農業を営んでおられる12434さんから拙著『自由貿易神話解体新書』(花伝社、2012年)の書評の続きをコメント欄でいただきました。新しい記事として再掲させていただきます。12434さんがコメントして下さっている第4章は「農産物貿易自由化は飢餓と失業を生み出す」、第5章は「自由貿易が生む環境問題」、第6章は「自由貿易への代替案」というタイトルです。
****以下、引用*****
第4章の感想です。 (12434)2014-10-19 17:18:19
この章は農業関係者には必見というべき点です。特に私は学生時代は、農業経済の研究が専門だったので、本書でもっとも関心が強いところですね。
農産物(食用品)と工業製品の価格弾力性の違いが述べられていますが、全く異論はありません。私は酪農学園大学で、新古典派経済学の講義でもこれについて学んでいました。最初の講義で、どんな図を見たのかは覚えていませんが、この二つの商品の価格の弾力性はちがうと教えてもらいました。
講師は新古典派の経済学者で、ミクロ経済学の他に統計学や計量経済学の講義も請け負っていましたね。確か今も研究室はあったはずです。私のゼミはなくなりましたが。こういうと、なぜ関さんと私で新古典派の評価にちがいがあるのかよくわかります。価格の弾力性について、一般の大学の経済学部は工業も農業も同じだと教えているのなら、私が学んだ経済学とはある意味180度ちがいます。
次に中国の農地制度について述べたいです。
これは経済学でいうところの「農民層分解」のことになります。農業経済学の理論だと、農地の個人所有を認めて投資意欲を促進させて、「緑の革命」を起こし少数精鋭での農業経営を可能にするという理屈です。
これ自体は悪いものではありません。先進国が皆歩んできた道のりだし、日本でも自然人農家なら個人所有が普通です。
しかし、そこに弊害があることを説明していますね。ようするに中国の農民層分解により元農民の労働者が一気に増加して、賃金の引き下げも起こり、世界中の労働者の雇用を不安定にさせる危険性があると。
将来的には中国も農民層分解すべきかもしれませんが、少なくとも確かに今してはいけませんね。
中国の制度というと、どうしても悪いイメージが付きまといますが、こうした視点で見るのも面白いです。
****************************
12434 (5章の感想です。)2014-10-20 20:07:52
この章は、農業の外部不経済の問題が述べられています。簡単にいうと、「農業の貿易自由化は農業輸出大国の自然環境悪化や、エネルギー効率の良く生態系も維持できる持続力の高い農業の破壊などの弊害がある」ということでしょう。従って、農業が比較劣位の国でもそれをしっかり維持すべきです。
農業の経営体型についても述べていますが、少し補足的なことをいいたいです。農業経営は世界的に見ても自然人農家が主流です。本書ではアメリカやオーストラリアの農業が批判対象になってますが、その2国でさえ家族経営が主体で、ヨーロッパ、韓国、中国も同じです。
法人経営は家族経営に比べ低収入に弱く、農業の性質から考えても労務や収支の管理はより厳しくなります。
投機的といわれるアメリカの農業でも主流が家族経営なのだから、法人が農業にあまり向いていないのは事実でしょう。
あと、市場の「外部不経済効果」についてなんですが、関さんはその呼称を非常に嫌っています。この章を読めばそのお気持ちは痛いくらいよくわかります。
ただ、外部不経済という言葉を使う経済学者がみんなおかしいわけではないので、まあ議論の余地があるとは思います。
6章についての感想です。 (12434)2014-10-21 20:48:21
この部分は異論はないです。これからの未来に向けた代替案として、大変参考になると思います。
****引用終わり******
的確なコメント、まことにありがとうございました。
>価格の弾力性について、一般の大学の経済学部は工業も農業も同じだと教えているのなら、私が学んだ経済学とはある意味180度ちがいます。
農産物貿易の自由化を促す一般の貿易論の教科書や新古典派の解説書の類で、農産物と工業製品の価格弾力性の違いを述べているものを私は見たことがありません。新古典派は農産物はおろか、農産物よりもさらに必需性が高い水にしても、工業製品と同じ需要・供給の法則が貫かれるとして、水の商品化・民営化を促します。私は、彼らの理屈を読むにつけ、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを禁じえません。
>将来的には中国も農民層分解すべきかもしれませんが、少なくとも確かに今してはいけませんね。
戦後の農地改革後の日本農業の場合、「本家」の自作農地は皆が維持したまま、個人の自発性に基づいて都会への人口移動が起こりました。農産物を例外として扱っていたGATT体制のもとで、日本は「コメは一粒たりとも入れない」と輸入自由化を阻止したまま、ゆるやかに農村から都会への自発的な労働力移動が起こりました。
中国やインド、メキシコなどで起こっていることは、WTO加盟やNATA加盟という「ショック療法」の中で、農民が強制的に世界市場競争の荒波の中に放り込まれ、強制的・強圧的な形で無理矢理に農民層分解が進行されているという事象です。
日本のように緩やかに起こってきた変化とは全く違います。昨今の農産物貿易自由化にともなって発生している現象は、いうなれば「世界同時強制的プレカリアート化」です。農家も耐えられませんし、受け入れ先の都市も耐えられず、世界規模で失業者を激増させ、飢餓を誘発する愚策と言えます。
>本書ではアメリカやオーストラリアの農業が批判対象になってますが、その2国でさえ家族経営が主体
アメリカは大規模な家族経営ですが、農家は種子をモンサントに握られてしまっていますし、収獲した作物も家畜もアグリビジネスにいいように買いたたかれ、実質、多国籍資本の下請け経営になって搾取されています。家族経営を維持している地域でも、「法人」による侵食からは逃れられず、自立的な家族営農は世界規模で後退しているのが現状と思います。
>ただ、外部不経済という言葉を使う経済学者がみんなおかしいわけではないので
新古典派は「外部不経済」ですが、制度学派は「社会的費用」と呼び、私は後者の方が適切な呼び方という認識です。
すばらしい書評ありがとうございました。またぜひコメント下さい。
****以下、引用*****
第4章の感想です。 (12434)2014-10-19 17:18:19
この章は農業関係者には必見というべき点です。特に私は学生時代は、農業経済の研究が専門だったので、本書でもっとも関心が強いところですね。
農産物(食用品)と工業製品の価格弾力性の違いが述べられていますが、全く異論はありません。私は酪農学園大学で、新古典派経済学の講義でもこれについて学んでいました。最初の講義で、どんな図を見たのかは覚えていませんが、この二つの商品の価格の弾力性はちがうと教えてもらいました。
講師は新古典派の経済学者で、ミクロ経済学の他に統計学や計量経済学の講義も請け負っていましたね。確か今も研究室はあったはずです。私のゼミはなくなりましたが。こういうと、なぜ関さんと私で新古典派の評価にちがいがあるのかよくわかります。価格の弾力性について、一般の大学の経済学部は工業も農業も同じだと教えているのなら、私が学んだ経済学とはある意味180度ちがいます。
次に中国の農地制度について述べたいです。
これは経済学でいうところの「農民層分解」のことになります。農業経済学の理論だと、農地の個人所有を認めて投資意欲を促進させて、「緑の革命」を起こし少数精鋭での農業経営を可能にするという理屈です。
これ自体は悪いものではありません。先進国が皆歩んできた道のりだし、日本でも自然人農家なら個人所有が普通です。
しかし、そこに弊害があることを説明していますね。ようするに中国の農民層分解により元農民の労働者が一気に増加して、賃金の引き下げも起こり、世界中の労働者の雇用を不安定にさせる危険性があると。
将来的には中国も農民層分解すべきかもしれませんが、少なくとも確かに今してはいけませんね。
中国の制度というと、どうしても悪いイメージが付きまといますが、こうした視点で見るのも面白いです。
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12434 (5章の感想です。)2014-10-20 20:07:52
この章は、農業の外部不経済の問題が述べられています。簡単にいうと、「農業の貿易自由化は農業輸出大国の自然環境悪化や、エネルギー効率の良く生態系も維持できる持続力の高い農業の破壊などの弊害がある」ということでしょう。従って、農業が比較劣位の国でもそれをしっかり維持すべきです。
農業の経営体型についても述べていますが、少し補足的なことをいいたいです。農業経営は世界的に見ても自然人農家が主流です。本書ではアメリカやオーストラリアの農業が批判対象になってますが、その2国でさえ家族経営が主体で、ヨーロッパ、韓国、中国も同じです。
法人経営は家族経営に比べ低収入に弱く、農業の性質から考えても労務や収支の管理はより厳しくなります。
投機的といわれるアメリカの農業でも主流が家族経営なのだから、法人が農業にあまり向いていないのは事実でしょう。
あと、市場の「外部不経済効果」についてなんですが、関さんはその呼称を非常に嫌っています。この章を読めばそのお気持ちは痛いくらいよくわかります。
ただ、外部不経済という言葉を使う経済学者がみんなおかしいわけではないので、まあ議論の余地があるとは思います。
6章についての感想です。 (12434)2014-10-21 20:48:21
この部分は異論はないです。これからの未来に向けた代替案として、大変参考になると思います。
****引用終わり******
的確なコメント、まことにありがとうございました。
>価格の弾力性について、一般の大学の経済学部は工業も農業も同じだと教えているのなら、私が学んだ経済学とはある意味180度ちがいます。
農産物貿易の自由化を促す一般の貿易論の教科書や新古典派の解説書の類で、農産物と工業製品の価格弾力性の違いを述べているものを私は見たことがありません。新古典派は農産物はおろか、農産物よりもさらに必需性が高い水にしても、工業製品と同じ需要・供給の法則が貫かれるとして、水の商品化・民営化を促します。私は、彼らの理屈を読むにつけ、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを禁じえません。
>将来的には中国も農民層分解すべきかもしれませんが、少なくとも確かに今してはいけませんね。
戦後の農地改革後の日本農業の場合、「本家」の自作農地は皆が維持したまま、個人の自発性に基づいて都会への人口移動が起こりました。農産物を例外として扱っていたGATT体制のもとで、日本は「コメは一粒たりとも入れない」と輸入自由化を阻止したまま、ゆるやかに農村から都会への自発的な労働力移動が起こりました。
中国やインド、メキシコなどで起こっていることは、WTO加盟やNATA加盟という「ショック療法」の中で、農民が強制的に世界市場競争の荒波の中に放り込まれ、強制的・強圧的な形で無理矢理に農民層分解が進行されているという事象です。
日本のように緩やかに起こってきた変化とは全く違います。昨今の農産物貿易自由化にともなって発生している現象は、いうなれば「世界同時強制的プレカリアート化」です。農家も耐えられませんし、受け入れ先の都市も耐えられず、世界規模で失業者を激増させ、飢餓を誘発する愚策と言えます。
>本書ではアメリカやオーストラリアの農業が批判対象になってますが、その2国でさえ家族経営が主体
アメリカは大規模な家族経営ですが、農家は種子をモンサントに握られてしまっていますし、収獲した作物も家畜もアグリビジネスにいいように買いたたかれ、実質、多国籍資本の下請け経営になって搾取されています。家族経営を維持している地域でも、「法人」による侵食からは逃れられず、自立的な家族営農は世界規模で後退しているのが現状と思います。
>ただ、外部不経済という言葉を使う経済学者がみんなおかしいわけではないので
新古典派は「外部不経済」ですが、制度学派は「社会的費用」と呼び、私は後者の方が適切な呼び方という認識です。
すばらしい書評ありがとうございました。またぜひコメント下さい。
私が苦手だったのもありますが、ミクロ経済学の教科書って、農業経済の研究にはあまり役に立たなかったですね。
サモンドは確かにひどいです。農業高校にいたころからその悪名は聞かされていますが、アメリカの農家の立場が本当に良くないですから。
しかし逆説的に考えると、営利主義のそうした弊害を再認識することで、社会的共通資本の正当性も評価できると思います。
先に述べたように、農業経済学者からの自由貿易批判は多いのですが、農業関係者以外の方には納得しにくいものもあります。
農業経済学者の田代洋一は、「今は食と農が対立させられている」と主張していますが、我々農業関係者の詰めの甘さもその原因でした。農協も自由貿易推進派にいいように叩かれ、むしろ逆利用されているとしか思えません。
過度な貿易自由化は世界中を不幸にするという現実があるのだから、農業界はそれをもっと世の中に強く訴えるべきですね。
関さんの本は後輩にも進めたいです。酪農学園にはTPPをテーマにした卒論を書く学生も多いと思いますが、いい参考になるはずです。
実は本書を買う前に、田代洋一の「反TPPの農業再建」を読んでいました。農業問題入門も少し読み直しましたが、専門家と非専門家の意見を比べて見るのも良かったです。本書の長所も理解できたと思います。
今度は宇沢先生の書籍も読みたいと考えています。
はじめまして。コメントありがとうございました。ご指摘の本は未読ですが、農業経済学の教科書には、価格弾力性の違いが指摘されているものは多いと思います。この問題は、1960年代にはラウル・プレビッシュにより、国連でも大きく取り上げられています。
問題なのは、新古典派の貿易論やミクロ経済学の教科書が全く無視していることです。