代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

上田城界隈にはまだまだ見どころ満載

2016年05月22日 | 真田戦記 その深層
 GW中に上田に帰省したところ、いまだ見たことのない、観光客の波が・・・・・・。
 上田城の前を通ると、観光客の大軍勢。上田城にこれだけの人の波が押し寄せたのは、関ケ原の折に徳川軍3万8000人に攻められて以来なのでは・・・・などと思ってしまった。ああ、これも今年一年だけの現象なのでしょう・・・・。

 しかし、どうやら観光客は上田城に集中している。そこで「真田丸」に関係して、上田城から歩いて行ける範囲の名所をいくつか紹介させていただきます。上田城など主な場所は観たという皆さま、ぜひリピーターとなって、以下のようなマイナーな場所も見てやってください。上田は一回だけでは見切れません!!





★芳泉寺 小松姫(稲)の墓  

 真田信幸の正室で本多忠勝の娘・小松姫(稲)のお墓があります。GW中、ふだんはひっそりとしている小松姫のお墓にも観光客がいるかな・・・・・と思ってのぞいてみると、老夫婦が一組いただけでした。上田城にはあんなに人がいるのに、ここまでは流れて来ないんだなあとちょっとがっかり。上田城から歩ける距離です。上田城から芳泉寺に通じる「歴史の散歩道」は、武家屋敷が並ぶ一角があって、江戸時代にタイムスリップしたかのような情緒もあります。


 小松姫のお墓と仙石秀久の霊廟


 左が小松姫のお墓で、右側は仙石権兵衛秀久の霊廟。仙石氏は、真田氏に代わって上田城主になったのでその縁です。小松姫と仙石秀久が並んでいるというのも、何か不思議な因縁です。情緒ある、とっても良い雰囲気のお寺です。
 ちなみに私は小学生のときに境内で鬼ごっこをやっていて、境内を荒らしたと和尚さんにこっぴどく怒られた経験があります。その時に、説教のついでも小松姫の話を滔々と聞かされたものでした。


★大輪寺 昌幸正室、信幸・信繁の母の山之手殿(薫)の墓

 信幸・信繁の母上のお墓は大輪寺にあります。上田城からちょっと歩きます。1.5kmほどなので、歩けない距離ではないですが、自転車を借りればより行きやすいと思います。河岸段丘の上の、市内を一望できる見晴らしのよい場所です。
 
 このお寺をこの場所に移したのも母上の発願によるものだそうです。このお寺、上の地図を見ていただければわかりますが、ちょうど上田城の鬼門に当たる方向の小高い丘の上にあります。母上は、亡くなられて以降も鬼門から上田の街を見下ろして、400年間、上田を守護しておられます。京の高貴な公家の出でありながら、上田に骨を埋め、上田を守って下さっている。さすが「日の本一の兵」の母上です!
 ちなみに私は、小学生のときこの墓地の周辺で昆虫採集をして遊んでいましたが、山之手殿の墓前で手をあわせたことはありませんでした・・・・。



 真田信幸・信繁の母上のお墓


 
 大輪寺の山門 すばらいい建築です。鬼瓦には六文銭が彫られています。



★月窓寺 真田信繁ゆかりの寺、赤松小三郎の遺髪墓も

 大河ドラマ第13回「決戦」の「紀行」で紹介されていた月窓寺。ドラマの「紀行」で紹介されたので、ここは人がいるかなと思ってのぞいてみたら、近所の方が犬の散歩をしているだけで、観光客は誰もおりませんでした。
 真田信繁が再興したと伝わり、また赤松小三郎の遺髪墓があるのもこのお寺です。

 
 真田信繁ゆかりの月窓寺の門


★本陽寺 仙石家の菩提寺 上田藩主屋敷の玄関も

 月窓寺のすぐ隣にある本陽寺。真田家に代わって上田城主となった仙石氏の墓所があります。また写真にあるお寺の玄関は、江戸時代の上田藩主屋敷の玄関を移築したものです。


 本陽寺玄関 (旧上田藩主屋敷玄関)


★赤松小三郎生誕地 北国街道柳町の裏

 城下町の街並みがよく残る北国街道柳町には観光客がたくさん来ていました。(下の写真)
  
 
 北国街道柳町界隈

 しかし、そこから二つ通りを隔てたところにある赤松小三郎生誕地には観光客は誰もおりませんでした。やはり・・・・・。
 来年は赤松小三郎が暗殺されて150周年です。柳町からちょっと足を伸ばしてみていただければ幸いです。


 赤松小三郎生誕地
 

★山極勝三郎博士生誕地

 山極勝三郎って誰??って感じだと思いますが、幕末の上田に生まれ、世界で初めて人工的にがん細胞を増殖させることに成功した病理学者です。今秋、上杉景勝役の遠藤憲一さん主演で山極勝三郎を主人公とする映画が公開されるそうです。あの景勝公の遠藤さんなら、山極博士もかなり適役になるであろうと期待できます。それにあわせて是非訪れてみてください。

 山極勝三郎博士は、ノーベル賞候補ともなり、本来は、日本初のノーベル賞をもらうはずでしたが・・・・。赤松小三郎同様、山極博士も不遇でした。

 現在の京大総長の山極壽一さんも、山極勝三郎博士の親戚筋にあたるそうです。

 いまでも山極勝三郎博士が生まれた生家(江戸時代の武家屋敷)の一部はそのまま残されています。


 山極勝三郎博士の生家



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (oldboy浮雲)
2016-06-13 11:08:33
勝手にブログにリンクさせていただきました。
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リンク感謝申し上げます ()
2016-06-14 23:15:20
 リンクしていただきありがとうございました。
 来年は赤松小三郎が暗殺されて150周年になります。真田の次には赤松小三郎のスポットが当たるよう、がんばってまいりたいと存じます。
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