
何か米軍基地に関連した話題が続きましたので、アジアの米軍に関する閑話休題といきたいと思います。
この写真は、今から10年前、私が1998年にフィリピンのオロンガポ市にある米国のスービック海軍基地跡地を訪れたときに撮影したものです。えっ、このオジサンはだれかって?
このオジサンの正体を伝えるためには、少々背景説明が必要になります。
1992年まで、オロンガポのスービック湾には米国の東アジアにおける最大の海軍基地が存在しました。フィリピンを40年以上にわたって植民地支配した米国は、1946年にフィリピンに「独立」を与えたものの、スービック海軍基地やクラーク空軍基地をはじめとする米軍基地を残して、フィリピンに駐留し、現在の日本がそうなってしまっているように、間接的に支配し続けたのです。
1991年、フィリピンと米国が結んでいた米軍基地貸与条約の期限が切れることになっていました。当時のアキノ政権は、米国とのあいだに新しい基地条約を締結してスービック海軍基地を存続させようとしていました。
しかし、基地のない真の独立を求めるフィリピン国民世論は高まり、その声におされてフィリピン上院は「新しい基地条約」の批准を否決してしまうのです。
こうしてめでたくスービック基地はフィリピンに返還されることになりました。拍手!! ああ、日本人はいつ「その日」を迎えることになるのでしょう。
さて現在、基地跡地は、特別に税制優遇して外資企業を誘致するというフィリピン政府の輸出加工区になっています。
もっとも基地はとーっても広いのです。基地の周辺の熱帯林は、米軍兵士のためのジャングル・サバイバル・トレーニング場となっていました。いま、かつての米軍兵士のサバイバル・トレーニング場は、観光客の熱帯林ツアーに開放されています。
ベトナム戦争の最中、米軍兵士はここで熱帯林の中で迅速に行動するための軍事訓練を受け、その後、ベトナムの戦地へと送られていったのです。
私は91年の反基地運動の最中、基地の門の前までは来ていたのですが(デモで)、中に入ったのは98年がはじめてでした。
前置きが長くなりました。ようやくこのオジサンの正体を明らかにすることができます。
このオジサンは、米軍兵士にジャングルでのサバイバル・トレーニングを施すための教官だった人なのです。このオジサンはフィリピンの先住民族アエタ民族の出身の方です(もっとも正確にはタガログ民族の血も入った混血の方ですが…)。この米軍基地周辺の林野はもともと先住民族アエタの生活領域だった場所です。米軍は、狩猟採集民族アエタの人々をジャングルでの軍事訓練の教官に採用していたのです。
アエタ民族は、マレー系のフィリピン人が移入してくる前からフィリピンにいた、東南アジアに最も古くから住み着いていた先住民族です。アエタは、一般には、「狩猟採集民族」として知られていますが、現在では、ほぼ半農・半狩猟採集生活をしています。でも、元来が狩猟採集民族ですから、熱帯林の中は自分の庭みたいなものなのです。
アエタ民族は、マレー系のフィリピン人とは人種が異なり、国内では差別の対象にされています。そのアエタ民族が、フィリピンを支配する米軍兵士の教官を務めていたというのは、大変に面白い関係です。
で、狩猟採集民族ってのは、熱帯林の中で、どの植物が食べられるのか、どの植物が薬用として使えるのか、どの植物が毒性なのか・・・・などなど、植物利用の知識を知り尽くしています。
よく米国など先進国の製薬会社などが、先住民族の薬用植物に関する知識を盗んで、そこから新薬を開発するので、途上国政府が「バイオ・パイラシーだ」と言って批判の対象にしています。
先進国の製薬会社にとって巨万の富をもたらすというくらい、狩猟採集民族の植物利用に関する知識は膨大なものなのです。
このオジサンは、米軍兵士に「この植物は食べられる」「このツルからは飲料水が得られる」・・・・といったジャングル・サバイバルの知識を伝授していたというわけです。米軍兵士たちは卒業試験として、一週間、熱帯林の中に放り出されて、熱帯林の中の食用植物・動物・魚などを食べてサバイバルすることが課せられていたそうです。その試験をクリアーして米軍兵士はベトナムに派遣されて行きました。
1992年に米軍が出ていって、失業してしまったオジサンは、いまは観光客を相手に熱帯林ツアーのガイドをしているというわけです。この写真では、私に向って、「この植物は釣り糸になるんだよー」と説明しているところです。
で、オジサンのすごい知識量に圧倒されつつも、私は質問したのです。「でも、フィリピンの植生とベトナムの植生って違うので、ここの植物の知識ってベトナムで役に立つのでしょうか?」って。
オジサンの答えは、「エーワンコ(知らないよ!)」でした。
この写真は、今から10年前、私が1998年にフィリピンのオロンガポ市にある米国のスービック海軍基地跡地を訪れたときに撮影したものです。えっ、このオジサンはだれかって?
このオジサンの正体を伝えるためには、少々背景説明が必要になります。
1992年まで、オロンガポのスービック湾には米国の東アジアにおける最大の海軍基地が存在しました。フィリピンを40年以上にわたって植民地支配した米国は、1946年にフィリピンに「独立」を与えたものの、スービック海軍基地やクラーク空軍基地をはじめとする米軍基地を残して、フィリピンに駐留し、現在の日本がそうなってしまっているように、間接的に支配し続けたのです。
1991年、フィリピンと米国が結んでいた米軍基地貸与条約の期限が切れることになっていました。当時のアキノ政権は、米国とのあいだに新しい基地条約を締結してスービック海軍基地を存続させようとしていました。
しかし、基地のない真の独立を求めるフィリピン国民世論は高まり、その声におされてフィリピン上院は「新しい基地条約」の批准を否決してしまうのです。
こうしてめでたくスービック基地はフィリピンに返還されることになりました。拍手!! ああ、日本人はいつ「その日」を迎えることになるのでしょう。
さて現在、基地跡地は、特別に税制優遇して外資企業を誘致するというフィリピン政府の輸出加工区になっています。
もっとも基地はとーっても広いのです。基地の周辺の熱帯林は、米軍兵士のためのジャングル・サバイバル・トレーニング場となっていました。いま、かつての米軍兵士のサバイバル・トレーニング場は、観光客の熱帯林ツアーに開放されています。
ベトナム戦争の最中、米軍兵士はここで熱帯林の中で迅速に行動するための軍事訓練を受け、その後、ベトナムの戦地へと送られていったのです。
私は91年の反基地運動の最中、基地の門の前までは来ていたのですが(デモで)、中に入ったのは98年がはじめてでした。
前置きが長くなりました。ようやくこのオジサンの正体を明らかにすることができます。
このオジサンは、米軍兵士にジャングルでのサバイバル・トレーニングを施すための教官だった人なのです。このオジサンはフィリピンの先住民族アエタ民族の出身の方です(もっとも正確にはタガログ民族の血も入った混血の方ですが…)。この米軍基地周辺の林野はもともと先住民族アエタの生活領域だった場所です。米軍は、狩猟採集民族アエタの人々をジャングルでの軍事訓練の教官に採用していたのです。
アエタ民族は、マレー系のフィリピン人が移入してくる前からフィリピンにいた、東南アジアに最も古くから住み着いていた先住民族です。アエタは、一般には、「狩猟採集民族」として知られていますが、現在では、ほぼ半農・半狩猟採集生活をしています。でも、元来が狩猟採集民族ですから、熱帯林の中は自分の庭みたいなものなのです。
アエタ民族は、マレー系のフィリピン人とは人種が異なり、国内では差別の対象にされています。そのアエタ民族が、フィリピンを支配する米軍兵士の教官を務めていたというのは、大変に面白い関係です。
で、狩猟採集民族ってのは、熱帯林の中で、どの植物が食べられるのか、どの植物が薬用として使えるのか、どの植物が毒性なのか・・・・などなど、植物利用の知識を知り尽くしています。
よく米国など先進国の製薬会社などが、先住民族の薬用植物に関する知識を盗んで、そこから新薬を開発するので、途上国政府が「バイオ・パイラシーだ」と言って批判の対象にしています。
先進国の製薬会社にとって巨万の富をもたらすというくらい、狩猟採集民族の植物利用に関する知識は膨大なものなのです。
このオジサンは、米軍兵士に「この植物は食べられる」「このツルからは飲料水が得られる」・・・・といったジャングル・サバイバルの知識を伝授していたというわけです。米軍兵士たちは卒業試験として、一週間、熱帯林の中に放り出されて、熱帯林の中の食用植物・動物・魚などを食べてサバイバルすることが課せられていたそうです。その試験をクリアーして米軍兵士はベトナムに派遣されて行きました。
1992年に米軍が出ていって、失業してしまったオジサンは、いまは観光客を相手に熱帯林ツアーのガイドをしているというわけです。この写真では、私に向って、「この植物は釣り糸になるんだよー」と説明しているところです。
で、オジサンのすごい知識量に圧倒されつつも、私は質問したのです。「でも、フィリピンの植生とベトナムの植生って違うので、ここの植物の知識ってベトナムで役に立つのでしょうか?」って。
オジサンの答えは、「エーワンコ(知らないよ!)」でした。
ちなみに「基地のない真の独立を求めるフィリピン国民世論」形成には、ピナツボ火山の噴火で米軍があっさりクラーク基地を放棄したのにフィリピン国民が疑念を抱いたことも後押ししたのではないかと。
この映画が作られた当時の米国はまさにレーガニズムの真っ最中だった記憶があります。
新自由主義の本質を突いた見事な映画だと思いますね。
ぜひ全ての日本人に見てほしいですね。
つうか学校で見せればいいと思いますw
残念な事に日本ではこのような映画や番組は出てきませんね。
日本人全員にあのサングラスを配りたいもんです。
ネットの出現にそれを期待しましたが、マスコミに比べればあまりにも無力でしたね。
>ピナツボ火山の噴火で米軍があっさりクラーク基地
>を放棄したのに
ピナトゥボ火山の噴火で、クラーク空軍基地は使用不可能になりました。が、米国はスービック海軍基地の方は維持しようとしていたことは確かです。
ただ、ご指摘のように、噴火の結果、米国政府は、あの手この手の裏ワザで、フィリピンの上院議員たちを籠絡しようとするインセンティブを失ったというのは確かにあったと思います。
今でも思い出しますが、この新条約の採決の一週間前でも、私の知り合いのジャーナリスト(マレーシア人だった)など、「今頃米国は、裏では(新条約)反対派議員の切り崩しに成功しているだろうさ。今の票読みでは条約は否決だが、みてな。アイツとアイツ(上院議員の固有名詞)は裏切って、そうせ批准されるだろう」と言っていたものでした。
フタを開けてみれば、裏切りは出ずに、無事に否決されました。
今にして思えば、米国が必至になって巧妙な策謀をめぐらせば、逆転もあったのかも知れません。
まあ、米国にしてみれば、フィリピンには「思いやり予算」なんてものがないので、駐留経費がどうしても高くつく。「だったら在比米軍の戦力を日本に移転させちゃえばいいや」ってのが本音だったのかも知れません。ああ、情けない・・・。
それは愚かな平和思想ですよ
その後一体どうなったか
アメリカの後ろ盾が無くなるやいなや、南沙諸島に中国が侵攻
基地を作って、更にはその基地の防衛を建前に艦隊派遣
で、いまだに居座り続ける
http://blogs.yahoo.co.jp/manta92io/7215373.html
悪しきに取れば米軍の占領と言えるでしょう
でも実際に守られていたのも事実
日本も今、中国が「探りを入れる」ような行動を取っていますが・・・
どれだけ危険な状態かわかってるのでしょうか
http://naotaka.main.jp/newsblog/2010/04/post-15.html