今回、前半は笑いの連続でしたが、後半はすごく息詰まる展開で、また悲しかった。
視聴者サイドとしては、最後の「黙れこわっぱ」が聞けるものと思って待機していたのですが、そうは問屋がおろしませんでした。見事にウラをかかれてしまったわけです。昌幸と家康の間だけではなく、制作サイドと視聴者サイドのあいだにも「キツネとタヌキの化かし合い」が展開されているわけですね。
源三郎は、室賀さんに「黙れこわっぱ」と言われないように成長していた。視聴者のウラをかくことによって、源三郎の成長の姿が印象づけられました。
室賀さんも源三郎を怒鳴りつけようと待機していたと思いますが、いきなり「室賀さまはいつも肌ツヤがよろしいが・・・」と褒められてしまったら、「黙れこわっぱ!」と言うスキはなかったです。
しかもそこから「肌のツヤがいいのは、もしや浜松のウナギを食べたのでは・・・・」と攻めてくるとは思いませんでした。室賀さんは、最後に「こわっぱ」にやりこめられて、黙らせられてしまった。
室賀さんの最期の描き方もすばらしかったと思います。昌幸の家来になれば生き残れるという選択肢を提示されますが、国衆としてのプライドから、昌幸の家来になることを潔しとしなかった。昌幸と刺し違えようとして、壮絶な最期を遂げられました。
合掌。
今回のドラマそのものが、432年前に亡くなった室賀正武に対する供養になったと思います。春日信達さんの悲劇の回もそうでした。
春日信達も、室賀正武も、全く無名な武将でした。その悲劇的な最期など、ほとんど誰も知らなかったわけです。今回のドラマで初めて彼らの人生が描かれ、そのような歴史的人物がいたことが人々の知るところとなりました。
室賀氏については、室賀郷の人々を除けば、地元の上田の人間もほとんど誰も知りませんでした。上田は真田一色なので、最後まで真田に抵抗した室賀氏の存在は、忘れ去られていました。その室賀氏に脚光が当たったのは地元の人間としてもうれしかった次第です。
P.S. 「室賀温泉ささらの湯」、美人の湯としても名高く、とってもいい湯です。温泉は室賀さんのお屋敷跡地(原畑城)のすぐ隣にあります。室賀さんの供養もかねて是非訪れてみてください。室賀さんの肌ツヤがいいのはウナギではなく温泉の効果だった・・・・かも? 以下参照。
http://www.city.ueda.nagano.jp/nosei/tanoshimu/onsen/sasara/
<背景の史実>
今回のストーリーは、『加沢記』の「室賀合戦の事」の項が元ネタになっています。概略は以下のようなもの。
暗殺未遂事件の前に、小県を統一しようとしていた昌幸がいちど室賀城を攻め、いったん和睦。しかし室賀正武は、真田に屈することを潔しとせず、無念に思っていたとのこと。
天正12年6月に浜松に赴き、「家康公より何卒謀を以て真田を討つべしと仰越され」、昌幸の暗殺を計画。(※『加沢記』は徳川支配の江戸時代に成立した歴史書なのに、堂々と「家康公が真田の謀殺を命じた」と書くところもすごい)
昌幸の調略によりすでに室賀家臣の多くは真田と内通していた。室賀孫右衛門が計画を昌幸に密告。
ただ、信繁の祝言の場というのは、三谷さんの脚色でした。
上方より囲碁名人が来たのを機に昌幸が囲碁大会を開催。そこに室賀殿を招き、真田家臣の長野舎人と木村戸右衛門が太刀を抜き、室賀殿を殺害したとあります。
室賀さんを斬ったのは出浦さんではないようです。
室賀の家臣三名はその場で刀を抜いて大乱闘になったが、真田の手勢は彼らを殺さずに生け捕りにし、三人とも真田家の忠臣になったと書かれています。室賀正武の妻子など親族は甲州に落ちのびていったそうです。
ちなみに室賀正武の子孫は、徳川の旗本になって幕末まで存続しました。権現様の密命を履行しようとして命を落とした正武の子孫を、徳川家も無下には扱わなかったのです。
視聴者サイドとしては、最後の「黙れこわっぱ」が聞けるものと思って待機していたのですが、そうは問屋がおろしませんでした。見事にウラをかかれてしまったわけです。昌幸と家康の間だけではなく、制作サイドと視聴者サイドのあいだにも「キツネとタヌキの化かし合い」が展開されているわけですね。
源三郎は、室賀さんに「黙れこわっぱ」と言われないように成長していた。視聴者のウラをかくことによって、源三郎の成長の姿が印象づけられました。
室賀さんも源三郎を怒鳴りつけようと待機していたと思いますが、いきなり「室賀さまはいつも肌ツヤがよろしいが・・・」と褒められてしまったら、「黙れこわっぱ!」と言うスキはなかったです。
しかもそこから「肌のツヤがいいのは、もしや浜松のウナギを食べたのでは・・・・」と攻めてくるとは思いませんでした。室賀さんは、最後に「こわっぱ」にやりこめられて、黙らせられてしまった。
室賀さんの最期の描き方もすばらしかったと思います。昌幸の家来になれば生き残れるという選択肢を提示されますが、国衆としてのプライドから、昌幸の家来になることを潔しとしなかった。昌幸と刺し違えようとして、壮絶な最期を遂げられました。
合掌。
今回のドラマそのものが、432年前に亡くなった室賀正武に対する供養になったと思います。春日信達さんの悲劇の回もそうでした。
春日信達も、室賀正武も、全く無名な武将でした。その悲劇的な最期など、ほとんど誰も知らなかったわけです。今回のドラマで初めて彼らの人生が描かれ、そのような歴史的人物がいたことが人々の知るところとなりました。
室賀氏については、室賀郷の人々を除けば、地元の上田の人間もほとんど誰も知りませんでした。上田は真田一色なので、最後まで真田に抵抗した室賀氏の存在は、忘れ去られていました。その室賀氏に脚光が当たったのは地元の人間としてもうれしかった次第です。
P.S. 「室賀温泉ささらの湯」、美人の湯としても名高く、とってもいい湯です。温泉は室賀さんのお屋敷跡地(原畑城)のすぐ隣にあります。室賀さんの供養もかねて是非訪れてみてください。室賀さんの肌ツヤがいいのはウナギではなく温泉の効果だった・・・・かも? 以下参照。
http://www.city.ueda.nagano.jp/nosei/tanoshimu/onsen/sasara/
<背景の史実>
今回のストーリーは、『加沢記』の「室賀合戦の事」の項が元ネタになっています。概略は以下のようなもの。
暗殺未遂事件の前に、小県を統一しようとしていた昌幸がいちど室賀城を攻め、いったん和睦。しかし室賀正武は、真田に屈することを潔しとせず、無念に思っていたとのこと。
天正12年6月に浜松に赴き、「家康公より何卒謀を以て真田を討つべしと仰越され」、昌幸の暗殺を計画。(※『加沢記』は徳川支配の江戸時代に成立した歴史書なのに、堂々と「家康公が真田の謀殺を命じた」と書くところもすごい)
昌幸の調略によりすでに室賀家臣の多くは真田と内通していた。室賀孫右衛門が計画を昌幸に密告。
ただ、信繁の祝言の場というのは、三谷さんの脚色でした。
上方より囲碁名人が来たのを機に昌幸が囲碁大会を開催。そこに室賀殿を招き、真田家臣の長野舎人と木村戸右衛門が太刀を抜き、室賀殿を殺害したとあります。
室賀さんを斬ったのは出浦さんではないようです。
室賀の家臣三名はその場で刀を抜いて大乱闘になったが、真田の手勢は彼らを殺さずに生け捕りにし、三人とも真田家の忠臣になったと書かれています。室賀正武の妻子など親族は甲州に落ちのびていったそうです。
ちなみに室賀正武の子孫は、徳川の旗本になって幕末まで存続しました。権現様の密命を履行しようとして命を落とした正武の子孫を、徳川家も無下には扱わなかったのです。
今回は、室賀正武がいったんは昌幸暗殺を断りに浜松まで行き、本多正信に退路を断たれる形で暗殺決行に至る・・・という悲哀が余す所なく描かれていました。今日の描写のように、暗殺を見抜かれた室賀が幼なじみの昌幸への臣従を選び、真田家重臣として明治に至る・・・となれば良いのですが・・・史実を曲げられない作品は辛いですね。
さて、以前のブログ記事で「信繁は大坂入城後に幸村と改名したのではないか」と考察しておられました。
冬の陣の後の休戦期間に、信繁が小山田茂誠父子に送った書状(慶長20年3月10日付)の署名は「真左衛門佐 信繁」となっております。この書状は小山田家の家宝として代々伝えられ、現存します。(平山優「真田信繁」284-285頁)
「信繁が最後まで信繁と名乗っていたことは、確実な史料で証明できる」
以上は、「幸村」は、大坂の陣で信繁が戦死した後に、江戸幕府を憚って創作された諱、と解するのが妥当ではないでしょうか。
今後も、貴ブログを楽しみに拝読いたします。
妻子が落ち延びていくところまで描いてくれるとなおよかったかも知れません。先日、幕末の鳥羽伏見の戦いのことを調べていたら、旗本の室賀甲斐守という名前がありました。きっと室賀さんの子孫でしょうね。
「信繁が最後まで信繁と名乗っていたことは、確実な史料で証明できる」
→ これに関しては、大坂城中では「幸村」と改名していたが、故郷の知人に手紙を出した際には、改名したことを告げず、信繁のままで出していたのではないかと私は思っています。
もっとも確実な史料的根拠はありません。
私の推論の根拠は、信繁の性格なら変えないわけがないという、ただそれだけです。
信之、信伊、信吉、信政、徳川方の親族はみな「信」の字を名乗っていたことから、「信」の字を使い続けると自分は豊臣方から疑われ、親族は徳川方から疑われることになってしまいます。
真田家に迷惑をかけないようにという配慮を最優先にさせてた当時の信繁の感情からすれば、改名したはずであるという推論です。
どこかで新史料が見つからない限り、これを証明することはできませんが・・・・。
てことは、策を弄さずに「押し通した」服部半蔵が終盤になって活きてくるんですかね。
なんてくだらないことですみません。