それを無理に正当化せんとすると、無理な歴史改ざんをせざるを得なくなって、ストーリーが破綻していくのだろう。「西郷どん」や2015年放映の「花燃ゆ」が視聴者の共感をあまり生んでいない理由はその辺にあろう。
長州・薩摩が舞台でも、大村益次郎主人公の「花神」や、「篤姫」の評価が高いのは、薩長の中にあってテロに手を染めていないという点で、無難な人物を主人公にしたからだろう。
「花燃ゆ」や「西郷どん」は、薩長正統の「明治維新神話」の虚構が崩れていくという、現在進行形の事象に貢献したというという点で、功績は大きいと思う。
今回の内容も、気付きがありました
どこからどこまでの創作が許されるのか?
平将門の首が関東まで飛んできた話、四谷怪談はいいのか、、
でも、大河ドラマはNHKだからダメなのか、、
最近、過去のNスペを有料チャンネルなどで発見して、、特に映像の世紀に魅せられた私は色々と考えさせられました。
ありがとうございます
>平将門の首が関東まで飛んできた話、四谷怪談はいいのか、、
はじめから、「このドラマはフィクションですと」を前提に制作されていれば、どのようなストーリーもよいと思います。
しかし大河ドラマの場合、実在の人物を主人公とし、史実に基づいていると考えられているので(実際、近年でも八重の桜や真田丸は史実を踏み外していない)、今回の「西郷どん」の尋常でない史実改ざんぶりは、目に余ってしまいます。
覇権国であったイギリスは、アジアの「非文明」諸国に、製鉄や造船の技術を移植するという発想はありませんでした。相手国の関税自主権を奪い、自力で工業化する能力を奪おうとするのが基本的な戦略でした。
フランスは徳川政権が重工業を育成しようとする方針を支援しようとしたのですから、イギリスとは全く違います。どちらが当時の日本にとってありがたい友人であったかといえば、明らかにフランスです。
列強といっても、イギリス、フランス、アメリカ、それぞれ経済政策的に大きな違いがあります。アジアにとっての最大の脅威は何といっても大英帝国です。徳川政権は大英帝国に対抗するため、フランスやアメリカは味方にしようとしていました。
イギリスの方が一枚上手で、敗れてしまったわけですが、基本的にはその路線は正しかったと思います。この辺、今度出す『日本を開国させた男、松平忠固』(作品社)という本でも言及しました(6月末に出ます)。ご参照くださるとうれしく存じます。
「西郷どん」は、フランスの脅威を誇張する一方、日本にとって真の脅威である大英帝国を、相対的に無害な国のように描いていました。当時の国際情勢の認識として誤っています。