当面の日本の経済政策として、私が最も重要だと思うことは、明らかに経済波及効果が無くなっている「道路」と「ダム」という二つの無駄な公共事業費を可能な限り削減し、浮いた予算を、持続可能な未来社会を建設するための戦略的な環境プロジェクトに重点的に振り向けることだと思います。
道路とダムの膨大な予算を切り崩さない限り、新しいプロジェクトを実施するための財源を確保できません。無駄なダム予算の一部に関しては、森林整備に転用して代替的な治水対策とする必要があります。といっても森林に転用するのはダム予算の5分の1から10分の1程度もあれば、充分な代替的治水効果を発揮できます(これを証明したのが吉野川の研究です)。残りの予算は太陽光、バイオマス、風力、天然ガス、燃料電池など他の新エネルギー分野に振り向けるべきでしょう。
ダム予算を切り崩すための理論的根拠が、適正間伐と混交林化などの森林整備による洪水緩和効果にあります。この点を研究することは、これまで学者の世界で半ばタブーとなってきました。この研究がタブーであったのは政治的理由が大きいのかも知れません。この点が、今ホットな科学論争点になっています。(残念ながら日本のマスコミは真剣に報道してくれませんが・・・・)。
もっとも国交省河川局がかなり焦っているのは、彼らの感情的な反論から伺えます。人工林の成長や、間伐によって人工林の状態が改善されると、洪水時のピーク流量は少なくともダムを代替するのに十分な程度に低減することは、観測的事実からも次々に明らかになってきているからです。河川局は追い込まれ、ムキになって苦しい弁明をするしかなくなっています。その様子はけっこう見ていて面白いです。
まるで地動説を唱えたガリレオを裁判にかけたローマ・カトリック教会の対応を彷彿とさせるのですが、その問題は、また「緑のダム」のカテゴリーで論じます。
「エコロジカル・ニューディール政策」のカテゴリーでは、経済問題としての緑のダム政策を論じます。ここでは、ダムのが経済波及効果が低く、森林整備が高いということをまず説明してみましょう。
総需要は次式で表すことができます。
総需要=個人消費(C)+民間投資(I)+政府支出(G)+輸出(Ex)-輸入(Im)
この式の意味するところは、国内でつくった財は、個人が買うか、政府が買うか、民間企業が買うか、あるいは海外が買うのかいずれかであるということです。
この14年の日本経済は、民間投資が著しく減衰し、個人消費も停滞したため、政府支出により総需要を底上げしなければならなくなりました。いわゆる「ケインズ政策」としての公共事業の出番だったわけです。しかしながら、あまりにも無駄なことに投資されすぎたのは周知のとおりです。戦略的に、計画的に、民意と社会的ニーズを反映して、もっと確かな分野に投資していれば、これほど惨めな結果にはならなかったはずなのです。
ここで、「良い公共事業」とは、政府支出による社会資本形成が、個人消費の拡大、民間投資の誘発、輸出の増加、輸入の減少、のいずれかに波及していく効果が大きいものです。ただし、私は、ある一国が貿易黒字を謳歌して他の国々が赤字で苦しむという状態を道義的に望ましいとは思いませんので、「輸出の増加」はこの中から除外したいと思います。いまや、日本が貿易黒字を稼ぎすぎることは、逆にアメリカ依存から脱却できなくなるという結果をもたらし、自分の首をしめています。
良い公共事業、良い公共投資とは、失業を減らして個人消費を増やすと共に、民間投資意欲が高まることを計算に入れたプロジェクトなのです。政府支出をして、民間設備投資の呼び水にするのです。この「呼び水効果」が高ければ、数年後には財政赤字を減らせるのに対し、「呼び水効果」低ければいつまでも延々と財政赤字を出し続けることになります。この10年のダム建設や道路建設が批判されなければならないのは、環境破壊の問題とともに、「民間投資への呼び水効果が低かった」という点においてなのです。
呼び水効果が高いプロジェクトに公共投資を重点配分していけば、数年後には民間投資が増加してきます。そして貯蓄水準と投資水準が一致するようになれば、赤字国債の発行額はゼロにしてもよいのです。民間の投資水準が低い状態が続く限り、政府による計画的投資は必要なのです。
故に、どのような公共投資を行えば民間設備投資に波及していくのかという観点で、皆で競い合ってアイディアを出し合うことこそが求められているのだと思います。どうしてこのような単純なことを日本のマスコミは理解し得ないのか、私は本当に理解に苦しみます。
私は決して緊縮財政政策を支持しません。緊縮論を煽っているマスコミ各社に関しては、本当に、「冷静になって」「頭を冷やして」と訴えたいです。あなた方は間違っているのです。
ここで、森林整備プロジェクトを例にして、個人消費、民間投資、輸入の減少に対して大きな波及効果を持ち、いずれにおいてもダムよりはるかに優れていることを示してみましょう。
① 個人消費への波及
個人消費に波及させるための最良の選択は、いま現在、失業の憂き目に遭っている人々に雇用機会与えて失業率を減らすことであろう。消費性向が最も高いのは失業者層であろうから、彼らが容易に参入可能な雇用機会を提供すれば、それはほぼ消費に回る。
*ダム: 総予算に占める土地収用費の割合が2―3割にもなる。土地収用のための支出は、貯蓄を増やすことはあっても、消費に回る部分は少ないだろうと思われる。
さらに、ダムの建設現場は機械化が進んでいるので、総予算に占める人件費の割合はおそらく3割ほどであり、雇用吸収力は非常に低い。ダム建設によって、鉄鋼会社やセメント会社などに発注がいくが、それらは慢性的に設備過剰の状態にある産業であり、少しばかり設備稼働率が上がったところで、追加雇用の獲得に動くとは考えにくい。
*森林整備: 健康な人であれば、わずかの職業訓練ですぐに参入可能であり、竹中氏が盛んに主張するような「雇用のミスマッチ」は存在しない。間伐・枝打ち・広葉樹の補植といった森林整備は、総予算に占める人件費の割合が7-8割にもなる労働集約的事業なので、予算規模当たりの雇用吸収力はダムの3倍はあると思われる。
② 民間投資への波及
*ダム: ゼネコンはダムを受注した収益を、基本的に借金の返済に使っているので、新規の投資へは波及しない。資材の発注先である鉄鋼・セメント業界にしても、設備過剰の状態にあるので、新規投資へはほとんど波及しないだろう。
*森林整備: 公共事業として間伐を行い、それを山から降ろしてくることによって、間伐材を利用した木質エネルギーのベンチャービジネスへの波及が期待される。これは純然たる環境保全事業・CO2の削減事業であり、それらの事業の研究開発と育成に政府補助金をつけたとしても納税者の合意は得られやすいだろう。
木質エネルギーは、ポスト石油時代における非常に有望な自然エネルギー源であり、民間の設備投資意欲も高い。国家戦略として木質エネルギーの開発を進めたスウェーデンでは、既に一次エネルギー生産の18パーセントが木質バイオマスによるものとなっている。
ただネックになっているのは燃料としての間伐材が高価なのと安定供給が難しいことである。そこで日本政府が、間伐作業を公共事業として展開していけば、タダで山から降ろされてくる間伐材が大量に市場に供給されることになり、間伐材発電が十分に採算ベースに乗ることになる。消費者も、こうした自然エネルギーの普及を望んでおり、需要は旺盛に存在する。電気代が多少高くなろうとも、木質発電の電気を購入しようとする人々は多いだろう。
また、間伐材を利用した家庭用暖房源としての木質ペレット工場などへの民間投資も期待できる。他に、家具や国産材住宅への波及が期待される。
③ 輸入量削減への効果
*ダム: なし。まったく期待できそうもない。
*森林整備: 間伐材による発電や家庭用暖房は、石油輸入量の削減につながる。間伐材の建築材・家具としての利用も、木材輸入量の削減につながる。
さらに、日本が地球温暖化枠組み条約の京都議定書において公約した、CO2排出量の6%削減にも大きな寄与を果たすことが期待される。いまのままでは6%削減は無理なので、日本政府はロシアなどの「排出権」を購入することによってノルマを果たさねばならなくなるだろう。間伐材のエネルギー利用を進めていけば、他国から排出権を購入する必要もなくなっていく。
総じて日本が総需要不足に陥っている理由の一つとして、ひたすら環境を汚染しゴミの量を増やしてしまうような財を購入することを、消費者が既に望まなくなっているということも大きいだろうと思います。買いたいモノがなければ、いくら価格が下がってもやはり買わないのです。エコロジカル・ニューディール政策によって、環境にやさしい財を供給していけば、価格が多少高くなろうとも消費者はそちらの財を選択するでしょう。スウェーデンでは、電気代が1.5倍程度になろうとも、消費者は原発や石炭火力の電気よりも自然エネルギーの電気を指向するといいます。消費者が、価格は高くても環境にやさしい財とサービスを指向するのであれば、そうした財を供給していけばデフレが止まるということも意味するのです。
竹中氏のように、「何がなんでも価格を下げて競争力を…」などという新古典派の価格決定主義は、消費者心理の現状に照らして、完全に誤まっているといえるでしょう。
これまでの経済学は、資本の循環だけに関心を払ってきましたが、これからは物質の循環、原子・分子の循環にまで関心領域を広げなければいけないのは当然のことです。それなしには人類社会の持続可能な発展などおよそ不可能です。そうして初めて、消費者は心から安心して財を購入できるようになるでしょう。
道路とダムの膨大な予算を切り崩さない限り、新しいプロジェクトを実施するための財源を確保できません。無駄なダム予算の一部に関しては、森林整備に転用して代替的な治水対策とする必要があります。といっても森林に転用するのはダム予算の5分の1から10分の1程度もあれば、充分な代替的治水効果を発揮できます(これを証明したのが吉野川の研究です)。残りの予算は太陽光、バイオマス、風力、天然ガス、燃料電池など他の新エネルギー分野に振り向けるべきでしょう。
ダム予算を切り崩すための理論的根拠が、適正間伐と混交林化などの森林整備による洪水緩和効果にあります。この点を研究することは、これまで学者の世界で半ばタブーとなってきました。この研究がタブーであったのは政治的理由が大きいのかも知れません。この点が、今ホットな科学論争点になっています。(残念ながら日本のマスコミは真剣に報道してくれませんが・・・・)。
もっとも国交省河川局がかなり焦っているのは、彼らの感情的な反論から伺えます。人工林の成長や、間伐によって人工林の状態が改善されると、洪水時のピーク流量は少なくともダムを代替するのに十分な程度に低減することは、観測的事実からも次々に明らかになってきているからです。河川局は追い込まれ、ムキになって苦しい弁明をするしかなくなっています。その様子はけっこう見ていて面白いです。
まるで地動説を唱えたガリレオを裁判にかけたローマ・カトリック教会の対応を彷彿とさせるのですが、その問題は、また「緑のダム」のカテゴリーで論じます。
「エコロジカル・ニューディール政策」のカテゴリーでは、経済問題としての緑のダム政策を論じます。ここでは、ダムのが経済波及効果が低く、森林整備が高いということをまず説明してみましょう。
総需要は次式で表すことができます。
総需要=個人消費(C)+民間投資(I)+政府支出(G)+輸出(Ex)-輸入(Im)
この式の意味するところは、国内でつくった財は、個人が買うか、政府が買うか、民間企業が買うか、あるいは海外が買うのかいずれかであるということです。
この14年の日本経済は、民間投資が著しく減衰し、個人消費も停滞したため、政府支出により総需要を底上げしなければならなくなりました。いわゆる「ケインズ政策」としての公共事業の出番だったわけです。しかしながら、あまりにも無駄なことに投資されすぎたのは周知のとおりです。戦略的に、計画的に、民意と社会的ニーズを反映して、もっと確かな分野に投資していれば、これほど惨めな結果にはならなかったはずなのです。
ここで、「良い公共事業」とは、政府支出による社会資本形成が、個人消費の拡大、民間投資の誘発、輸出の増加、輸入の減少、のいずれかに波及していく効果が大きいものです。ただし、私は、ある一国が貿易黒字を謳歌して他の国々が赤字で苦しむという状態を道義的に望ましいとは思いませんので、「輸出の増加」はこの中から除外したいと思います。いまや、日本が貿易黒字を稼ぎすぎることは、逆にアメリカ依存から脱却できなくなるという結果をもたらし、自分の首をしめています。
良い公共事業、良い公共投資とは、失業を減らして個人消費を増やすと共に、民間投資意欲が高まることを計算に入れたプロジェクトなのです。政府支出をして、民間設備投資の呼び水にするのです。この「呼び水効果」が高ければ、数年後には財政赤字を減らせるのに対し、「呼び水効果」低ければいつまでも延々と財政赤字を出し続けることになります。この10年のダム建設や道路建設が批判されなければならないのは、環境破壊の問題とともに、「民間投資への呼び水効果が低かった」という点においてなのです。
呼び水効果が高いプロジェクトに公共投資を重点配分していけば、数年後には民間投資が増加してきます。そして貯蓄水準と投資水準が一致するようになれば、赤字国債の発行額はゼロにしてもよいのです。民間の投資水準が低い状態が続く限り、政府による計画的投資は必要なのです。
故に、どのような公共投資を行えば民間設備投資に波及していくのかという観点で、皆で競い合ってアイディアを出し合うことこそが求められているのだと思います。どうしてこのような単純なことを日本のマスコミは理解し得ないのか、私は本当に理解に苦しみます。
私は決して緊縮財政政策を支持しません。緊縮論を煽っているマスコミ各社に関しては、本当に、「冷静になって」「頭を冷やして」と訴えたいです。あなた方は間違っているのです。
ここで、森林整備プロジェクトを例にして、個人消費、民間投資、輸入の減少に対して大きな波及効果を持ち、いずれにおいてもダムよりはるかに優れていることを示してみましょう。
① 個人消費への波及
個人消費に波及させるための最良の選択は、いま現在、失業の憂き目に遭っている人々に雇用機会与えて失業率を減らすことであろう。消費性向が最も高いのは失業者層であろうから、彼らが容易に参入可能な雇用機会を提供すれば、それはほぼ消費に回る。
*ダム: 総予算に占める土地収用費の割合が2―3割にもなる。土地収用のための支出は、貯蓄を増やすことはあっても、消費に回る部分は少ないだろうと思われる。
さらに、ダムの建設現場は機械化が進んでいるので、総予算に占める人件費の割合はおそらく3割ほどであり、雇用吸収力は非常に低い。ダム建設によって、鉄鋼会社やセメント会社などに発注がいくが、それらは慢性的に設備過剰の状態にある産業であり、少しばかり設備稼働率が上がったところで、追加雇用の獲得に動くとは考えにくい。
*森林整備: 健康な人であれば、わずかの職業訓練ですぐに参入可能であり、竹中氏が盛んに主張するような「雇用のミスマッチ」は存在しない。間伐・枝打ち・広葉樹の補植といった森林整備は、総予算に占める人件費の割合が7-8割にもなる労働集約的事業なので、予算規模当たりの雇用吸収力はダムの3倍はあると思われる。
② 民間投資への波及
*ダム: ゼネコンはダムを受注した収益を、基本的に借金の返済に使っているので、新規の投資へは波及しない。資材の発注先である鉄鋼・セメント業界にしても、設備過剰の状態にあるので、新規投資へはほとんど波及しないだろう。
*森林整備: 公共事業として間伐を行い、それを山から降ろしてくることによって、間伐材を利用した木質エネルギーのベンチャービジネスへの波及が期待される。これは純然たる環境保全事業・CO2の削減事業であり、それらの事業の研究開発と育成に政府補助金をつけたとしても納税者の合意は得られやすいだろう。
木質エネルギーは、ポスト石油時代における非常に有望な自然エネルギー源であり、民間の設備投資意欲も高い。国家戦略として木質エネルギーの開発を進めたスウェーデンでは、既に一次エネルギー生産の18パーセントが木質バイオマスによるものとなっている。
ただネックになっているのは燃料としての間伐材が高価なのと安定供給が難しいことである。そこで日本政府が、間伐作業を公共事業として展開していけば、タダで山から降ろされてくる間伐材が大量に市場に供給されることになり、間伐材発電が十分に採算ベースに乗ることになる。消費者も、こうした自然エネルギーの普及を望んでおり、需要は旺盛に存在する。電気代が多少高くなろうとも、木質発電の電気を購入しようとする人々は多いだろう。
また、間伐材を利用した家庭用暖房源としての木質ペレット工場などへの民間投資も期待できる。他に、家具や国産材住宅への波及が期待される。
③ 輸入量削減への効果
*ダム: なし。まったく期待できそうもない。
*森林整備: 間伐材による発電や家庭用暖房は、石油輸入量の削減につながる。間伐材の建築材・家具としての利用も、木材輸入量の削減につながる。
さらに、日本が地球温暖化枠組み条約の京都議定書において公約した、CO2排出量の6%削減にも大きな寄与を果たすことが期待される。いまのままでは6%削減は無理なので、日本政府はロシアなどの「排出権」を購入することによってノルマを果たさねばならなくなるだろう。間伐材のエネルギー利用を進めていけば、他国から排出権を購入する必要もなくなっていく。
総じて日本が総需要不足に陥っている理由の一つとして、ひたすら環境を汚染しゴミの量を増やしてしまうような財を購入することを、消費者が既に望まなくなっているということも大きいだろうと思います。買いたいモノがなければ、いくら価格が下がってもやはり買わないのです。エコロジカル・ニューディール政策によって、環境にやさしい財を供給していけば、価格が多少高くなろうとも消費者はそちらの財を選択するでしょう。スウェーデンでは、電気代が1.5倍程度になろうとも、消費者は原発や石炭火力の電気よりも自然エネルギーの電気を指向するといいます。消費者が、価格は高くても環境にやさしい財とサービスを指向するのであれば、そうした財を供給していけばデフレが止まるということも意味するのです。
竹中氏のように、「何がなんでも価格を下げて競争力を…」などという新古典派の価格決定主義は、消費者心理の現状に照らして、完全に誤まっているといえるでしょう。
これまでの経済学は、資本の循環だけに関心を払ってきましたが、これからは物質の循環、原子・分子の循環にまで関心領域を広げなければいけないのは当然のことです。それなしには人類社会の持続可能な発展などおよそ不可能です。そうして初めて、消費者は心から安心して財を購入できるようになるでしょう。