八ッ場ダム問題が人々の話題から消え去り、国交省の基本高水のウソが暴かれるのか、それとも同省のウソが今後もまかり通るのかをめぐって重要な局面にある今この時も、世間の関心はちっとも盛り上がらない。
このブログを見ている人の中にも「震災に原発事故でそれどころじゃないというのに、200年に1度の利根川の洪水流量が22000立米/秒か、20000か、それとも18000かなんて、たかだか数千の違いじゃないか。そんなの計算誤差の範囲だろう。どーでもいいじゃないか、そんなこと。この人たちはいったい何でこんな議論を延々としているのだろう」と思っておられる方が多いのではないかと思う。
1000立米が血税数千億の浪費に化ける
しかし、たかだか1000の違いが大きいのだ。計算流量が1000立米/秒上がってしまうと、国交省に八ッ場級の治水ダムを二つ建設する口実を与えてしまう。それによって数千億円もの血税がダム建設のために使われることになってしまう。たかだか1000~4000の数字をめぐって、多くの人々が必死になっているのは、それが1兆円単位の血税の行方を左右するからなのだ。
そして国交省がちょっと鉛筆をなめれば、3000や4000の数値は平気で操作できる。今回の基本高水検証でそのことが明確になった。今回の最大の成果は、基本高水などというこんな鉛筆ナメの数字に全く科学的根拠などないし、権威もない。こんな数字に振り回される必要は全くないのだということが明確になったことであろうか。
現在のダム計画は発電にもならない
今回の震災と原発事故を通してこんな意見も大きくなっている。
いわく「原子力の危険性はよく分かった。やはりダムを造って水力発電を振興しよう」。
日本において、水力発電に適したような水量が豊富で落差の激しい場所にはだいたいダムを造り尽くしてしまった。今、全国各地で計画中のダムの主目的は「治水」である。発電用のダムであるのなら、私はこんなにも反対しやしないだろう。
いまだに勘違いしている人が多いのだが、八ッ場ダムは発電用のダムではない。主目的は治水と利水である。しかし治水計算もウソ、首都圏の水需要予測もまったく実態から乖離した法外なウソに基づくものである。
発電に関しては、八ッ場ダムができると従来からある六つの小規模な水力発電所に水が十分に供給されなくなり、発電量は年間の平均で2億kW時以上の電力が失われると試算されている。片や失った電力を補うため、八ッ場ダムからの放流による発電の機能が後から付加されているが、それによって生み出される電力は年間4100万kw時ほど。プラスとマイナスを合わせるとマイナス1億6000kw時。八ッ場ダムは、生み出す電力よりも失われる電力の方が5倍も多いという、この電力不足のご時世にあって、まことに迷惑この上ないシロモノなのだ。
朝日新聞の下記記事参照のこと。
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581105110001
より詳しく知りたい方は八ッ場あしたの会の以下のページ参照。
http://yamba-net.org/modules/problem/index.php?content_id=28
ダムは災害を誘発する
また、こんな意見も増えている。「今回の1000年に1度の震災で、コンクリートによる防災の必要性がよく分かった。やはり数百年に1度規模の災害に備えてダムを造ろう」・・・・。
しかし、今回の震災でも、福島県の藤沼ダムが決壊し、陸の津波となって、8名の死者・行方不明者を出した。ダムは100年も経って老朽化すれば災害の原因にしかならない。
国交省が強調するように、地球温暖化によって降水量そのものが増加しているのは事実である。ならば、なおのことダムによる治水などナンセンスなのである。温暖化で台風が巨大化すれば、ダムの治水容量を上回る降水量も増えるということである。そうなればダムは緊急放流で対処するしかない。緊急放流による急激な増水が災害を生むのである。
洪水時でも河川の流量が徐々に連続的に増えていき、あふれ出す分には、人間には逃げる余裕があるので対処できる。堤防が破堤したり、ダムが緊急放流したり、ダムが決壊したりといった、不連続な変化を生むカタストロフィックな事態になったとき、逃げるヒマもなく死者まで出てしまうのだ。
地球温暖化時代に備えた、死者を減らす治水とは、大熊孝新潟大学名誉教授などが主張するように、被害の相対的に少ない上流部であふれる場所を設け(武田信玄の霞堰の応用)、さらに既存の堤防を強化し、いきなり破堤するという最悪の事態だけを防ぐことだ。破堤しなければ、人々には逃げる時間があるのだから、被害は最小化できるのである。
全国のダムが老朽化し、堆砂で埋まってますます治水の役にも立たなくなっている。ダムは、子や孫の世代にまでハタ迷惑を押し付けるという点で、明確に害悪なのである。
河川局はマイクロ水力発電の振興をする中で組織を維持・強化することを考えるべき
2011年のダム予算は2400億円。この予算を震災復興やマイクロ水力発電の振興に回すべきだ。ダムによる発電の適地はもはやほとんどないが、マイクロ水力発電なら振興の余地は十二分にある。
河川局は、治水も利水もウソの数値をデッチあげて無理やりダムを造ろうとするのではなく、マイクロ水力発電を、自治体や経産省、環境省などと協力しながら推進することを考えるべきだ。そうすれば河川局は社会的支持も得られるだろう。
私はブログを初めてから、アメリカがグリーンニューディールなんて騒ぎ出すはるか前から、エコロジカルニューディールという同趣旨の政策を主張をしてきた。その中で、公共事業は必要だ、国債も増発してよい、ただし公共事業予算は経済波及効果がある新エネルギー部門に重点投入せよ、そうすれば失業を減らし、貧困も減らし、財政破たんも避けられる、そう主張してきた。
河川局が関連する新エネルギーといえば、やはりマイクロ水力発電である。もし河川局が心を入れかえて、ダムではなく、マイクロ水力の振興に真剣に取り組むようになるのであれば、私は河川局の予算を増やせとすら主張するだろう。
河川局から見たって、私のようなケインジアンは、本来味方につけるべき存在のはずである。国交省の真の敵は、公共事業は全てムダだなどと叫ぶ市場原理主義者のはずである。私のような公共事業賛成論者は味方につけねばならないはずだろう。悲しいかな、あまりにも河川局のやることが愚劣だと、市場原理主義者といっしょになってまで国交省を批判したくなってしまうのだ。
このブログを見ている人の中にも「震災に原発事故でそれどころじゃないというのに、200年に1度の利根川の洪水流量が22000立米/秒か、20000か、それとも18000かなんて、たかだか数千の違いじゃないか。そんなの計算誤差の範囲だろう。どーでもいいじゃないか、そんなこと。この人たちはいったい何でこんな議論を延々としているのだろう」と思っておられる方が多いのではないかと思う。
1000立米が血税数千億の浪費に化ける
しかし、たかだか1000の違いが大きいのだ。計算流量が1000立米/秒上がってしまうと、国交省に八ッ場級の治水ダムを二つ建設する口実を与えてしまう。それによって数千億円もの血税がダム建設のために使われることになってしまう。たかだか1000~4000の数字をめぐって、多くの人々が必死になっているのは、それが1兆円単位の血税の行方を左右するからなのだ。
そして国交省がちょっと鉛筆をなめれば、3000や4000の数値は平気で操作できる。今回の基本高水検証でそのことが明確になった。今回の最大の成果は、基本高水などというこんな鉛筆ナメの数字に全く科学的根拠などないし、権威もない。こんな数字に振り回される必要は全くないのだということが明確になったことであろうか。
現在のダム計画は発電にもならない
今回の震災と原発事故を通してこんな意見も大きくなっている。
いわく「原子力の危険性はよく分かった。やはりダムを造って水力発電を振興しよう」。
日本において、水力発電に適したような水量が豊富で落差の激しい場所にはだいたいダムを造り尽くしてしまった。今、全国各地で計画中のダムの主目的は「治水」である。発電用のダムであるのなら、私はこんなにも反対しやしないだろう。
いまだに勘違いしている人が多いのだが、八ッ場ダムは発電用のダムではない。主目的は治水と利水である。しかし治水計算もウソ、首都圏の水需要予測もまったく実態から乖離した法外なウソに基づくものである。
発電に関しては、八ッ場ダムができると従来からある六つの小規模な水力発電所に水が十分に供給されなくなり、発電量は年間の平均で2億kW時以上の電力が失われると試算されている。片や失った電力を補うため、八ッ場ダムからの放流による発電の機能が後から付加されているが、それによって生み出される電力は年間4100万kw時ほど。プラスとマイナスを合わせるとマイナス1億6000kw時。八ッ場ダムは、生み出す電力よりも失われる電力の方が5倍も多いという、この電力不足のご時世にあって、まことに迷惑この上ないシロモノなのだ。
朝日新聞の下記記事参照のこと。
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581105110001
より詳しく知りたい方は八ッ場あしたの会の以下のページ参照。
http://yamba-net.org/modules/problem/index.php?content_id=28
ダムは災害を誘発する
また、こんな意見も増えている。「今回の1000年に1度の震災で、コンクリートによる防災の必要性がよく分かった。やはり数百年に1度規模の災害に備えてダムを造ろう」・・・・。
しかし、今回の震災でも、福島県の藤沼ダムが決壊し、陸の津波となって、8名の死者・行方不明者を出した。ダムは100年も経って老朽化すれば災害の原因にしかならない。
国交省が強調するように、地球温暖化によって降水量そのものが増加しているのは事実である。ならば、なおのことダムによる治水などナンセンスなのである。温暖化で台風が巨大化すれば、ダムの治水容量を上回る降水量も増えるということである。そうなればダムは緊急放流で対処するしかない。緊急放流による急激な増水が災害を生むのである。
洪水時でも河川の流量が徐々に連続的に増えていき、あふれ出す分には、人間には逃げる余裕があるので対処できる。堤防が破堤したり、ダムが緊急放流したり、ダムが決壊したりといった、不連続な変化を生むカタストロフィックな事態になったとき、逃げるヒマもなく死者まで出てしまうのだ。
地球温暖化時代に備えた、死者を減らす治水とは、大熊孝新潟大学名誉教授などが主張するように、被害の相対的に少ない上流部であふれる場所を設け(武田信玄の霞堰の応用)、さらに既存の堤防を強化し、いきなり破堤するという最悪の事態だけを防ぐことだ。破堤しなければ、人々には逃げる時間があるのだから、被害は最小化できるのである。
全国のダムが老朽化し、堆砂で埋まってますます治水の役にも立たなくなっている。ダムは、子や孫の世代にまでハタ迷惑を押し付けるという点で、明確に害悪なのである。
河川局はマイクロ水力発電の振興をする中で組織を維持・強化することを考えるべき
2011年のダム予算は2400億円。この予算を震災復興やマイクロ水力発電の振興に回すべきだ。ダムによる発電の適地はもはやほとんどないが、マイクロ水力発電なら振興の余地は十二分にある。
河川局は、治水も利水もウソの数値をデッチあげて無理やりダムを造ろうとするのではなく、マイクロ水力発電を、自治体や経産省、環境省などと協力しながら推進することを考えるべきだ。そうすれば河川局は社会的支持も得られるだろう。
私はブログを初めてから、アメリカがグリーンニューディールなんて騒ぎ出すはるか前から、エコロジカルニューディールという同趣旨の政策を主張をしてきた。その中で、公共事業は必要だ、国債も増発してよい、ただし公共事業予算は経済波及効果がある新エネルギー部門に重点投入せよ、そうすれば失業を減らし、貧困も減らし、財政破たんも避けられる、そう主張してきた。
河川局が関連する新エネルギーといえば、やはりマイクロ水力発電である。もし河川局が心を入れかえて、ダムではなく、マイクロ水力の振興に真剣に取り組むようになるのであれば、私は河川局の予算を増やせとすら主張するだろう。
河川局から見たって、私のようなケインジアンは、本来味方につけるべき存在のはずである。国交省の真の敵は、公共事業は全てムダだなどと叫ぶ市場原理主義者のはずである。私のような公共事業賛成論者は味方につけねばならないはずだろう。悲しいかな、あまりにも河川局のやることが愚劣だと、市場原理主義者といっしょになってまで国交省を批判したくなってしまうのだ。