遅れましたが、真田丸第12回の感想をアップします。
今回は真田源次郎信繁の越後人質時代。戦乱つづく中で、しばしの戦の合間をぬって、戦国の人々の日常生活が描き出されました。戦国時代の村人たちの訴訟を題材とした、水戸黄門的な(?)ストーリー展開の中で、上杉景勝や直江兼続の人柄が丹念に描かれ、景勝と兼続に胸キュンしてしまった視聴者も多かったようです。
この「戦国の訴訟」話が、単なる一話完結の創作挿話にすぎないのだったら大河として扱うのはどうかと思えますが、このストーリーは後年の関ケ原の合戦にまでつながる重要な伏線になる挿話だったと思います。
15年後に勃発する天下分け目の関ケ原で、上杉と真田は共闘することになりますが、その決断につながるルーツは、真田信繁の春日山城の人質時代にあったのだと思われるからです。
真田信繁の人質時代をどう描くかで、その後の関ケ原や大坂の陣で展開される物語の「重み」が全く変わってくると思われるのです。
越後の村落間紛争を景勝と源次郎が協力して解決し、それで二人の信頼関係が深まっていくというエピソードはじつに効果的だったと思います。
同じく信繁の人質時代を描きながら、失敗していたのが、直江兼続が主人公だった2009年の大河の「天地人」でした。天地人でも真田幸村が春日山城に人質に行くという史実が登場しました(このときは役名・幸村だった)。その幸村が本当に悲惨な描かれ方をしてしまったので、後年の関ケ原でどうして上杉と真田が共闘したのか、その必然性も分からない、意味不明な展開になっていたものでした。
「天地人」のときは、主人公の直江夫妻のみをアゲるために、景勝も菊姫も家康も幸村も・・・周囲の登場人物たちがみんなとっても残念な人物に描かれてしまって、興ざめしたものでした。しかも兼続のアゲ方も妙なので、兼続本人も輝かず、とてもウソくさいドラマになっていたものでした。やはり脚本家が登場人物に思い入れをもって描かないとダメだなぁと感じたものです。それは昨年の大河「花燃ゆ」でも感じましたが・・・・。
今年の大河の登場人物がみな生き生きとしているのは、三谷さんが「真田信繁を描きたい」って強く願っていて、それにNHKが乗ってきて制作されたドラマだからですね。やはり主人公が決まってから、脚本家に頼んでその人物を描いてもらうのではなく、脚本家が誰を描きたいのかを先にして大河の主人公を決めていった方がよいドラマができると思います。NHKが主人公を決めて、売れっ子脚本家に無理に振っても、感情が乗ってこなければうまく描けないのも当然ですね。
さて、今回は、舞台が越後ということで、漁業権をめぐる村落間の争いが描かれました。ドラマの第3回で薪炭材採取権をめぐる山の権利の争い(入会権紛争)が描かれましたが、今度は海の争い。こうした戦国の村人たちの日常って、歴代の大河ドラマではあまり描かれたことはないと思います。今年の大河は時代考証がしっかりしているので、勉強になります。私はお恥ずかしながら「鉄火起請」という裁判の仕方を初めて知りました。これまでの大河にはあまりなかった、戦国の村人と領主の関係を描くエピソードを挟みながら、源次郎、三十郎、景勝、兼続という登場人物たちの人柄に深みを持たせ、今後の大河のストーリー全体の中でも重要な回になるのでは、と思えるものでした。
上田合戦が終わると信繁が大坂に人質となって行ってしまうので、今後は九度山時代までは、あまり村人たちと接する機会がなくなると思います。今のうちにこういうエピソードを挟んでおいてくれたのはありがたかった。
ただ・・・・満月ごとに漁業権を変えるという程度の裁定だったら、訴訟が泥沼化する以前に、最初に漁民たちが景勝に訴えた時点で、その場で判断を出せたような気もしますが・・・・。まあ、そこはいいか。
ドラマに出してくれると嬉しかったかも知れないのが、景勝の正室の菊姫。武田信玄の娘で勝頼の妹なので、信繁が春日山城で菊姫と会う機会が描かれたら、さぞかし感慨深かったのではないかと・・・。菊姫は昌幸のことも知っていたでしょうから、上杉が真田に援軍を出すにあたって、協力してくれたなんてエピソードもあったかも知れません。
<余談の宣伝>
上杉景勝役の遠藤憲一さんのスタッフのツイッターを見ていたら、いま遠藤さんは、撮影で上田と東京を往復しているとのこと。真田丸の撮影で上田に? と思いきや、上田では別の映画の撮影をしていて、真田丸の撮影で東京に行っているとのことです。舞台と撮影現場が逆転しているわけですね。
で、上田で撮影している映画は何と、上田生まれの病理学者・山極勝三郎の物語なのだそうです。遠藤憲一さんが山極勝三郎役で映画に主演するそうです。映画は今秋にも公開されるそうです。楽しみです。以下参照。
http://mainichi.jp/articles/20160322/ddl/k20/200/004000c
山極勝三郎って、ほとんど誰も知らないと思います。世界で初めて人工的にがんを作り出すことに成功して、ノーベル賞候補だった学者です。
本来は日本初のノーベル賞受賞者になるはずの人でした。人工がんの研究では、1926年にデンマークのフィゲルにノーベル医学生理学賞が与えられていますが、これが後に誤りであることが明らかになったからです。
戦前ノーベル賞候補になった日本人は、他に北里柴三郎、鈴木梅太郎、山極勝三郎などがいました。北里や鈴木はまだそれなりに知名度がありますが、山極勝三郎の場合はなぜか日本人にもあまり知られていません。
上田出身の偉人で評価されているのは真田信繁くらい(苦笑)。山極勝三郎にしても赤松小三郎にしてもその業績のわりに不当に評価が低くて、本当にかわいそうです。派閥をつくらず、一匹狼で行動する、信州人の特質が悪く作用しているといえそうです。
ドラマとしては私は非常に満足しています。最新の研修成果を取り入れて、戦国社会を描くのに成功しているように思えます。『NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック』には時代考証担当者3人の鼎談が載っているのですが、社会の姿をしっかり描くと言うのは当初からの方針で、時系列的にあるいは時代背景としておかしいことには修正が入り、三谷さんも書き直しを嫌がらない人だとありました。ドラマで史実以上にブラックに描かれている回もありますが、ドラマに採用されなかった史実にもびっくりするようなエピソードが多いので、バランスが取れているのではないかと思います。
ちなみに、鼎談では池波氏の『真田太平記』に「樋口角兵衛という、実在はしたようだが、それほど重要とは思われない人物が、物語の中で大きな役割を演じていましたが、今回の『真田丸』では、そういうキャラクターは出てこないようですね。」とあり、歴史家の目から見て、池波ドラマは小説としての人物描写は面白くても、歴史描写としてはいまひとつだったのでしょうね。こちらのブログでも少し批判されておりましたが。海音寺潮五郎が池波氏を評価しなかった(司馬遼太郎を評価した)のも、歴史小説家として時代(江戸中期の市井以外)を描けていない部分があるからではないかと思います。
ドラマの評論をする能力は十分にないので、地元情報を中心に書き込ませていただいております。
今晩は、いよいよ第一次上田合戦で、楽しみです。
>実は私は九度山に近い奈良県に住んでいるのですが
真田親子が九度山に幽閉される段になったらぜひ地元情報などお願いいたします。
私も学生時代は関西在住でしたので、高野山、九度山なども訪れました。奈良もよくいきました。
>池波ドラマは小説としての人物描写は面白くても、歴史描写としてはいまひとつだったのでしょうね
池波さんの「真田太平記」、忍者小説としてはすごく面白いです。しかし、まあ、その部分はフィクションですので・・・・。
30年前のドラマも、真田忍者と甲賀忍者の暗闘の描写に物語の多くの時間が費やされてしまっている分、例えば上杉景勝の真田信繁の心の交流のようなエピソードには時間を割けていませんでした。また、室賀正武のような実在の人物の悲劇も出てきません。
忍者ドラマになったことによる難点は、真田昌幸はあれだけ超人的な忍者集団抱えていたら、もう少し領土広げてもよさそうなのに・・・・と思えてしまうことです。
現実の真田家の小大名ゆえの悲哀ぶりと、忍者たちの超人ぶりに、しっくりこないギャップが残り、そこでリアリティが損なわれてしまっていたようにも思えます。
今回の三谷さん脚本は、歴史的事実の面でリアリティを追及している点で、より評価できると思います。
とはいえ中世においては土地の境界争いや、水源や猟場をめぐる争いというのは両者にとっても死活問題になるんで互いに必死で対立も深刻になるため、この手の争いでもつれて鉄火起請になったようです。
失敗して成敗されたほうの遺体を境界に埋めて目印にしたりした塚がのこっていたり
タイムスクープハンターでも取り上げられてました。あれ面白いんですよね、江戸時代のカツラ屋とか、オナラの身代わり屋とか初鰹をめぐる奉公人たちのあらそいとか
時代劇にはでてこない江戸時代以前にじっさいにあったものをとりあげてて
信長が鉄火起請してるところを通りかかって、乱入して成功させたというエピソードがありますね)
今後ともよろしくお願いいたします。