代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

自由貿易への代替案 -世界最低賃金制度の導入-

2005年12月27日 | 自由貿易批判
 本年11月17日に「自由貿易の何がいけないのか?」という文章をエントリーしたところ、けっこう多くの反響がありました。その続きを書きます。先のエントリーでは、Chic Stoneさんとのあいだで「自由貿易への代替案は?」という議論になりました。私は、当面有効だと思うやり方として、「国際的最低賃金制度の導入」と「貿易黒字国、赤字国双方に対して課徴金制度を導入し、貿易不均衡を取り締まる」という提言を行ないました。この二つの提言は、リチャード・ダンカン氏が『ドル暴落から、世界不況が始まる』(日本経済新聞社、2004年)という本で提起したものです。ダンカン氏は、元IMFのコンサルタントも勤めていたのに現行の自由貿易に反対しているという異色のエコノミストです。私も、自由貿易を修正する代替案として、このダンカン氏の二つの提起を実施に移すべきだと考えています。

 自由貿易の弊害として、世界中でますます多くの人々が認識するようになっている事実として「国際的賃金水準の低下」があります。
 自由貿易に代わる管理貿易体制の構築を以前から強く訴えていたフランスの人類学者のエマニュエル・トッド氏は著書で次のように述べています。

<引用開始>
 自由貿易は、地理的にも、文化的にも、心理的にも供給を需要から切り離す。A国の生産者とB・C・D・E国の消費者が結びつけられ、逆の関係にもなる。企業家および国からみれば、全体需要(Dg)は、国内需要(Di)と国外需要(Dx)に分けられる。すなわち、Dg=Di+Dx。賃金を支払うことにより国民規模の総需要に貢献しているという感情を企業家がもはやもたなくなる世界を、自由貿易は作り上げる。賃金は、世界レベルで集計された場合はアクセス不能な抽象値でしかなく、もはや企業家にとって、出来るだけ圧縮するという関心しかない生産費用にすぎない。
 (中略)
 貿易に関するアメリカの経済教科書を読むと、自由貿易が生産性によい結果をもたらすことが尽きることなく書いてあるが、需要に与える意味については、判で押したように何も書いていない。
 エマニュエル・トッド(平野泰朗訳)『経済幻想』(藤原書店、1999年)、190-191頁。
<引用終わり>

 このような小学生にも分かる理屈を、あえて人類学者が大きな声で叫ばなければいけないほど、現代の経済学は知的貧困状況にあると、私は思います。
 自由貿易によって、確かに生産性が向上し、安い商品が世界市場に大量にあふれるようになります。しかし生産者が国外需要にばかり関心を持つようになると、内需を軽視しながら国際競争力のみ優先するようになるので、国内の賃金水準は圧縮され、世界レベルで集計された<世界総需要>を減衰させていくのです。その結果、世界レベルでの需要が供給に追いつかず、過剰供給のデフレスパイラルが進行するようになります。
 20世紀初頭には、一国の中でこのような問題が深刻化しました。その結果、労働運動が高揚し、各国政府に対して最低賃金制度や労働時間の短縮などを実現させ、一国内での需要と供給を均衡させる術を見出していったのです。
 ところが、WTOの発足に伴うグローバルな市場原理主義体制になってからというもの、労働者の権利がないがしろにされ、雇用と賃金が脅かされ、総需要の圧縮が世界規模で現実化しているのです。
 しかも、世界でも最も低い賃金水準を維持し、世界にデフレ圧力を与えているのが社会主義国の中国だと知ったら、あの世のマルクスも卒倒するでしょう。
 
 これまで、世界の総需要不足を埋めてきた救世主は、アメリカ合州国の貿易赤字でした。世界中の低賃金労働力がせっせと生産した余剰生産物を、莫大な赤字をタレ流しながら吸収してきたのが米国だったのです。その結果、米ドルを印刷する輪転機はフル稼働することになり、世界に必要以上の過剰マネーがバラまかれ、それがカジノ金融によるバブル経済の興隆をもたらしたのでした。
 
 いまやこの体制を終わらせねばなりません。これ以上に米国が赤字をタレ流すことは、いずれ米ドルを紙クズに変質させ、世界大恐慌の引き金になると思われるからです。
 この危機を回避するためにリチャード・ダンカン氏が提起しているのが、以下の二つの政策なわけです。

(1)国際的最低賃金制度の導入
 自由貿易の結果、「最低水準への競争」が始まって、賃金水準もどんどん低下しています。その一方で、貧しい途上国の購買力不足により、世界は過剰供給状態に陥っています。米国の貿易赤字政策による余剰生産物の吸収能力も、もう限界なのです。
この悪循環を断ち切るためには、途上国の賃金水準を世界統一基準によって上昇させ、世界規模での有効需要を高めて、需給ギャップを解消させる必要があるのです。ダンカン氏は、とりあえず途上国の輸出企業の賃金水準を、現在の平均4ドル/日から、10年計画で14ドル/日程度にまで上昇させるよう、提言しています。それによって、米国が貿易赤字をタレ流すことができなくなっても、世界の需給を均衡させるように持っていけるわけです。

(2)貿易赤字国と貿易黒字国への課徴金制度の導入
 これは貿易紛争を回避し、世界経済を安定化させるために、そもそもケインズが提起したアイディアです。
 日本の農産物市場に対し、関税引き下げ圧力が強まるのは、日本が貿易黒字で儲けすぎているからです。日本は農業で妥協しさえすれば、貿易紛争の問題は解決するかのように主張するマスコミが多いのですが、全くの誤りです。かりに日本の食糧自給率がゼロになって、すべての農産物を米国から輸入したとしても、なおかつ米国の貿易赤字体質は修正されず、日本はなおかつ米国から黒字を得るでしょう。 基本的に農業で儲けることなど不可能だからです。これは、農業という産業の収穫逓減的性格によるのですが、経済学者はこの事実を全く無視しています。

 それ故、仮に農業を完全自由化したとしても、その後においても、米国の赤字は減らず、怨念に燃える米国はひたすら日本を叩きつづけるでしょう。米国の赤字体質を生み出す、構造問題は、日本にあるのではなく米国にあるのです。

 これまで米国は、日本が「構造改革」しさえすれば、米国の対日貿易赤字は減少し、貿易摩擦はなくなるかのように主張し続けました。しかし現実には、日本が米国に従って「構造改革」すればするほど、米国の貿易赤字は膨らんできました。「構造問題」は、日本にあるのではなく、米国にあるのです。他人に責任を押し付けるのもいい加減にしなさいと言いたいです。

 そこで、貿易黒字国や赤字国への課徴金制度が必要になってきます。黒字で儲けようとするインセンティブがなくなってしまえば、自然に貿易摩擦もおさまり、日本農業への風当たりも止むでしょう。これは、日本にとって不利益になると思われるかも知れませんが、決してそのようなことはありません。
 日本企業の目を、国外需要から国内需要へと転換させることになり、労働条件も賃金水準も今よりはるかに改善され、日本社会は安定を取り戻すでしょう。「年次改革要望書」などという米国による日本破壊工作も収まるでしょう。国の主権は回復されるのです。何よりも、かけがえのない稲作文化を守ることができるのです。

 さて、以上のような政策は、グローバルなケインズ主義あるいはグローバルな社民主義に基づくものです。私はブログの中で、「反市場原理主義、反マネタリズム、反サプライサイダー」の立場は鮮明にしていますが、「反グローバリズム」とは書いてきませんでした。私は「グローバルな市場原理主義」には反対ですが、「グローバルな社民主義」は支持するからです。グローバルな社民主義は、各国の主権も伝統文化も、いまよりももっと尊重する体制になるでしょう。ナショナリズムを訴える方々にとっても受け入れ可能になると思います。


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12 コメント

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赤字国への課徴金って (酔狂人)
2005-12-28 00:24:01
貿易というのは、少なくとも数字の上では、ゼロサムですから、どこかの国が黒字なら他の国がそれだけ赤字になるわけで、貿易を完全にやめでもしないかぎり、赤字の国や黒字の国が存在するのは仕方ないです。

アメリカが巨額の貿易赤字を計上できるのは、貿易赤字によるドル安が生じてもドル建ての債務は増加しないというドルが基軸通貨であるための利点を享受しているからであり、通常の貿易赤字国は自国通貨の下落により外貨建ての債務が増大するため、貿易赤字が悪化しないよう努力しています。赤字国への課徴金など必要ないと思います。
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酔狂人さま ()
2005-12-28 16:11:06
適切なコメント、まことにありがとうございました。

 黒字国にも赤字国にも罰金を課せというのは、リチャード・ダンカン氏の提言の受け売りです。もっともダンカン氏が具体的に提案している罰金額は、黒字額

・赤字額への1パーセントという控えめな数字です。それで足りなければ、もう少し増やせという主張でした。



 「赤字国への罰金」として念頭においているのは、米国です。確かに、他の赤字国(微々たる額の)に罰金を課すのはかわいそうなことだと思います。

 ただ米国の場合、仰せの通り基軸通貨国であるという特権に守られているが故に、確信犯的に貿易赤字を増やしている側面もありますので、あえて過酷な制裁が必要かなと思った次第です。



 今度は、世界が米国に対して「市場原理主義ではない構造改革」を迫る番なのではないかと思う次第です。

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Unknown ()
2005-12-29 17:17:26
 最低賃金の導入というのは、すでに雇用されている人の特権になります。だから最低賃金が固定されてしまうと、失業が増えてしまうという逆説があります。公共事業で、雇用を補うとしても、その費用は結局税金から出ているのであまり意味がありません。また公共事業は供給を増やすため、デフレ→失業という悪循環を引き起こします。
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そうですね (Chic Stone)
2006-01-02 12:54:13
そうですね。

祐さんのご指摘どおり、最低賃金を導入すると

今働く場さえない、どんな低賃金でも働きたいという

世界中にあまりにたくさんいる人が、永久的に

世界経済から排除されることになる面もあるでしょう。

もちろんメリットもありますが…



僕はそこは、労働需要のほうから考えていきたいです。

必要な需要はあるはずです…植林とエネルギー革命、

世界的な高齢化を吸収するために大量の労働力を

実質徴用する。

その代償としてまず水や食料、そして教育や

情報など最低の生存を全員に保障することを

提言します。

アメリカの赤字、財政などは世界全体が「大きすぎて

潰せない」状態になるほかないのでは?



これもグローバルな社民主義に近いかもしれません。

その最大の問題は、人類がそれほど賢明な生物か、

ということなんですよね…一国でも社会主義が

機能したことがないのに、地球全体をそれにして

最悪のことになるのではないか、と。
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世界中が食べていくためには (cru)
2006-01-04 01:45:54
例えば、中国は、過去、何度も人口崩壊を繰り返した歴史があるそうです。

中国の一人っ子政策のためか、最近人口問題を真剣に扱う事が減っているように思いますが、ルワンダの内戦だって、根源は人口問題だと聞きました。

これを解決できない限り、世界全体の社民主義というのは、(国連機能が弱体すぎることを抜きにしても)絵空事のように思いますが…
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祐さま、Chic Stoneさま、cruさま ()
2006-01-05 00:45:45
 年末年始に山奥の実家(インターネットなし)に帰省している間にたくさんのコメントをいただいておりました。まことにありがとうございました。



 最低賃金を定めると、失業が増えたり財政が悪化するという可能性について、私見を述べます。

 この政策を提起しているリチャード・ダンカン氏は、最低賃金の導入は当面において、輸出製品を製造している企業から始めようと主張しております。具体的には多国籍企業を主にイメージしているのでしょう。国内需要向けの、国内企業は当面、免除です。つまり、そちらの部門の雇用は脅かさないように配慮した提起になっております。

 多国籍企業は、A国の賃金水準が上昇してきたらB国へ、B国も上昇すればC国へ・・・・という渡り鳥戦略を採用するので、結果としてどの途上国も、企業に逃げられないために賃上げに消極的になってしまいます。この渡り鳥戦略の採用を阻止するために、世界統一基準の賃上げが必要になるのだと思います。

 せっかく誘致した企業に突然逃げられるという事態の方が、より深刻な失業の事態を生むと思います。

 

 また、途上国での失業人口の増大と都市スラムの膨張を抑えるためにどうしても必要になってくるのが、一見非効率な小規模家族農業をキチンと守るための枠組みをつくることです。これはCruさんの質問に対する回答にもなります。そのためには、どうしても、農産物を現行の自由貿易システムの適用の例外とせねばならないと思います。この問題は、また別途、詳しく書きたいと思います。



 次に、最低賃金制による財政の逼迫にどう対処するのかという点に関して。

 ダンカン氏は、IMFが発行する補助的な世界通貨SDRを発展途上国に配分すべきという見解です。ジョセフ・スティグリッツも2002年から、「IMFが270億ドル相当のSDRを発行し、そのうち180億ドル相当を途上国に寄付すべき」と主張しているそうです。



 Chic Stone さんとcruさんの仰るように、「グローバルなケインズ主義」あるいは「グローバルな社民主義」の実現が、現在の国連のガバナンス能力の状況下ではきわめて困難であることは、私も十分に承知の上です。

 しかし、夢の実現のために誰かが努力しない限りは、それは決して実現しないでしょう。



 「ケインズ主義は破綻した」とこの10年間、私たちは念仏のように聞かされてきました。そう、一国ケインズ主義は確かに破綻しました。それを代替した「グローバルな市場原理主義」も早晩に破綻するでしょう。

 破綻が悲劇的にならないために、新しい枠組みを構築するための準備をせねばなりません。それは「グローバルでエコロジカルなケインズ主義」の具体化だと思うのです。

 まあ、新年の初夢ということで。今年もよろしくお願いします。

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あけましておめでとうございます (山澤)
2006-01-07 23:09:26
リチャードダンカンの本は去年読みましたが、私自身はドル暴落の前に、日本バブルの再燃→再崩壊の方が緊急な課題になってきたかなと思っています。私なりの代替案はHPに書かせていただきましたので、宜しければお読みいただければ幸いです。
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答えを求めて 収穫逓減問題 (地方の蛙)
2006-01-13 07:24:04
初めまして

門外漢にも伝わるものを覚え

全く別件ですが、答えを求めて飛び込みました。

それと言うのが、収穫逓減問題です。

応急処置を済ませましたので、失礼します。

有り難うございました。
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「渡り鳥」の影響 (りんご)
2006-01-22 11:00:15
企業が生産費削減のため低賃金国へ「渡り鳥」することが世界的有効需要を低減させているという説、実際の数字で説明していただけるとうれしいです。



企業の海外移転のニ大目的は、市場接近と生産費削減といわれます。アメリカ、中国、EUなど、地域によって主目的は異なります。また、生産サイクルの中で、組み立て加工といった簡単な分野を渡り鳥化し、高技術製品、新規開発は国内生産および国内販売を軸にします。安くすむところを安くあげて、高くつく部分を実現させていると。グローバル化した生産と市場において、特性にあった国際的分業化によって効率性・収益性をあげているわけです。



つまり、「渡り鳥化」にはこうした新製品生産に還元できる「貢献系」と、開発力不足、市場の嗜好から外れた生産(GMなど)、すでに完成度の高い商品、また付加価値をつけにくい汎用品分野など、生産費削減しか拠り所がなく渡り鳥化する「行き詰まり系」とに区別されるのではないかと。疑問は、それぞれの「渡り鳥化」がどの程度生産現場のある国での需要と世界的規模の需要に影響するのかです。



ただ、この流れ、先進工業国では単純労働者はいらない、市場面でも、国内市場はぜいたく品が中心になり、貧乏人はどうでもいいと、経済の対象から外れてしまいますよね。皆が単純労働者から脱皮できればいいのですが。





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りんご様 ()
2006-01-25 22:27:15
 コメントありがとうございました。刺激的な考察を書き込んでくださいまして嬉しく思います。



>企業が生産費削減のため低賃金国へ「渡り鳥」することが世界的有効需要を低減させているという説、実際の数字で説明していただけるとうれしいです。



 私には数字を挙げるのは難しいです。企業の渡り鳥化は、先進国においても、賃金抑制のみならず、正社員の削減、パートの増加など労働環境全般の劣悪化という形で、需要の削減につながっていると思います。それを世界全体で集計するとどれだけの額になるのでしょうか? 何か文献がないか探してみます。

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