本日の『東京新聞』の一面トップは財務省が公立小学校の35人学級制を40人学級制に戻して財政を削減しようするよう要求しているというニュース。それで教職員数を4000人削減、義務教育費の国庫負担を86億円削減できるというもの。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014102890070959.html
財務省は、未来を創るための投資は惜しんで教育費を削り、未来を壊すダム建設や国土狂尽化計画を見直すつもりはないらしい。ダムの建設費を一基削ればそれだけで数百億円予算を削減できる(ちなみに八ッ場ダムの建設費は4600億円)。40人学級に戻すのより数倍の効果があるのだ。
財務省が、その方針を提示したのは、財務省の財政制度審議会で、会長は吉川洋氏である。
吉川洋氏は、東大時代に宇沢弘文先生のゼミの門下生であった。宇沢先生が生きておられたら、このニュースを聞いて烈火のごとく激怒されたことだろう。以前、日経新聞の記事(本年6月6日の記事)が宇沢先生の門下生を紹介していた際、アメリカではジョセフ・スティグリッツ、日本では吉川洋を筆頭にあげていた。「おいおい、スティグリッツと吉川洋が並列かよ」と思ったものだった。
吉川洋氏は、未来を創るための教育予算は削り、安倍政権肝いりの国土狂尽化予算は守るつもりだろうか。宇沢先生の考えておられたことと真逆の行動である。審議会の会長として、この財務省方針に反対して欲しい。そうすると審議会会長の立場は維持できなくなるだろうが、現世の利権よりも、後世に残る学者としての名を惜しむべきであろう。
宇沢先生が逝去された際、友人の経済学者は、宇沢先生の死を嘆き悲しみ、また今後に展開されるであろう事態を心配して、メールで次のように書き送ってきたものだった。
「宇沢先生の存在自体が、極端なことを平気で政策提言する経済学者にぎりぎりで歯止めをかけてきた、という認識を私はもっているので。とはいえ、残されたものが頑張るしかないので気を入れなおして頑張ろうと思っています。」
御用学者と化している宇沢先生の門下生も、宇沢先生に怒られるのを畏れ、官僚や財界にあからさまに迎合するのにギリギリの自制がかかってきていた。宇沢先生の存在というリミッターがかからなくなってしまった現在、暴走に歯止めをかけられるものはない。ああ・・・・。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014102890070959.html
財務省は、未来を創るための投資は惜しんで教育費を削り、未来を壊すダム建設や国土狂尽化計画を見直すつもりはないらしい。ダムの建設費を一基削ればそれだけで数百億円予算を削減できる(ちなみに八ッ場ダムの建設費は4600億円)。40人学級に戻すのより数倍の効果があるのだ。
財務省が、その方針を提示したのは、財務省の財政制度審議会で、会長は吉川洋氏である。
吉川洋氏は、東大時代に宇沢弘文先生のゼミの門下生であった。宇沢先生が生きておられたら、このニュースを聞いて烈火のごとく激怒されたことだろう。以前、日経新聞の記事(本年6月6日の記事)が宇沢先生の門下生を紹介していた際、アメリカではジョセフ・スティグリッツ、日本では吉川洋を筆頭にあげていた。「おいおい、スティグリッツと吉川洋が並列かよ」と思ったものだった。
吉川洋氏は、未来を創るための教育予算は削り、安倍政権肝いりの国土狂尽化予算は守るつもりだろうか。宇沢先生の考えておられたことと真逆の行動である。審議会の会長として、この財務省方針に反対して欲しい。そうすると審議会会長の立場は維持できなくなるだろうが、現世の利権よりも、後世に残る学者としての名を惜しむべきであろう。
宇沢先生が逝去された際、友人の経済学者は、宇沢先生の死を嘆き悲しみ、また今後に展開されるであろう事態を心配して、メールで次のように書き送ってきたものだった。
「宇沢先生の存在自体が、極端なことを平気で政策提言する経済学者にぎりぎりで歯止めをかけてきた、という認識を私はもっているので。とはいえ、残されたものが頑張るしかないので気を入れなおして頑張ろうと思っています。」
御用学者と化している宇沢先生の門下生も、宇沢先生に怒られるのを畏れ、官僚や財界にあからさまに迎合するのにギリギリの自制がかかってきていた。宇沢先生の存在というリミッターがかからなくなってしまった現在、暴走に歯止めをかけられるものはない。ああ・・・・。
私は宇沢先生のことをよく存じませんので、自分で見てもどの辺がすごいとか、あるいは番組がおかしいとかわからないと思いますが…
河上肇が媒介者だとは知りませんでした。
NHKも、たまにはまともな番組をやるようですw
でも、内橋さんの30分では、突っ込みが足らず物足りなくもありました。
>宇沢先生は、マルクス理論との接点があったのですね。
あのころは、経済学の主流派がマルクスで新古典派の方が傍流でしたから、宇沢先生の世代の経済学者は誰もがマルクスの影響を受けていると思います。
当然、宇沢先生も『資本論』を読んでおります。ちなみに宇沢先生は、不破哲三さんらと『資本論』の勉強会をしていたそうです。もっとも、宇沢先生は資本論の内容に相当に疑問を持ちながら読んでいたようですので、不破さんとは意見が合わなかったようです。
宇沢先生の初期の業績である新古典派成長理論の二部門モデルは、財を資本財と消費財の二部門に分けるもので、これはマルクスの再生産表式の発想を新古典派の成長理論に取り入れようとしたものです。
宇沢先生は農業の他の産業にない独自性を深く理解しておりました。
http://www.jacom.or.jp/tokusyu/2010/tokusyu100219-8158.php
関さんのブログを拝読すればよくわかりますが、宇沢先生の主張した度が過ぎる市場原理主義の弊害は、まさに世界規模でおきて続けていますね。
ほっほう!ちょっと興味をもちますね。
マルクス学徒を自認し、それを誇りにさえしている当方でも、不破氏のマルクス解釈には多くの点で異論、批判をもっていますからね。
それどころか、当方はマルクスの学説の主要部分(と世間で理解されている部分)にさえ、疑問や異論をもっていますから、宇沢流の不破解釈学批判やマルクス批判は是非一度拝聴したいものです。
ま、当方も、ここで場違いなマルクス論を開陳するつもりはありませんが、それでもヨーロッパの多くの世論調査(例えば英国BBCのアンケート)でキリスト以下を抑えて人類史上最大の偉人と評価もされているマルクスの理論に対する批判は、それが鋭く的確なものであるのならば、どうしても興味をもちます。
どの辺への批判なのでしょうかね?
当方のマルクス批判と重なるようなマルクス批判、不破批判を宇沢先生がされていたのなら、是非とも参考にさせて頂きたいのですがね。
『資本論』のどの箇所かなど詳細までは聞き及んでおりません。宇沢先生が『資本論』の勉強会で「ここは理解できない」と述べると、不破さんは「宇沢さん程度の資本論理解じゃ、共産党の入党試験には通りませんよ」と言っておられたそうです(共産党に入党試験なんてないのに!)
もっとも宇沢先生の著作を読めば、あちこちで社会主義計画経済への批判はしています。お読みください。