代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸 第34回「挙兵」感想

2016年08月31日 | 真田戦記 その深層
 この間多忙で真田丸の感想もまったくアップできませんでした。すいません。じつはこの間いろいろあって、リアルタイムでも観れないことが多かったのです。
 ひさしぶりに第34回「挙兵」の感想をアップさせていただきます。

 ここへきて薫母上が大変なことになってしまいました。母上におかれましては、今後、ドラマの中で夫と次男が徳川公儀に対する謀反人・罪人になってしまいます。それきり夫とも会うことかなわず、上田に残って出家して余生を過ごすことになります。
 なんとドラマの中のみならず、現実世界でも、子供が罪人になるとは・・・・。つらいでしょうが、子供の犯した罪は、親も一緒に背負って、苦しみを共有せねばならないと思います。現実世界での苦しみも、ドラマの演技にぶつけていただけたらと思います。

 さて、ドラマの話題です。ここへきて一気にこんなに展開が早くなるとは思いませんでした。もう少し秀吉が死んでから関ケ原に至る描写は話数をかけてじっくり描いてもよかったような気がしますが・・・・。
 
 そんな中、「挙兵」の回で一番うれしかったのは、徳川軍に従軍して上杉征伐に向かった真田軍がはじめから上杉方で、合戦が始まったら家康軍を側面から突くつもり・・・・というストーリーだったことです。私も、ずーっと徳川と上杉との合戦になったら昌幸はそうするつもりだったに違いないと思っていたので・・・・。
 あのまま、家康が会津攻めに突き進めば面白いことになったのに・・・・と想像を膨らませてしまいます。三成が少しこらえて、白河口で戦端が開かれてから挙兵すれば家康も簡単には引き返せなかったのに・・・・。そうなれば歴史は変わったはず。


矢沢三十郎はどうして源次郎と別れるの?

 意外だったのは、信幸までもが「私は真田安房守の嫡男。どこまでも父上に従います・・・・」と言ったこと。

 今回の真田丸は、信幸はギリギリまで父に付くか家康に付くかわからないでいるという設定です。新解釈だと思います。
 矢沢三十郎も、史実では信幸についていくのですが、いまのところそうなる気配が全くないですね。次回、いったいどうなるのだろう・・・・。

 出浦昌相も史実では、信幸についていくはずなのですが、三谷さんが、あまりにも昌幸とラブラブに描きすぎたために、ドラマの展開上、昌幸と別れさせることが不可能になっている感じがします。真田丸の公式サイトで、出浦役の寺島進さんが、「この後信幸に仕えるなんで気持ちの整理がつきません」と三谷さんに訴えたところ、三谷さんは「ちょっと考えます」と答えたそうです。

 ということは、ドラマの展開と役者の感情移入の度合いによって、三谷さんは、脚本を変えることもあるということですね。こうでなくちゃ。やはり感情をこめて演じていくと、その役が生命をもって動きだしてしまうわけです。その動き出したドラマ上の命は、脚本を超えてしまうのでしょう。こうなったら、当初の予定から、途中で脚本を変えるのもアリですよ。 

 史料に出てくる信幸に仕えた出浦はじつは影武者で、ホンモノは、信繁といっしょに大坂に入城しちゃったというストーリーにしてもよいのでは? ドラマならそのくらい許されます。影武者立てれば史実とも矛盾しないし・・・・。視聴者もそっちのほうが喜ぶと思う。どう考えても出浦昌相が、信幸に仕えて信繁と戦う姿って想像できない・・・・。

  
なぜに細川ガラシャ? 

 ドラマで意外だったのが、細川ガラシャがここまで重要な役で登場したこと。橋本マナミさんのガラシャ役もピッタリで、新境地の役柄を切り開いたのではないでしょうか。

 じつは私が以前から不思議だったことがあります。関ケ原の前の8月5日に三成が昌幸に送った手紙の中に、「細川幽斎と細川忠興は一命だけは助けてやった。細川忠興の妻(ガラシャ)は人質に留め置くように命じていたのに、家臣が間違えて殺してしまった」と申し訳なさそうに書かれているのです。

 西軍にとっては不名誉な情報であり、大事な合戦の前に戦意が下がるような情報を、わざわざ三成は昌幸に伝えなくてもよいのに、何で伝えたのだろう・・・・・。これも律儀な三成の性格ゆえなのか?と。
 そもそも細川ガラシャと真田って何か関係あったの?とすごく不思議だったのです。
 
 そうか、きりがガラシャのところに厄介になっていたから、伝えざるを得なくなったのかとガッテンしました。

 もちろん、ガラシャと真田家がどう絡んでいたのかという、史実の真相はよくわかりません。ドラマでは、きりとガラシャを絡ませることによって、三成が手紙に書かざるを得なかったという史実と見事に整合性が取れています。


さて来週は犬伏

 youtubeに30年前の真田太平記の犬伏の別れの動画の部分がありましたので、張り付けておきます。いま観てもこのシーンすごいです。セリフを覚えられないので有名な丹波さんが、よくもこんな複雑なセリフをペラペラと。やはり昌幸が降りてきて、台本を暗記しないでも、丹波さんの口からセリフが自然に出てきていたとしか思えません。参考までに・・・。
 このときは、昌幸と信幸の政治的イデオロギーの違いが鮮明だったので、もう端から別れるのは必然的であったという描き方でした。さて、次回「犬伏」では、三谷さんがどう描くのでしょう。一つ言えるのは、真田太平記とはだいぶ違った解釈の別れ方になるということでしょう。楽しみです。

真田幸村 関ヶ原前哨戦 真田家分裂





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