前の記事で紹介した「地域研究と政策研究の協働 -地球環境を救うために-」という公開シンポジウムで基調講演をしたのは、政策研究者を代表して森島昭夫氏(財団法人・日本環境協会会長、財団法人・地球環境戦略研究機関前理事長)ならびに地域研究者を代表して田中耕司氏(京都大学地域研究総合情報センター教授)の二名でした。その後、私のような若手も含めたパネルディスカッションへ移行しました。
政策研究者を代表して登壇した森島昭夫氏は、欧米的方法論に追従していることの深刻な問題点を憂慮している方なので、彼の提起は基本的に私もそのまま賛同できる内容でした。
森島氏の発言の内容は以下のようなものでした(私の記憶で発言を再現しているので若干のニュアンスが異なるかも知れませんが、ご了承ください)。
「環境問題解決のための政策的手法として欧米が提起してくるのは、もっぱら市場メカニズムを活用した解決策である。日本の政策研究は、もっぱら欧米発の学問的方法論に依拠してきたので、そうした手法を受け入れてきた。しかし欧米発の市場メカニズムに依拠した政策が、途上国など地域の現場に何をもたらしているのか十分に検証されていない。環境問題を解決するという触れ込みで導入された政策ツールによって、フタを開けてみたら地域は貧困に苦しんでいるという場合もあるだろう。そうした事を検証するために、地域密着型の地域研究のアプローチが有用なのではないだろうか。」
この発言に、思わず私は拍手しました。つまり森島氏は、日本の政策研究者が、欧米が仕掛けてくる市場メカニズム型の処方箋の攻勢に流されて、それを受け売りしてしまっているという現状を認識した上で、その結果何が起こっているのか検証するために、政策研究者と地域研究者の協働作業が必要ではないかと提起したのです。
地球温暖化問題など、最悪の形態の「市場の失敗」です。しかしながら欧米(というより米英)が仕掛けてくる政策的処方箋といえば「排出量取引」です。これはいわば、市場の失敗による諸矛盾をさらに市場の力で解決しようとするものです。いかにも市場原理主義の米英らしい発想といえるでしょう。
市場原理によって発生した矛盾を、さらなる市場化によって解決しようとする。その市場信仰が、問題をさらに混迷させ、また新たな矛盾を生みだし、問題の解決を不可能なものにしていくのです。しかし彼らの脳髄からは、決して市場自由化の大元を疑って規制をかけるという発想は出てこない。
おりしも、スイスで開かれているWTOの閣僚会合で農産物関税の包括的な引き下げが議論されている最中です。なぜ、洞爺湖サミットでは地球温暖化対策であれだけ騒いでいたマスコミ各紙が、WTO閣僚交渉においては、さらなるCO2排出の増加しか生み出さない農産物関税の引き下げ案を手放しで礼賛するような社説を書くのか? 彼らが、それを矛盾と思っていないのだとしたら、もう絶望的に愚かであると言わざるを得ません。
地球温暖化対策というのなら、即刻、WTOの関税引き下げ交渉を打ち切り、すぐにでも関税引き上げ交渉を開始すべきなのです。私に言わせれば、関税率をちょっと引き上げて地産地消を政策的に誘導するだけで、地球全体でかるく30から40%のCO2排出を削減できます。そんなの、ちょっと試算すればすぐに分かることです。「関税引き上げ」は、もっとも低コストで実行可能で(政府から見たら税収増になるのみコストはかからない)、また副作用も少なく、逆にメリットの方が大きい温暖化対策です。なのに誰もそんな主張をしようとしない、そんな研究をしようともしない。させてもくれない。日本の政策研究者が米英の市場原理主義的処方箋で洗脳されているからそうなるのです。
CO2の排出抑制のために、さらに食糧危機を解決するために「関税を上げる」という政策的処方箋は、国際社会ではまるで触れていはいけないかのような最大のタブーとなっています。食糧危機にしても、関税の引き上げで食糧自給率を上げるという方法こそ各国は模索すべきでしょう。しかし食料サミットで話し合われたことといえば、食料の輸出規制を制限する、つまりさらなる貿易自由化を促す、全く真逆の政策的処方箋でした。まさに「市場メカニズムA」という薬の副作用による病状を治療するため、さらに別の「市場メカニズムB」という新薬を追加投与し、ついに患者を薬物中毒でショック死させようとするかの如き愚かさ。呆れて言葉を失います。
こんなバカなことをやっていたら人類に明日はありません。現代国際政治における「関税タブー」を打ち破ることこそ、今まさに必要なことだと言えます。
この文章の冒頭で紹介したシンポジウムでは、会場から次のような質問がありました。「村落の慣習的利用林として持続的管理がされていたインドネシアの二次林が、油ヤシプランテーションの開発会社に奪われ、農地転用されようとしている。あなた方は研究者としてその事態にどのように対処しようとするのか?」という質問です。
地域研究者の方は、やはり住民の慣習的権利を尊重するとか、住民を話し合いに参加させるとか、そんな解決策を提示していました。私はといえば、「それも必要ですけど、それでけでは問題は解決しません」という立場を主張しました。私の処方箋はといえば、「中国やインドがWTO加盟以前の国内農業保護政策を採用すればよい。具体的に言えば、中国やインドが農産物関税を引き上げれば、インドネシアの熱帯林は救われる」というものでした。どうしてかお分かりですか?
いまインドネシアの熱帯林破壊の最大の原因は、油ヤシプランテーションの拡大であり、ブラジルの熱帯林破壊の最大の原因は大豆農園の拡大です。この2か国の熱帯林破壊により、年間11億炭素トンのCO2が排出されており、じつに世界の年間CO2排出の15%を占めるのです。それで、インドネシアやブラジルのヤシ油や大豆油などの植物性油脂を誰が買っているのかといえば、急激に輸入量を増やしているのが中国とインドなわけです。その中国もインドもWTO加盟以前の1990年は植物性油脂など、すべて国産していました。食用油は、国産の大豆油やナタネ油で自給できていたのです。
それがWTO加盟による農産物貿易を自由化によって、急激にインドネシアやブラジルのヤシ油や大豆油の輸入量を増やし、中国などすでに日本を抜いて世界一位の大豆輸入国になってしまいました。それがインドネシアやブラジルのさらなる熱帯林破壊につながっているのです。
それで中国やインドが幸せなのかといえば、そんなことは全くありません。中国の大豆生産農家やインドの菜の花生産農家は、農業を続けてられなくなって困窮化しているのです。インドなどでは、菜の花農家や菜種油の搾油業者などあわせて300万人以上が失業し、路頭に迷ったという試算もあります。
中国やインドが、再び国内農家の保護政策に転じ、国内農業を保護して大豆油や菜種油を自給するようになれば、国際市場からの需要は減少に転じ、インドネシアもブラジルもこれ以上熱帯林を農地に変える必然性は消えるのです。
もちろん老舗の輸入国である日本も、大豆の自給率向上に努めねばならないのは言うまでもありません。アマゾンを救うためです。
WTOの農産物関税引き下げによって、輸出するインドネシアもブラジルも自然と先住民族の権利が脅かされ、輸入する中国もインドも農村が困窮し社会が不安定化しており、ともに不幸になっているのです。さらに貴重な熱帯林が消えることにより、トラやオランウータンのすみかを奪い、希少植物の遺伝資源も損失させ、地球温暖化を破局化させ、人類全体の不幸を生みだしている。まさにwin-winならぬ、lose-lose-loseの関係といってよいでしょう。
それで何の見返りがあるのかといえば、「消費者利益」なるものが指摘されているのですが、これは実態のないインチキ、プロパガンダにすぎません。貿易自由化の結果もたらされたといっても過言でない現在の食糧危機をみれば分かるでしょう。自由化がグローバルなレベルで合成の誤謬をもたらすからそうなるのです。
世界がちょっと農産物関税をあげて地産地消を促すだけで、簡単に30-40%のCO2を削減できるという根拠が分かりましたでしょうか。運送エネルギーの削減や、石油ガブ飲みの重機の使用の削減によるCO2排出の削減のみならず、熱帯林の農地転用に歯止めをかけることによるCO2削減効果がじつに大きいのです。
新古典派経済学の枠組みですら、CO2排出のような「外部不経済効果」には、環境税を賦課して内部化するという処方箋を受け入れます。だったら農産物の国際貿易による外部不経済の発生を考えれば、外部不経済を内部化するために、関税に環境税的意味を持たせて引き上げろという議論にこそなれ、関税撤廃などあり得ないはずなのです。
それなのに新古典派の環境経済学の教科書といえば、貿易の問題には口を閉ざしてほとんど何も言わない、書かないという状況です。要するに臭いものにはフタをして、思考停止してしまっているわけです。
最近、「フードマイレージ」と「バーチャル・ウォーター」という二つの概念が注目を集めています。これは絶望的な今日にあって、若干よい傾向の流行だといえるでしょう。前者は食料の輸送にともなって発生するCO2を計量化しようという試みであり、後者は農産物の輸入によって、生産国の水資源の損失にどれだけ寄与しているのかを計量化しようという試みです。二つとも農産物貿易に伴う外部不経済を計量化しようという取組なのです。ちなみに日本はフードマイレージの値も最悪、バーチャル・ウォーターの輸入も最悪の、世界最悪の非循環型社会なのです。
農産物貿易に伴う外部不経済は他にもたくさんありますが(生物多様性の破壊、森林破壊、農村の文化と農家の生活の破壊、飢餓リスクの拡大、農薬・化学肥料の使用量拡大、土壌の破壊と流出、GMOの拡散と遺伝子汚染、窒素輸入による富栄養化、塩害、砂漠化などなど)、とりあえずこのフードマイレージとバーチャルウォーターという二つの外部不経済を貨幣換算し、それを内部化するために課税しようとするだけでも、かるく現行の関税率の水準を上回る税金を課さねばならないということが分かるでしょう。ならば、関税率を引き上げろという議論にこそなれ、引き下げなどあり得ない話です。
ゆえに、即刻WTOの閣僚会合を決裂させるべきです。WTOは、議題を関税引き下げから、関税の環境税化による引き上げに変更した上で、出直すべきだといえるでしょう。これ以上、一部の工業界の近視眼的輸出利益の追求のために、かけがえのない地球を失うような愚を続けるべきではないのです。
政策研究者を代表して登壇した森島昭夫氏は、欧米的方法論に追従していることの深刻な問題点を憂慮している方なので、彼の提起は基本的に私もそのまま賛同できる内容でした。
森島氏の発言の内容は以下のようなものでした(私の記憶で発言を再現しているので若干のニュアンスが異なるかも知れませんが、ご了承ください)。
「環境問題解決のための政策的手法として欧米が提起してくるのは、もっぱら市場メカニズムを活用した解決策である。日本の政策研究は、もっぱら欧米発の学問的方法論に依拠してきたので、そうした手法を受け入れてきた。しかし欧米発の市場メカニズムに依拠した政策が、途上国など地域の現場に何をもたらしているのか十分に検証されていない。環境問題を解決するという触れ込みで導入された政策ツールによって、フタを開けてみたら地域は貧困に苦しんでいるという場合もあるだろう。そうした事を検証するために、地域密着型の地域研究のアプローチが有用なのではないだろうか。」
この発言に、思わず私は拍手しました。つまり森島氏は、日本の政策研究者が、欧米が仕掛けてくる市場メカニズム型の処方箋の攻勢に流されて、それを受け売りしてしまっているという現状を認識した上で、その結果何が起こっているのか検証するために、政策研究者と地域研究者の協働作業が必要ではないかと提起したのです。
地球温暖化問題など、最悪の形態の「市場の失敗」です。しかしながら欧米(というより米英)が仕掛けてくる政策的処方箋といえば「排出量取引」です。これはいわば、市場の失敗による諸矛盾をさらに市場の力で解決しようとするものです。いかにも市場原理主義の米英らしい発想といえるでしょう。
市場原理によって発生した矛盾を、さらなる市場化によって解決しようとする。その市場信仰が、問題をさらに混迷させ、また新たな矛盾を生みだし、問題の解決を不可能なものにしていくのです。しかし彼らの脳髄からは、決して市場自由化の大元を疑って規制をかけるという発想は出てこない。
おりしも、スイスで開かれているWTOの閣僚会合で農産物関税の包括的な引き下げが議論されている最中です。なぜ、洞爺湖サミットでは地球温暖化対策であれだけ騒いでいたマスコミ各紙が、WTO閣僚交渉においては、さらなるCO2排出の増加しか生み出さない農産物関税の引き下げ案を手放しで礼賛するような社説を書くのか? 彼らが、それを矛盾と思っていないのだとしたら、もう絶望的に愚かであると言わざるを得ません。
地球温暖化対策というのなら、即刻、WTOの関税引き下げ交渉を打ち切り、すぐにでも関税引き上げ交渉を開始すべきなのです。私に言わせれば、関税率をちょっと引き上げて地産地消を政策的に誘導するだけで、地球全体でかるく30から40%のCO2排出を削減できます。そんなの、ちょっと試算すればすぐに分かることです。「関税引き上げ」は、もっとも低コストで実行可能で(政府から見たら税収増になるのみコストはかからない)、また副作用も少なく、逆にメリットの方が大きい温暖化対策です。なのに誰もそんな主張をしようとしない、そんな研究をしようともしない。させてもくれない。日本の政策研究者が米英の市場原理主義的処方箋で洗脳されているからそうなるのです。
CO2の排出抑制のために、さらに食糧危機を解決するために「関税を上げる」という政策的処方箋は、国際社会ではまるで触れていはいけないかのような最大のタブーとなっています。食糧危機にしても、関税の引き上げで食糧自給率を上げるという方法こそ各国は模索すべきでしょう。しかし食料サミットで話し合われたことといえば、食料の輸出規制を制限する、つまりさらなる貿易自由化を促す、全く真逆の政策的処方箋でした。まさに「市場メカニズムA」という薬の副作用による病状を治療するため、さらに別の「市場メカニズムB」という新薬を追加投与し、ついに患者を薬物中毒でショック死させようとするかの如き愚かさ。呆れて言葉を失います。
こんなバカなことをやっていたら人類に明日はありません。現代国際政治における「関税タブー」を打ち破ることこそ、今まさに必要なことだと言えます。
この文章の冒頭で紹介したシンポジウムでは、会場から次のような質問がありました。「村落の慣習的利用林として持続的管理がされていたインドネシアの二次林が、油ヤシプランテーションの開発会社に奪われ、農地転用されようとしている。あなた方は研究者としてその事態にどのように対処しようとするのか?」という質問です。
地域研究者の方は、やはり住民の慣習的権利を尊重するとか、住民を話し合いに参加させるとか、そんな解決策を提示していました。私はといえば、「それも必要ですけど、それでけでは問題は解決しません」という立場を主張しました。私の処方箋はといえば、「中国やインドがWTO加盟以前の国内農業保護政策を採用すればよい。具体的に言えば、中国やインドが農産物関税を引き上げれば、インドネシアの熱帯林は救われる」というものでした。どうしてかお分かりですか?
いまインドネシアの熱帯林破壊の最大の原因は、油ヤシプランテーションの拡大であり、ブラジルの熱帯林破壊の最大の原因は大豆農園の拡大です。この2か国の熱帯林破壊により、年間11億炭素トンのCO2が排出されており、じつに世界の年間CO2排出の15%を占めるのです。それで、インドネシアやブラジルのヤシ油や大豆油などの植物性油脂を誰が買っているのかといえば、急激に輸入量を増やしているのが中国とインドなわけです。その中国もインドもWTO加盟以前の1990年は植物性油脂など、すべて国産していました。食用油は、国産の大豆油やナタネ油で自給できていたのです。
それがWTO加盟による農産物貿易を自由化によって、急激にインドネシアやブラジルのヤシ油や大豆油の輸入量を増やし、中国などすでに日本を抜いて世界一位の大豆輸入国になってしまいました。それがインドネシアやブラジルのさらなる熱帯林破壊につながっているのです。
それで中国やインドが幸せなのかといえば、そんなことは全くありません。中国の大豆生産農家やインドの菜の花生産農家は、農業を続けてられなくなって困窮化しているのです。インドなどでは、菜の花農家や菜種油の搾油業者などあわせて300万人以上が失業し、路頭に迷ったという試算もあります。
中国やインドが、再び国内農家の保護政策に転じ、国内農業を保護して大豆油や菜種油を自給するようになれば、国際市場からの需要は減少に転じ、インドネシアもブラジルもこれ以上熱帯林を農地に変える必然性は消えるのです。
もちろん老舗の輸入国である日本も、大豆の自給率向上に努めねばならないのは言うまでもありません。アマゾンを救うためです。
WTOの農産物関税引き下げによって、輸出するインドネシアもブラジルも自然と先住民族の権利が脅かされ、輸入する中国もインドも農村が困窮し社会が不安定化しており、ともに不幸になっているのです。さらに貴重な熱帯林が消えることにより、トラやオランウータンのすみかを奪い、希少植物の遺伝資源も損失させ、地球温暖化を破局化させ、人類全体の不幸を生みだしている。まさにwin-winならぬ、lose-lose-loseの関係といってよいでしょう。
それで何の見返りがあるのかといえば、「消費者利益」なるものが指摘されているのですが、これは実態のないインチキ、プロパガンダにすぎません。貿易自由化の結果もたらされたといっても過言でない現在の食糧危機をみれば分かるでしょう。自由化がグローバルなレベルで合成の誤謬をもたらすからそうなるのです。
世界がちょっと農産物関税をあげて地産地消を促すだけで、簡単に30-40%のCO2を削減できるという根拠が分かりましたでしょうか。運送エネルギーの削減や、石油ガブ飲みの重機の使用の削減によるCO2排出の削減のみならず、熱帯林の農地転用に歯止めをかけることによるCO2削減効果がじつに大きいのです。
新古典派経済学の枠組みですら、CO2排出のような「外部不経済効果」には、環境税を賦課して内部化するという処方箋を受け入れます。だったら農産物の国際貿易による外部不経済の発生を考えれば、外部不経済を内部化するために、関税に環境税的意味を持たせて引き上げろという議論にこそなれ、関税撤廃などあり得ないはずなのです。
それなのに新古典派の環境経済学の教科書といえば、貿易の問題には口を閉ざしてほとんど何も言わない、書かないという状況です。要するに臭いものにはフタをして、思考停止してしまっているわけです。
最近、「フードマイレージ」と「バーチャル・ウォーター」という二つの概念が注目を集めています。これは絶望的な今日にあって、若干よい傾向の流行だといえるでしょう。前者は食料の輸送にともなって発生するCO2を計量化しようという試みであり、後者は農産物の輸入によって、生産国の水資源の損失にどれだけ寄与しているのかを計量化しようという試みです。二つとも農産物貿易に伴う外部不経済を計量化しようという取組なのです。ちなみに日本はフードマイレージの値も最悪、バーチャル・ウォーターの輸入も最悪の、世界最悪の非循環型社会なのです。
農産物貿易に伴う外部不経済は他にもたくさんありますが(生物多様性の破壊、森林破壊、農村の文化と農家の生活の破壊、飢餓リスクの拡大、農薬・化学肥料の使用量拡大、土壌の破壊と流出、GMOの拡散と遺伝子汚染、窒素輸入による富栄養化、塩害、砂漠化などなど)、とりあえずこのフードマイレージとバーチャルウォーターという二つの外部不経済を貨幣換算し、それを内部化するために課税しようとするだけでも、かるく現行の関税率の水準を上回る税金を課さねばならないということが分かるでしょう。ならば、関税率を引き上げろという議論にこそなれ、引き下げなどあり得ない話です。
ゆえに、即刻WTOの閣僚会合を決裂させるべきです。WTOは、議題を関税引き下げから、関税の環境税化による引き上げに変更した上で、出直すべきだといえるでしょう。これ以上、一部の工業界の近視眼的輸出利益の追求のために、かけがえのない地球を失うような愚を続けるべきではないのです。
一次産品を作るのに、高コストにならざるを得ない(歴史的背景もあるでしょうし、地理的な理由もあるでしょうけど)日本にとって「戦略的に優れた」政策であるとわたしも思います。また関さんが、江戸時代の幕藩体制に一つの理想的平衡点を求められる理由でもあろうな、とも思いました。
幕藩体制が自壊した理由……、政策的な地域分断が、飢餓と豊作とを国内に併存させる結果になった……というあたりは、政策の民主制と、情報についての障壁撤廃とで、なんとか対処できるかな、と希望的な観測をわたしは持っています。
先日、たしかNHKの特集でロンドンのオフィスでのCO2対策で飲み水の輸送コストも対策に加えているシーンがあり、あれっと思いました。
>政策の民主制と、情報についての障壁撤廃とで、な
>んとか対処できるかな、と希望的な観測をわたしは
>持っています。
私もそう思います。また、江戸時代の飢餓の裏には、じつは投機的側面(コメの先物取引など)やモノカルチャー的側面(東北諸藩が江戸向けの大豆など換金作物生産に精を出して、自給生産を怠ったこと)の側面もあったようです。決して封建制度の失敗による飢餓とばかりは言い切れない、「市場の失敗」の側面もあったのではないかと。
農業問題についての当方のブログ記事に関様のブログ記事を引用させていただきました。
もし問題等おありでしたらなんなりとご報告ください。
ご報告ください=×
ご指摘ください=○
ですね。訂正させていただきます。
でも、ヘーゲルやマルクスは、矛盾の「解決(lösen)」と「解消=撤廃(aufheben)」を峻別していました。
たとえば、矛盾の高次形態への解決たる商品交換からの貨幣の発生には前者の用語をあてて、矛盾の根拠への還帰たる後者と明確に区別していた。
そのアナロジーで言えば、「排出量取引」制度の創出などというものは、しょせんは矛盾多き市場経済制度の枠内での弥縫策でしかない、ということでしょうね。
「排出量取引」に対しては、表層的な政治的批判にとどまらず、学問的な根底的批判が、許容や美化・迎合の変種ではなく、早晩、根本的な理論的批判と実践的な矛盾の撤廃が求められることになると思います。
矛盾の解決態たる貨幣を発生させても、一方では使用価値と価値との矛盾が依然として存続するような事態の許容ではなく、存立する矛盾それ自体を撤廃し根拠への還帰を実現するのような、矛盾の運動化ではなくその運動場面自体の解消こそが求められてくるのでしょう。
矛盾の目先だけの「解消」に逃げ込ませてはいけない!
カッコ内は「losen」の「o」にウムラウトが付いていることを打ち込んだつもりでした。