私がこんなブログを作ろうと思うに至ったのは、既存のメディアの主張があまりにもひどすぎるからです。例えば、郵政民営化問題に関しては、産経、読売、日経、毎日、朝日といった全国紙の各社社説が、見渡すかぎり「民営化支持」の一色であり、言論が「自主的に」統一されてしまっています。他にも、例えばFTAによる貿易自由化といったきわめてセンシティブな問題に関しても、大新聞はいずれも「FTA支持。日本の農民はわがままを言うな」といった論調で一色に染まっています。
郵政民営化にしても、FTAにしても、農家や過疎地方居住者のみならず、広範な市民レベルで反対意見は根強く存在します。また、そうした政策の弊害を指摘する専門家レベルの声も高いのです。であるにも関わらず、そうした主張に配慮を示す新聞が一紙もないという事態はきわめて異常です。〈この国は、本当に民主主義なのだろうか? 言論の自由は本当にあるのだろうか?〉と疑問を強く抱かざるを得ません。強制されているわけでもないのに、自発的に言論が統一されているというのは、気持ち悪いことこの上ないのです。
少なくとも経済政策に関する限り、新聞は全て「右へ倣え」です。世間で『朝日』は「左」などとよく言われますが、私の目から見ると、市場原理主義への信奉度という経済政策面に限れば、『朝日』がいちばん「右」であるようにすら見えます。
人間性無視の経済効率優先主義と利益第一主義がまかり通る中で、この間、明らかにその弊害と思われる、JALの一連のトラブルや(幸い大事故には至っていませんが)、JR福知山線の脱線事故などが相次いで発生しました。今回の事故を契機に、効率優先・利益第一という市場原理主義の悪しき風潮を改めようとする気運をつくり出すことが、事故の犠牲者たちを慰めるために、多くの人々の死を無駄にしないために、私達ができるせめてものことではないかと思うのです。
今回の事故をきっかけに、きわめて強固な市場原理主義者のあいだにも動揺が広がっているようです。ぜひ、その動揺が広がることを願ってやみません。
例えば、5月15日付けの『毎日新聞』で、論説室の玉置和宏氏は、「揺らいだ“民営化の成功”」というエッセイを寄稿していました。玉置氏は、きわめて過激な市場原理主義礼賛論を書きつづけて来られた方です。私は彼の書いたものを読んで、過去にどれだけ気分が悪くなったか数え切れないほどです。(それでも私は『毎日』を購読しているのですが、それは他の新聞を読むともっと気分が悪くなるからです。『毎日』は経済部の記者の主張は他紙に同じくですが、経済部以外の記者の書くものにはよい論説記事が多いと思います)。
さて、サッチャー信奉者であることを自認する筋金入りの玉置氏が、民営化を疑うような記事を書いておられたことに、私は驚きを覚えました。玉置氏は、英国において国鉄が民営化されてから事故が相継いで発生したことを検証し、少なくとも英国が行なった上下分離方式による国鉄民営化は誤りであったと結論しています。他方で、玉置氏は、「英国のように上下分離を行なわなかった日本の民営化手法の正しさ」を懸命に弁護してはいますが、その筆には明らかな動揺が見られます。氏が「上下分離方式」の誤りを認めただけでも大きな変化だといえるでしょう。こうした主張の変化は、積極的に評価したいと思います。
IMFや米国政府は、世界各国の公営企業に対し、会社を切り刻むような上下分離方式の民営化・自由化を強要してきました。基本的に、それは米国企業の買収活動を容易にするため、他人が営々と築いてきた努力に寄生して、濡れ手に粟の利益を確保するための手法だったのです。日本の郵便事業が4分社化されようとしているのも、明らかに米国の意向を反映したものでしょう。水道にしても、電力にしても、鉄道にしても、公営企業が「上下分離」的に分割されれば、だいたいにおいて安全性や供給の安定性を確保するための基本的な投資は軽視され、安全も安心も損なわれてきたのです。
これを契機にマスコミ各社が、世界各国における水道・ガス・電力・鉄道等の「民営化・自由化」の帰結を、真剣に再検証することを願って止みません。現実を見ないで、安易に新古典派経済学の教科書的知識を振りかざすことほど恐ろしいことはないと思います。
郵政民営化にしても、FTAにしても、農家や過疎地方居住者のみならず、広範な市民レベルで反対意見は根強く存在します。また、そうした政策の弊害を指摘する専門家レベルの声も高いのです。であるにも関わらず、そうした主張に配慮を示す新聞が一紙もないという事態はきわめて異常です。〈この国は、本当に民主主義なのだろうか? 言論の自由は本当にあるのだろうか?〉と疑問を強く抱かざるを得ません。強制されているわけでもないのに、自発的に言論が統一されているというのは、気持ち悪いことこの上ないのです。
少なくとも経済政策に関する限り、新聞は全て「右へ倣え」です。世間で『朝日』は「左」などとよく言われますが、私の目から見ると、市場原理主義への信奉度という経済政策面に限れば、『朝日』がいちばん「右」であるようにすら見えます。
人間性無視の経済効率優先主義と利益第一主義がまかり通る中で、この間、明らかにその弊害と思われる、JALの一連のトラブルや(幸い大事故には至っていませんが)、JR福知山線の脱線事故などが相次いで発生しました。今回の事故を契機に、効率優先・利益第一という市場原理主義の悪しき風潮を改めようとする気運をつくり出すことが、事故の犠牲者たちを慰めるために、多くの人々の死を無駄にしないために、私達ができるせめてものことではないかと思うのです。
今回の事故をきっかけに、きわめて強固な市場原理主義者のあいだにも動揺が広がっているようです。ぜひ、その動揺が広がることを願ってやみません。
例えば、5月15日付けの『毎日新聞』で、論説室の玉置和宏氏は、「揺らいだ“民営化の成功”」というエッセイを寄稿していました。玉置氏は、きわめて過激な市場原理主義礼賛論を書きつづけて来られた方です。私は彼の書いたものを読んで、過去にどれだけ気分が悪くなったか数え切れないほどです。(それでも私は『毎日』を購読しているのですが、それは他の新聞を読むともっと気分が悪くなるからです。『毎日』は経済部の記者の主張は他紙に同じくですが、経済部以外の記者の書くものにはよい論説記事が多いと思います)。
さて、サッチャー信奉者であることを自認する筋金入りの玉置氏が、民営化を疑うような記事を書いておられたことに、私は驚きを覚えました。玉置氏は、英国において国鉄が民営化されてから事故が相継いで発生したことを検証し、少なくとも英国が行なった上下分離方式による国鉄民営化は誤りであったと結論しています。他方で、玉置氏は、「英国のように上下分離を行なわなかった日本の民営化手法の正しさ」を懸命に弁護してはいますが、その筆には明らかな動揺が見られます。氏が「上下分離方式」の誤りを認めただけでも大きな変化だといえるでしょう。こうした主張の変化は、積極的に評価したいと思います。
IMFや米国政府は、世界各国の公営企業に対し、会社を切り刻むような上下分離方式の民営化・自由化を強要してきました。基本的に、それは米国企業の買収活動を容易にするため、他人が営々と築いてきた努力に寄生して、濡れ手に粟の利益を確保するための手法だったのです。日本の郵便事業が4分社化されようとしているのも、明らかに米国の意向を反映したものでしょう。水道にしても、電力にしても、鉄道にしても、公営企業が「上下分離」的に分割されれば、だいたいにおいて安全性や供給の安定性を確保するための基本的な投資は軽視され、安全も安心も損なわれてきたのです。
これを契機にマスコミ各社が、世界各国における水道・ガス・電力・鉄道等の「民営化・自由化」の帰結を、真剣に再検証することを願って止みません。現実を見ないで、安易に新古典派経済学の教科書的知識を振りかざすことほど恐ろしいことはないと思います。
報道ステーションは最近は全く見ていないので、古館氏に関してはどういうコメントしているのかも知らないのですが。解説の加藤さんはまともな人だと思っているので、彼に頑張って欲しいです。
サンプロの田原総一郎氏は、経済学の「ケ」の字も知らないので、その主張のトンチンカンさには目を覆いたくなります・・・。