最近、自由貿易体制を批判する記事を連発しているので、それに因んでもうちょっと書かせて下さい。10月13日の『日本経済新聞』朝刊の5面に、土谷英夫氏の以下のようなコラムがありました。一部引用します。
**世界危機、歴史に学べば(日経新聞10月13日より)***
(前略)
米国のバブル崩壊は昨年夏にサブプライム問題が表面化するはるか以前から予想されていた。例えば米エコノミストのスティーブン・ローチ氏は「グローバル・リバランシング(世界的な不均衡の調整)」は避けられないと繰り返していた。
ローチ氏は、消費がGDPの七割を超える米国の過剰消費・過小貯蓄体質、その帳尻の空前の経常赤字は持続不可能とした。一方に中国のような過剰貯蓄・過小消費の大経常黒字国があり、米経済の調整は世界を巻き込むと見ていた。
(後略)
************************
こんな見方は、無数の人々がしていたと思います。ただ、日本の愚かなマスコミが、そうした見方を報道してこなかったのです。今までそうした見方を紙面で伝えてこなかったのに、今になってこんな記事を書き始めていることに対し、「何をいまさら」と、私は日本のマスコミに対する怒りを強く持たざるを得ません。
日本のマスコミときたら、「米国の旺盛な個人消費が世界経済のエンジン」「日本は輸出立国。対米輸出こそが景気回復のかなめ」「保護主義者の日本の農家を黙らせて、自由貿易体制をさらに発展させよう」「米国の共和党は自由貿易主義だからよいけど、民主党は保護主義だからダメ」……、まあざっとこんなイデオロギーをまき散らしてきました。「自由貿易は日本の生命線」と叫ぶさまは、「満蒙は日本の生命線」とわめき散らしていた1930年代の日本のマスコミをほうふつとさせるに十分でした。
現実には、「自由貿易による米国の経常収支の不均衡の累積」こそが、今日の世界恐慌を引き起こした根源的理由です。貿易不均衡の累積が、遅かれ早かれ世界的クラッシュをもたらすことなど、分かる人はみな分かっていたのです。砂上の楼閣は、最後には崩れる。最後の砂を誰がのせるのかは大きな問題ではありません。たまたまサブプライムだっただけのことです。それなのに、いまだに多くのマスコミ記事は、「最後の砂」の問題に終始していて、是正すべき全体構造が見えていないのです。
私は、対処療法的な金融規制などでは事足りず、自由貿易体制の誤謬をこそ根本的に改め、国際収支を均衡させなければならないのだと、口を酸っぱくして書き続けてきました。
今回の事態で、破たんしたリーマンの社員や投資アナリストなどが「こんなことになるとは誰も予想できなかった」なんて言っているのを見て「アホか」と思ったものでした。エコノミストは得てして、「木を見て森を見ない」誤謬に陥り、事態を正しく予測することができなくなるのでしょう。私のようなシロートは、証券化がどーだとか、投機のテクニックについてなど何も知りませんが、「木は見てなくても森を見ていた」から正しい予想ができました。私は、サブプライムの「サ」の字も知りませんでしたが(ただし米国の住宅価格がバブルだとは2006年には確信してましたが)、「このままいけば世界恐慌だ」とずーっとこのブログで書き続けてきました。
サブプライム問題など、「引き金」に過ぎないのであって、あんなことがなかったとしても、いずれあれに相当する別のバブルがきっかけで、同じような事態を引き起こしていたに相違ないのです。
情報を隠ぺいし続け、自由貿易システムに対する誤った楽観論に基づく無謬性神話を捏造し続けたのが、日本の愚かなマスコミだったのです。
手前ミソで恐縮ですが、私がこのブログに過去に書いたものをいくつか紹介したいと思います。
***2005年11月17日の記事より******
(前略)
マスコミの論調ときたら、「日本は貿易のおかげで豊かになった。農業のせいでドーハ・ラウンドが行き詰まったら大変だ。農民はわがままを言うな。上限関税を受け入れろ」。全てこんな調子で統一されておりました。あいも変わらずおバカなことですこと。
私に言わせれば、WTOの自由貿易体制こそ、世界的な失業率の高まり、世界的な総需要の減衰と過剰供給によるデフレの進行、そして環境破壊の根本的原因なのです。現行の「自由」貿易体制から、「持続可能で公正な」貿易体制へと転換しないことには、世界資本主義システムそのものが早晩、崩壊するでしょう。
マスコミの皆さんは、資本主義システムを守りたいのではないですか? だったらなおのことドーハ・ラウンドには「待った」をかけねばならないのです。
(後略)
*********************
***2005年12月27日の記事*****
(前略)
これまで、世界の総需要不足を埋めてきた救世主は、アメリカ合州国の貿易赤字でした。世界中の低賃金労働力がせっせと生産した余剰生産物を、莫大な赤字をタレ流しながら吸収してきたのが米国だったのです。その結果、米ドルを印刷する輪転機はフル稼働することになり、世界に必要以上の過剰マネーがバラまかれ、それがカジノ金融によるバブル経済の興隆をもたらしたのでした。
いまやこの体制を終わらせねばなりません。これ以上に米国が赤字をタレ流すことは、いずれ米ドルを紙クズに変質させ、世界大恐慌の引き金になると思われるからです。
(後略)
********************
**2006年1月13日の記事********
(前略)
中国と米国の自由貿易による被害はむしろ中国の方が大きく、中国社会の内部を確実に疲弊させ、不安定化させています。要するに、米国と中国の自由貿易とは、「互いに首を絞めつけあっている」のです。米中両国が、自由貿易システムの根本的欠陥に気付かないで、現在の愚行を繰り返すならば、世界大恐慌は現実化するでしょう。
WTO加盟によって、中国は農産物関税を大幅に引き下げています。結果、穀物の自給体制を維持できなくなって、輸入穀物への依存体質を強めています。米国の穀物メジャーはそれで喜んでいるのですが、それが逆にブーメランのように米国の工業部門を苦しめているのが現実なのです。
(後略)
********************
***2006年1月27日の記事*******
(前略)
日本は、この紙キレ(注:米ドル)を継続して手に入れようとするがあまり、米国の「構造改革」要求を着実に受け入れざるを得なくなり、自国の伝統文化の核心である農業と農村を着実に破壊し、社会の安定性や安全性も犠牲にし、ボロボロにされてしまったのです。まさに米国は、「肉を切らせて骨を断つ」戦略によって、日本の破壊に成功してきたといえるかも知れません。ですから私は、「これ以上、米国から貿易黒字を得ようとすべきではない」と声高に主張するわけです。
(中略)
さて、解決策はあるでしょうか。米国政府も中国政府もともにアホでないのなら、米国は中国の工業製品に対し50%の関税を、そして中国は米国の穀物に対して50%の関税を相互にかけ合うという紳士協定でも結ぶべきだと思います。
(後略)
***(以上で引用すべて終わり)*************
さて最後に、昨日(10月15日)日経新聞の夕刊の一面に面白いコラムがありました。作家の長部日出雄氏が、自由貿易批判をしていたのです。そのコラムの内容は、リカードの自由貿易論に対し、敢然と異議を唱え幼稚産業保護論を展開したドイツのフリードリッヒ・リストを評価する内容でした。その文章は、「この忘れられた経済学者(リストのこと)を改めて見直す必要があるのでは・・・・・と、経済学の素人としては考える」と締めくくられていました。拍手を送ります。
以前の日経新聞だったら、こんな投稿は検閲して載せなかっただろうと思います。事実、私の知り合いの経済学者など、何年か前に自由貿易がいかに環境を破壊しているのかを論じた文章を日経新聞の経済教室に送っても、鼻で笑われて取り扱ってもらえなかったそうです。私も、たしか1997年のことでしたが、朝日新聞の「声」欄に、「自由貿易が世界の熱帯林を破壊している」と訴えた投稿をしたことがありましたが、それから2~3日後に同新聞の社説で、私の投稿に反論されたのでした。
まさにイデオロギーに凝り固まった人々というのは「見ザル、聞かザル」です。こと自由貿易の問題に関しては、この国に言論の自由などありませんでした。「自由」を冠した、実質的なファシズムだったといえるでしょう。
まあ、それから思えば、日経新聞がこうした投稿を載せるようになっただけでも、「進歩」といえるでしょう。
しかしマスコミに言いたいのは、自己批判せずに方向を転換するのは卑怯だということです。ちゃんと自己批判してケジメをつけなさい。
昨日の長部氏のコラムでも、イギリスが押し付けたリカードの自由貿易論が、いかにインド経済を徹底的に破壊し、インドを貧困に陥れたのかという歴史的事実を描写していました。そうした歴史的事実を知っている常識的な経済シロートは、とても経済学者がこぞって讃美する自由貿易が正しいなどとは思えなくなるのです。そして、そのシロート感覚こそ正しいのです。
今こそ経済学の素人が、良識にのっとった反乱を起こす必要があります。新古典派経済学者に共通する問題として、彼らは歴史をまったく知りません。歴史を知らない者のみが、あのカルト的教義を信仰できるようになるのです。
先日、スウェーデン銀行賞を受賞したポール・クルーグマンの収穫逓増を組み込んだ経済地理学的貿易理論は、本来は、フリードリッヒ・リストの幼稚産業保護論にも理論的根拠を与える内容なのです。
しかしクルーグマン本人は、自分の収穫逓増理論が、新古典派からは忌避される異端のリストの議論を正当化する根拠になってしまうことに気づいて、主流に留まるために途中で引き返して自由貿易の擁護に回ったのでした。
**世界危機、歴史に学べば(日経新聞10月13日より)***
(前略)
米国のバブル崩壊は昨年夏にサブプライム問題が表面化するはるか以前から予想されていた。例えば米エコノミストのスティーブン・ローチ氏は「グローバル・リバランシング(世界的な不均衡の調整)」は避けられないと繰り返していた。
ローチ氏は、消費がGDPの七割を超える米国の過剰消費・過小貯蓄体質、その帳尻の空前の経常赤字は持続不可能とした。一方に中国のような過剰貯蓄・過小消費の大経常黒字国があり、米経済の調整は世界を巻き込むと見ていた。
(後略)
************************
こんな見方は、無数の人々がしていたと思います。ただ、日本の愚かなマスコミが、そうした見方を報道してこなかったのです。今までそうした見方を紙面で伝えてこなかったのに、今になってこんな記事を書き始めていることに対し、「何をいまさら」と、私は日本のマスコミに対する怒りを強く持たざるを得ません。
日本のマスコミときたら、「米国の旺盛な個人消費が世界経済のエンジン」「日本は輸出立国。対米輸出こそが景気回復のかなめ」「保護主義者の日本の農家を黙らせて、自由貿易体制をさらに発展させよう」「米国の共和党は自由貿易主義だからよいけど、民主党は保護主義だからダメ」……、まあざっとこんなイデオロギーをまき散らしてきました。「自由貿易は日本の生命線」と叫ぶさまは、「満蒙は日本の生命線」とわめき散らしていた1930年代の日本のマスコミをほうふつとさせるに十分でした。
現実には、「自由貿易による米国の経常収支の不均衡の累積」こそが、今日の世界恐慌を引き起こした根源的理由です。貿易不均衡の累積が、遅かれ早かれ世界的クラッシュをもたらすことなど、分かる人はみな分かっていたのです。砂上の楼閣は、最後には崩れる。最後の砂を誰がのせるのかは大きな問題ではありません。たまたまサブプライムだっただけのことです。それなのに、いまだに多くのマスコミ記事は、「最後の砂」の問題に終始していて、是正すべき全体構造が見えていないのです。
私は、対処療法的な金融規制などでは事足りず、自由貿易体制の誤謬をこそ根本的に改め、国際収支を均衡させなければならないのだと、口を酸っぱくして書き続けてきました。
今回の事態で、破たんしたリーマンの社員や投資アナリストなどが「こんなことになるとは誰も予想できなかった」なんて言っているのを見て「アホか」と思ったものでした。エコノミストは得てして、「木を見て森を見ない」誤謬に陥り、事態を正しく予測することができなくなるのでしょう。私のようなシロートは、証券化がどーだとか、投機のテクニックについてなど何も知りませんが、「木は見てなくても森を見ていた」から正しい予想ができました。私は、サブプライムの「サ」の字も知りませんでしたが(ただし米国の住宅価格がバブルだとは2006年には確信してましたが)、「このままいけば世界恐慌だ」とずーっとこのブログで書き続けてきました。
サブプライム問題など、「引き金」に過ぎないのであって、あんなことがなかったとしても、いずれあれに相当する別のバブルがきっかけで、同じような事態を引き起こしていたに相違ないのです。
情報を隠ぺいし続け、自由貿易システムに対する誤った楽観論に基づく無謬性神話を捏造し続けたのが、日本の愚かなマスコミだったのです。
手前ミソで恐縮ですが、私がこのブログに過去に書いたものをいくつか紹介したいと思います。
***2005年11月17日の記事より******
(前略)
マスコミの論調ときたら、「日本は貿易のおかげで豊かになった。農業のせいでドーハ・ラウンドが行き詰まったら大変だ。農民はわがままを言うな。上限関税を受け入れろ」。全てこんな調子で統一されておりました。あいも変わらずおバカなことですこと。
私に言わせれば、WTOの自由貿易体制こそ、世界的な失業率の高まり、世界的な総需要の減衰と過剰供給によるデフレの進行、そして環境破壊の根本的原因なのです。現行の「自由」貿易体制から、「持続可能で公正な」貿易体制へと転換しないことには、世界資本主義システムそのものが早晩、崩壊するでしょう。
マスコミの皆さんは、資本主義システムを守りたいのではないですか? だったらなおのことドーハ・ラウンドには「待った」をかけねばならないのです。
(後略)
*********************
***2005年12月27日の記事*****
(前略)
これまで、世界の総需要不足を埋めてきた救世主は、アメリカ合州国の貿易赤字でした。世界中の低賃金労働力がせっせと生産した余剰生産物を、莫大な赤字をタレ流しながら吸収してきたのが米国だったのです。その結果、米ドルを印刷する輪転機はフル稼働することになり、世界に必要以上の過剰マネーがバラまかれ、それがカジノ金融によるバブル経済の興隆をもたらしたのでした。
いまやこの体制を終わらせねばなりません。これ以上に米国が赤字をタレ流すことは、いずれ米ドルを紙クズに変質させ、世界大恐慌の引き金になると思われるからです。
(後略)
********************
**2006年1月13日の記事********
(前略)
中国と米国の自由貿易による被害はむしろ中国の方が大きく、中国社会の内部を確実に疲弊させ、不安定化させています。要するに、米国と中国の自由貿易とは、「互いに首を絞めつけあっている」のです。米中両国が、自由貿易システムの根本的欠陥に気付かないで、現在の愚行を繰り返すならば、世界大恐慌は現実化するでしょう。
WTO加盟によって、中国は農産物関税を大幅に引き下げています。結果、穀物の自給体制を維持できなくなって、輸入穀物への依存体質を強めています。米国の穀物メジャーはそれで喜んでいるのですが、それが逆にブーメランのように米国の工業部門を苦しめているのが現実なのです。
(後略)
********************
***2006年1月27日の記事*******
(前略)
日本は、この紙キレ(注:米ドル)を継続して手に入れようとするがあまり、米国の「構造改革」要求を着実に受け入れざるを得なくなり、自国の伝統文化の核心である農業と農村を着実に破壊し、社会の安定性や安全性も犠牲にし、ボロボロにされてしまったのです。まさに米国は、「肉を切らせて骨を断つ」戦略によって、日本の破壊に成功してきたといえるかも知れません。ですから私は、「これ以上、米国から貿易黒字を得ようとすべきではない」と声高に主張するわけです。
(中略)
さて、解決策はあるでしょうか。米国政府も中国政府もともにアホでないのなら、米国は中国の工業製品に対し50%の関税を、そして中国は米国の穀物に対して50%の関税を相互にかけ合うという紳士協定でも結ぶべきだと思います。
(後略)
***(以上で引用すべて終わり)*************
さて最後に、昨日(10月15日)日経新聞の夕刊の一面に面白いコラムがありました。作家の長部日出雄氏が、自由貿易批判をしていたのです。そのコラムの内容は、リカードの自由貿易論に対し、敢然と異議を唱え幼稚産業保護論を展開したドイツのフリードリッヒ・リストを評価する内容でした。その文章は、「この忘れられた経済学者(リストのこと)を改めて見直す必要があるのでは・・・・・と、経済学の素人としては考える」と締めくくられていました。拍手を送ります。
以前の日経新聞だったら、こんな投稿は検閲して載せなかっただろうと思います。事実、私の知り合いの経済学者など、何年か前に自由貿易がいかに環境を破壊しているのかを論じた文章を日経新聞の経済教室に送っても、鼻で笑われて取り扱ってもらえなかったそうです。私も、たしか1997年のことでしたが、朝日新聞の「声」欄に、「自由貿易が世界の熱帯林を破壊している」と訴えた投稿をしたことがありましたが、それから2~3日後に同新聞の社説で、私の投稿に反論されたのでした。
まさにイデオロギーに凝り固まった人々というのは「見ザル、聞かザル」です。こと自由貿易の問題に関しては、この国に言論の自由などありませんでした。「自由」を冠した、実質的なファシズムだったといえるでしょう。
まあ、それから思えば、日経新聞がこうした投稿を載せるようになっただけでも、「進歩」といえるでしょう。
しかしマスコミに言いたいのは、自己批判せずに方向を転換するのは卑怯だということです。ちゃんと自己批判してケジメをつけなさい。
昨日の長部氏のコラムでも、イギリスが押し付けたリカードの自由貿易論が、いかにインド経済を徹底的に破壊し、インドを貧困に陥れたのかという歴史的事実を描写していました。そうした歴史的事実を知っている常識的な経済シロートは、とても経済学者がこぞって讃美する自由貿易が正しいなどとは思えなくなるのです。そして、そのシロート感覚こそ正しいのです。
今こそ経済学の素人が、良識にのっとった反乱を起こす必要があります。新古典派経済学者に共通する問題として、彼らは歴史をまったく知りません。歴史を知らない者のみが、あのカルト的教義を信仰できるようになるのです。
先日、スウェーデン銀行賞を受賞したポール・クルーグマンの収穫逓増を組み込んだ経済地理学的貿易理論は、本来は、フリードリッヒ・リストの幼稚産業保護論にも理論的根拠を与える内容なのです。
しかしクルーグマン本人は、自分の収穫逓増理論が、新古典派からは忌避される異端のリストの議論を正当化する根拠になってしまうことに気づいて、主流に留まるために途中で引き返して自由貿易の擁護に回ったのでした。
知り合いに「日本は鎖国すべきだ」と極論を述べた人がいました。それに対して「確かに共感できる部分もありますが、実際鎖国して生きられる日本人は江戸時代の人口(3千万?)あたりが精一杯のところではないか?」と反論した覚えがあります。
今自由貿易をやめ、管理貿易になればそれこそ前の世界不況のようにブロック経済みたいなものになって、結果的に鎖国状態みたいにならないだろうかという危惧をおぼえます。
国際関係は各国のエゴがぶつかり合うところ、日本の外交力を考えてみても自由貿易をやめるという選択は大きな危険性があるように思います。
それよりも規制緩和を止め、むしろ規制を増やす。金融機関を護送船団方式に戻す。株の持ち合いを大幅に増やし、株の流動性を抑えるなどの昔の状態に戻す方が先決だと思うのですが、いかがですか?
私の言う「公正で持続可能な管理貿易」とは、「関税や黒字国への課徴金といった手法により、貿易収支を均衡させるように国際的に調整するシステム」の意味です。
自由貿易に反対というと、すぐに「では鎖国か?」などという極論を対置されて、反論されることが多いのですが、全く違います。
自由貿易は必ず不均衡の拡大をもたらし、今回のような恐慌の原因になる。だから、貿易しながらも不均衡を調整するような国際的管理が必要だということです。
また農業に関しては、飢餓を防ぎ、水資源を保全し、地球温暖化を防ぐためにも、どうしても各国の食糧自給の権利を、貿易に優先させるという原則の確立が必要になります。
1930年代のブロック化のようには決してなりません。1930年代の悲劇は、国際的な話し合いを抜きにして、米国が他の国の了解を得ずに一方的に関税を引き上げたことが原因でした
まさに米国の独善的単独行動主義は当時からであり、それが悲劇の発端になりました。ドイツや日本を追い込んだのも、そうした米国の独善性に原因があったといえます。
今回は、不均衡の拡大を許するまさに国際貿易そのものが持続できなくなるという了解の上で、国際貿易を長期に持続させるためにこそ各国が譲るべきは譲って適切な関税水準を設定し、調整していこうということです。
あくまでやみくもに関税撤廃を叫ぶのに反対ということなのです。
昔の状態は、まさに、ゆるやかなGATT体制のもとで、適度な関税水準を許し、農作物の自給にも配慮し、途上国がある程度の産業保護も許すものでした。昔は、何が何でも関税撤廃だという、今日のような狂気の沙汰のような自由貿易原理主義とは違った体制でした。
国際貿易をそういうモデレートな状態に戻してこそ、はじめて護送船団や株式持合いやその他の規制強化も可能になると思います。
米国が金融暴力国家になったのも、過去日本が洪水のように工業製品を輸出したこともあるように思います。そう言えば昔、フランス大統領が日本の総理を「トランジスターのセールスマン」と皮肉ったこともあったと聞いております。ヨーロッパも同様な被害者なんでしょう。中国はその過去の日本を追いかけているような気がしています。
欧米はすでに物づくりについては一部の高級製品や軍事関係を除いてあきらめているのではないでしょうか?欧米人は日本人をウサギ小屋に住む仕事中毒者と捉えまともに戦って勝てない。勝とうとすれば彼らと同じ土俵に立って勝負しなければならない。そこには人間らしい生活が失われる。そう思い懇談のではないでしょうか。そして発展をのぞむ中国はじめとした新興国は昔の日本をモデルとして猛烈に成長路線を突っ走りはじめた。このままではじり貧となってしまう。ならば得意の外交力を使いグローバルスタンダードの名の下に金融面で彼らと対抗しよう。そんなところからはじまったような気がしてなりません。もしそうなら関様がおっしゃる「国際貿易をそういうモデレートな状態にもどす」ということは彼らの没落につながりかねないと考えてしまうのではないでしょうか。それを説得するには大変な外交力を要求されると思います。とても今の日本政府では望めないのではないでしょうか。また中国やインドも支持しないでしょう。支持する国は総じて金融暴力を肌身に感じている弱小国家だけのような気がします。それらの声をまとめ利害関係を調整するには全く不可能だと思いませんが、かなり困難であるのも事実でしょうね。
彼らは金融工学を使って、自分たちはキリギリスに徹する外交で生きようとしています。彼らの外交力には全く歯が立たないのが現状だと思います。
それと現在の自民や民主ではダメでしょう。国新(イデオロギーでは反対ですが)の政治理念が大きく伸びないとダメだと思います。
ちなみに私は個人的には社民党を応援したいのですが、経済、外交など800%無理でしょう。
鋭い指摘ありがとうございました。確かにたいへんな外交努力が必要ですね。外交の前に、日本には経団連という自由貿易立国論の大勢力があり、政府は彼らをまず説得せねばなりませんが、そこからして難しい…。
そうすると恐慌が深化して、アメリカの金融業も日本や中国の製造業もみなボロボロになり、「このままじゃ共倒れだ」という最終局面になって初めて妥協が成立する、ということになるのかも知れません。
ご指摘の通り、危機を未然に防ぐのは容易なことではありませんね。しかし、とりあえず正論は正論として訴え続けるしかないとは思います。
オバマが大統領になれば、自由貿易の見直しには動くでしょう。関税論も米国内で強くなると思います。そこで日中は協力して、米国に身勝手なことをさせないよう話し合って、お互いの産業を保護し、雇用を維持するための関税水準を互いに譲歩しながら決めていく必要があると思います。
たしかに自民も民主も市場原理主義者が多すぎますね。まあ、一度自民を下野させた上で、しばらくすれば民主党内にも亀裂が出て、政界大再編劇が始まるのではないでしょうか。その時に、国民新党や社民党の社民主義的な価値観が伸びる余地はあると思います。
共産党は、マルクス教条主義から脱却しないとダメですね。あまりにも、カビの生えたイデオロギーに固執しすぎてますので…。
貿易収支が大幅な赤字でも食って行けるんですからね。
それがまた日本をここまで追い込んだ原因でもあります。
対米貿易で稼いだ以上の金額を環流させられていますから。
保護貿易主義的なオバマ政権になれば少しは変わると期待しています。
日本はどうしても内需転換せざるを得なくなると思いますからね。
だけどそれを邪魔するのがマスコミであります。
今でもばら撒き批判に余念がないですからね。
規制業種の筆頭格でありながらですw
日本の最大の敵はマスコミとその背後にいる勢力なんじゃ無いでしょうかね。
その為にバブルを起こしたとも言えますね。
それから日本の外需依存率ですが、90年には確か15%ほどじゃあ無かったでしょうか。
それが96年には9%にまで下がっておりますね。
ところが小泉改革後の07年度には再び16%に急増しております。
小泉が訪米した際に結んだとされる日米投資イニシアチブには、はっきりと日本が米国市場頼みになるような要求が入っておりますね。
これに基づいた内需切り捨ての為の改革だったように思います。
今までの対日要求=貿易不均衡の是正と違うのは、90年代以降、日本が対米黒字以上に米国に貢いでるからだと思われます。
外貨準備金による米国債や米国証券買いですね。
一説によるとこれが600兆円ほどあるそうですから。
平たく言えば米国への朝貢金ですね。
この構造が確立されてから米国は貿易不均衡是正や内需拡大を日本に求め無くなりました。
最近では、表に出ない部分、いわゆる株主利益や生保、あるいは金融業で日本から相当な利益を環流させていますしね。
対米黒字が確か8兆円でしたっけ?
それに対して生保業界だけでも5兆円を本国に還流させてると言われてますね。
全部で一体どれくらい環流されてるんでしょうかね?
外貨準備金の一部でも日本に投資していればここまで悲惨な状況にはならなかったでしょう。
本来なら米国民が納税する分を日本人が肩代わりしてるんですからね。
極端な話、外貨は資源や食糧を買う分+αあれば十分だと思いますね。
今のように100兆円も積み上げても無意味でしょう。
有意義に使えません。
話は変わりますが、オバマ氏のブレーンにはあのクリントン政権のブレーンが入りそうです。
これは日本に取っては最悪でしょうね。
オバマ政権といかに対峙すべきか、新しい記事をアップしました。