ちょっと遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。何だかんだとブログをはじめて2年が経過しました。気が向いたときの不定期更新のマイナー・ブログですが、読者の皆様に励まされて何とか続けて参りました。匿名の恫喝・罵倒コメントをいただくこともしばしばで、最初は怖かったのですが、最近は慣れて参りました。ネットの威力も恐ろしさも共に体験した2年間でした。ITオンチが運営するセンスのないブログで、いつまで続くかも不明です。忙しくなり出したら突然止めるかも知れません。とりあえず当面は続けますので、何卒よろしくお願いいたします。
ネット社会の怖さといえば、元日の『毎日新聞』の一面トップ記事で「ネット君臨 第一部・失われていくもの」という特集をしていました。2ちゃんねるで虚偽情報も含めた誹謗中傷を受け続ける被害者と、中傷を続ける中心的人物というHN「がんだるふ」氏のインタビューを掲載していました。実名をさらされて2ちゃんねるで叩かれ続ける被害者と、匿名を隠れ蓑に叩き続ける「2ちゃんねらー」の非対称性を描いています。
毎日新聞が併設したブログ「まいまいクラブ」でも、さっそく多数の人々(多くは2ちゃんねらー?)が訪れて熱い議論が闘わされております。
私自身も、リンク先を示さない正体不明の匿名の方から罵倒・恫喝的コメントをしばしばもらいます。実名をさらしている私と、匿名の攻撃者との非対称性性にしばしば怖さを感じます。
「匿名」の隠れ蓑に甘えて、ネット上の言論活動は、どんどん卑劣なものになっていきます。私は卑劣さに拍車がかかっていくような傾向に歯止めをかけたいという意味も含めて、実名でブログを行っています。
かくいう私も、実名の個人をたびたび批判していますが、批判の対象は小泉純一郎であったり、ジョージ・ブッシュであったり、竹中平蔵であったりミルトン・フリードマンであったり、要するに権力者たちや権力に擦り寄る知識人達ばかりです。私は、多数の人々の生活破壊に圧倒的な力を行使する権力者は断固として批判しますが、それ以外の人々を実名をあげて批判するようなことは決していたしません。また市民生活の改善に向けた良い行為をしている権力者は応援します。
私は、マスコミ批判も頻繁にしますが、マスコミが既に第4の権力として、横暴の度合いを強めているからです。良心的な報道に対しては、逆に応援したいと思っています。また私は、相手が権力者であっても、自らは匿名で批判するようなことはしたくありません。私も堂々と実名を名乗ります。
私が『毎日新聞』の購読を続けてきた理由の一つには、記者の実名入りの記事が多い点があります。社内でも見解は分かれているが、あくまで個人の責任で書いてますよという、責任の所在をはっきりさせていることが多いからです。某紙のように匿名でもって、あたかも社会全体の良識を代表しているかのような独善的でエラそうなお説教記事を書いたりしないので、好感が持てるからです。
その意味で、匿名性の隠れ蓑にした卑劣な行為がまかり通るネット社会を批判する毎日新聞のネット社会取材班が、記者の名前を明かさずに匿名で報道しているのには、少々いただけないものを感じます。
ネット社会の住人には、市場原理主義の猛威のせいで、フリーターなどの不安定就労を強いられ、現実社会に確固たる足場を築けずに苦汁をなめることを強いられている市場原理主義の被害者の方々が多いのでしょう。何故、自分たちを苦しめている元凶である、権力者たちに怒りの矛先を向けず、市井にある特定個人を攻撃するようなことをする方々が多いのか、その理由が本当によく分かりません。
「武士道」がブームになっている割には、匿名を隠れ蓑にして、特定個人を集団でいじめて叩き続けるという姑息で卑劣な人々が増えているのはどうしてでしょうか? そんなことをする大人が増えたら、当然、子供にも伝染しますよ。
「やーやー、遠くにあらば音に聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは、○○国○○の住人、○○なるぞ。腕に覚えのある者はかかってまいれ」という源平合戦の頃の、勝っても負けても名誉を重んじる「名乗り」には非常にすがすがしいものを感じます。ネット社会の討論も源平時代のようであるべきではないかと私は思うのです。せっかく武士道がブームになったのですから・・・。
私は学生時代にはデモに熱心に参加する人間でした。しかしながら、大学入学早々にまず驚いたのは、デモの際、サングラスにマスクを着用して顔を隠そうとする学生運動団体が多いことでした。そうした態度がイヤで、他の人々がサングラスにマスクを着用してデモに出ても、私は素面でデモに参加したものでした。
大学一年生の頃、「公安に個人を特定されないようにするのがサングラスにマスクの目的なのだ」と説教され、「悪いことをしているわけでもないのに、何で顔を隠さなければならないんですか?」と反論したものです。
よっぽど「顔を隠さなきゃデモもできないような卑怯な人は学生運動なんかやらなきゃいいでしょう」と言ってやりたかったのですが、そこまでは年長者に失礼なので言わなかった・・・。
「公安警察に名前が割れると、公安が実家にまで手を伸ばしたり、就職の際に手が回ったり、いろいろと不利益を受けるのだ」
「デモに参加して言論の自由を行使したことによって社会生活上の不利益が生じるようなことがあれば、憲法違反なのだから、逆に裁判に訴えてやればいいじゃないですか。権力がそんな卑劣なことをするのなら、裁判で正々堂々と闘えばよいでしょう。そっちの方が、裁判を通して権力の卑劣さを世に知らしめることができ、運動の側に有利じゃないですか。顔を隠しているデモ隊になんか世間の同情は集まりませんよ」
最後には「お前は甘い。国家権力の恐ろしさを知らないのだ」などと怒鳴られたものでした。
そんな経験を幾度かして、大学一年の終わり頃には、「日本の左翼はバカである」という確信を確固たるものにしました。そう思いながらも、左翼運動そのものを変えていこうという使命感をもって学部学生の頃はズルズルと運動を続けてしまいました。ああ、恥ずかしい・・・・・・・。
もっとも私は、WTOも発足してない90年代の初頭の段階で既に「GATTウルグアイ・ラウンド阻止」「IMF=GATT体制粉砕」といったスローガンを掲げて学生運動を組織化し、のちに現れた反グローバル運動を先取りしたような問題提起をしていました。まだ「新自由主義」などという言葉も日本ではほとんど知られていなかった90年代初頭に、IMFの構造調整とGATTのウルグアイ・ラウンドが、世界の自然環境と雇用とをメチャクチャにするだろうと予測できたのは、大局的に正しい判断だったと自負しております。でも、あまり代替案提示型の運動ではなかったと反省もしてます。もっとも、当時はそうしたスローガンを掲げる意義は周囲の学生運動体や環境NGOなどからも全く理解されず、ほとんど孤立無援でしたが・・・・。
そして、あちこちの党派から嫌がらせや中傷や脅迫なども受け、精神的な傷も負い、最後にはつくづくアホらしくなったのでした。大学を卒業して以降は、一個人の責任で言論を行使する以外は、一切、集団的な運動体には関わらないようになって現在に至っております。
私は思うのです。日本の左翼が最後的におかしくなったのは、デモの際に好んでサングラスやマスクやヘルメットを着けたがるようになった60年代後半以降のことではないかと。顔を隠さなきゃデモもできないなんて、こんな卑怯な人々が社会を良い方向に変えられるとは思えないからです。
そして、こうした匿名主義の左翼的病理は、現在もネット右翼の人々に連綿と引き継がれているのです。彼らの精神構造は似ているとつくづく感じる次第です。
何か、ネット社会の怖さから話題が転じて思わぬ方向に話が逸れてしまいました。長くなってきましたので、この辺にいたします。
************************************************
<ブックマークの変更について>
コメントのやり取りを活発にする新しいブロガーの方々が増えてきました。私のブログのブックマーク欄は、単にブログでの議論を通じて知り合ったブロガーの人々を、ほぼ古い順に上から並べただけのものでした。新しく知り合った方々のブログをブックマーク欄に入れようと思っていたのですが、gooのブログには30のURLしか入らないので増やせないでおりました。
そこでやむを得ず、最近ご無沙汰になっていて議論が途絶えている方々のブログをブックマークから外して、現在進行形でコメントのやり取りの多い方々のブログと入れ替えました(深い意味はないのです。申し訳ございません)。ブログの趣旨や主張に賛同するか否かを問わず、議論を多くする方々のブログをブックマークに入れます。今後も、その時々の議論の状況にあわせて定期的に入れ替えるようにいたします。
また、ブログの配列順序ですが、この記事に書いた趣旨のとおり、実名ブログを奨励するという意味もこめて、実名ブロガーの方々を上の方に配列させていただきました。ご了承ください。
ネット社会の怖さといえば、元日の『毎日新聞』の一面トップ記事で「ネット君臨 第一部・失われていくもの」という特集をしていました。2ちゃんねるで虚偽情報も含めた誹謗中傷を受け続ける被害者と、中傷を続ける中心的人物というHN「がんだるふ」氏のインタビューを掲載していました。実名をさらされて2ちゃんねるで叩かれ続ける被害者と、匿名を隠れ蓑に叩き続ける「2ちゃんねらー」の非対称性を描いています。
毎日新聞が併設したブログ「まいまいクラブ」でも、さっそく多数の人々(多くは2ちゃんねらー?)が訪れて熱い議論が闘わされております。
私自身も、リンク先を示さない正体不明の匿名の方から罵倒・恫喝的コメントをしばしばもらいます。実名をさらしている私と、匿名の攻撃者との非対称性性にしばしば怖さを感じます。
「匿名」の隠れ蓑に甘えて、ネット上の言論活動は、どんどん卑劣なものになっていきます。私は卑劣さに拍車がかかっていくような傾向に歯止めをかけたいという意味も含めて、実名でブログを行っています。
かくいう私も、実名の個人をたびたび批判していますが、批判の対象は小泉純一郎であったり、ジョージ・ブッシュであったり、竹中平蔵であったりミルトン・フリードマンであったり、要するに権力者たちや権力に擦り寄る知識人達ばかりです。私は、多数の人々の生活破壊に圧倒的な力を行使する権力者は断固として批判しますが、それ以外の人々を実名をあげて批判するようなことは決していたしません。また市民生活の改善に向けた良い行為をしている権力者は応援します。
私は、マスコミ批判も頻繁にしますが、マスコミが既に第4の権力として、横暴の度合いを強めているからです。良心的な報道に対しては、逆に応援したいと思っています。また私は、相手が権力者であっても、自らは匿名で批判するようなことはしたくありません。私も堂々と実名を名乗ります。
私が『毎日新聞』の購読を続けてきた理由の一つには、記者の実名入りの記事が多い点があります。社内でも見解は分かれているが、あくまで個人の責任で書いてますよという、責任の所在をはっきりさせていることが多いからです。某紙のように匿名でもって、あたかも社会全体の良識を代表しているかのような独善的でエラそうなお説教記事を書いたりしないので、好感が持てるからです。
その意味で、匿名性の隠れ蓑にした卑劣な行為がまかり通るネット社会を批判する毎日新聞のネット社会取材班が、記者の名前を明かさずに匿名で報道しているのには、少々いただけないものを感じます。
ネット社会の住人には、市場原理主義の猛威のせいで、フリーターなどの不安定就労を強いられ、現実社会に確固たる足場を築けずに苦汁をなめることを強いられている市場原理主義の被害者の方々が多いのでしょう。何故、自分たちを苦しめている元凶である、権力者たちに怒りの矛先を向けず、市井にある特定個人を攻撃するようなことをする方々が多いのか、その理由が本当によく分かりません。
「武士道」がブームになっている割には、匿名を隠れ蓑にして、特定個人を集団でいじめて叩き続けるという姑息で卑劣な人々が増えているのはどうしてでしょうか? そんなことをする大人が増えたら、当然、子供にも伝染しますよ。
「やーやー、遠くにあらば音に聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは、○○国○○の住人、○○なるぞ。腕に覚えのある者はかかってまいれ」という源平合戦の頃の、勝っても負けても名誉を重んじる「名乗り」には非常にすがすがしいものを感じます。ネット社会の討論も源平時代のようであるべきではないかと私は思うのです。せっかく武士道がブームになったのですから・・・。
私は学生時代にはデモに熱心に参加する人間でした。しかしながら、大学入学早々にまず驚いたのは、デモの際、サングラスにマスクを着用して顔を隠そうとする学生運動団体が多いことでした。そうした態度がイヤで、他の人々がサングラスにマスクを着用してデモに出ても、私は素面でデモに参加したものでした。
大学一年生の頃、「公安に個人を特定されないようにするのがサングラスにマスクの目的なのだ」と説教され、「悪いことをしているわけでもないのに、何で顔を隠さなければならないんですか?」と反論したものです。
よっぽど「顔を隠さなきゃデモもできないような卑怯な人は学生運動なんかやらなきゃいいでしょう」と言ってやりたかったのですが、そこまでは年長者に失礼なので言わなかった・・・。
「公安警察に名前が割れると、公安が実家にまで手を伸ばしたり、就職の際に手が回ったり、いろいろと不利益を受けるのだ」
「デモに参加して言論の自由を行使したことによって社会生活上の不利益が生じるようなことがあれば、憲法違反なのだから、逆に裁判に訴えてやればいいじゃないですか。権力がそんな卑劣なことをするのなら、裁判で正々堂々と闘えばよいでしょう。そっちの方が、裁判を通して権力の卑劣さを世に知らしめることができ、運動の側に有利じゃないですか。顔を隠しているデモ隊になんか世間の同情は集まりませんよ」
最後には「お前は甘い。国家権力の恐ろしさを知らないのだ」などと怒鳴られたものでした。
そんな経験を幾度かして、大学一年の終わり頃には、「日本の左翼はバカである」という確信を確固たるものにしました。そう思いながらも、左翼運動そのものを変えていこうという使命感をもって学部学生の頃はズルズルと運動を続けてしまいました。ああ、恥ずかしい・・・・・・・。
もっとも私は、WTOも発足してない90年代の初頭の段階で既に「GATTウルグアイ・ラウンド阻止」「IMF=GATT体制粉砕」といったスローガンを掲げて学生運動を組織化し、のちに現れた反グローバル運動を先取りしたような問題提起をしていました。まだ「新自由主義」などという言葉も日本ではほとんど知られていなかった90年代初頭に、IMFの構造調整とGATTのウルグアイ・ラウンドが、世界の自然環境と雇用とをメチャクチャにするだろうと予測できたのは、大局的に正しい判断だったと自負しております。でも、あまり代替案提示型の運動ではなかったと反省もしてます。もっとも、当時はそうしたスローガンを掲げる意義は周囲の学生運動体や環境NGOなどからも全く理解されず、ほとんど孤立無援でしたが・・・・。
そして、あちこちの党派から嫌がらせや中傷や脅迫なども受け、精神的な傷も負い、最後にはつくづくアホらしくなったのでした。大学を卒業して以降は、一個人の責任で言論を行使する以外は、一切、集団的な運動体には関わらないようになって現在に至っております。
私は思うのです。日本の左翼が最後的におかしくなったのは、デモの際に好んでサングラスやマスクやヘルメットを着けたがるようになった60年代後半以降のことではないかと。顔を隠さなきゃデモもできないなんて、こんな卑怯な人々が社会を良い方向に変えられるとは思えないからです。
そして、こうした匿名主義の左翼的病理は、現在もネット右翼の人々に連綿と引き継がれているのです。彼らの精神構造は似ているとつくづく感じる次第です。
何か、ネット社会の怖さから話題が転じて思わぬ方向に話が逸れてしまいました。長くなってきましたので、この辺にいたします。
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<ブックマークの変更について>
コメントのやり取りを活発にする新しいブロガーの方々が増えてきました。私のブログのブックマーク欄は、単にブログでの議論を通じて知り合ったブロガーの人々を、ほぼ古い順に上から並べただけのものでした。新しく知り合った方々のブログをブックマーク欄に入れようと思っていたのですが、gooのブログには30のURLしか入らないので増やせないでおりました。
そこでやむを得ず、最近ご無沙汰になっていて議論が途絶えている方々のブログをブックマークから外して、現在進行形でコメントのやり取りの多い方々のブログと入れ替えました(深い意味はないのです。申し訳ございません)。ブログの趣旨や主張に賛同するか否かを問わず、議論を多くする方々のブログをブックマークに入れます。今後も、その時々の議論の状況にあわせて定期的に入れ替えるようにいたします。
また、ブログの配列順序ですが、この記事に書いた趣旨のとおり、実名ブログを奨励するという意味もこめて、実名ブロガーの方々を上の方に配列させていただきました。ご了承ください。
本年もよろしくお願い致します。
こちらの「代替案」の趣旨は自然の摂理~(会員として参加させてもらっていますが)と同じように根本問題が市場原理にあるというところで、これをどう転換させていくべきかが課題となっています。テーマが多岐にわたり、当然、全てに精通するなど個人レベルではムリなので、良心、良識のある柔軟な方たちと
連携していければ、可能性が広がっていくのではと思っています。むしろ、これからの社会では、みんなが納得するというステップこそが最も重要なことではないかと思います。市場社会では皆が傍観者であったことがここまで暴走してしまった悲劇だったからです。
単なる自己正当化、自己主張の誹謗中傷とは一線を画す可能性発のコメントを今年も期待しています。
何を言いたいのか分からない支離滅裂な年頭の挨拶になってしまいましたが、今年もない知恵を絞って代替案を考えて行きたいと思います。
活発な討論の中で、お互いの知恵を少しでもクリエイティブに発展させてくことができれば、すばらしいことだと思います。
ぜひとも連携して、少しでも前向きな提言をしてまいりましょう。
ブログを出来る限りお続けください・・・お願いします。m(.. ..)m
毎回の更新に様々な反応があり大変なこともあると思いますが、読者にも理不尽なコメントははっきりわかりますし応援しております。
政治・経済・生活・環境など混沌とした状況の中ですが、多くの読者に「代替案」という形の指針や方向性を提案し、そこから「具体策」へ発展させることも出来るかと思います。提案なくして実現なしです!
今年もよろしくお願いします。
いつも説得力がありますよ代替案さんは!!
ひとつの時代でしたね確かに。
大企業にいったひと、企業家となったひと、山奥に登校拒否児やなにがしかの”問題児”をあつめて個人塾をひらいたひと、障害者福祉の現場へはいっていったひと、・・・・いろいろなひとが”社会と個人”という問題にコミットしながらいろんな方面へ進んでいった時代でした。
そのことにおいてひとつの時代であったことはたしかです。
叩かれた主婦は、飛行機内で携帯電話を使用して(法律違反)飛行機を出発地まで逆戻りさせ、それを自慢げにBLOGに書いたし、死ぬ死ぬ詐欺は募金団体トリオジャパンの資産運用があまりにも不透明だったり、医者の診断書を公開しないかったり、単純に説明不足だったり。
2ちゃんねらーを叩きたいが為に記事を作るから、こーゆー都合の悪い情報は載せないのです。
全ての情報を載せた上で、善悪の判断は読者にゆだねるべきだと思います。
俺の意見としては、主婦に関しては違法行為を実名BLOGで載せたのが悪いし、死ぬ死ぬ詐欺に関しては2ちゃんねらーが悪いと思ってます。
人の善意に付け込む詐欺集団がいるから、まっとうな募金団体が迷惑をこうむるのでしょうが……。
私の大変エエ加減なページまでリンクに入れていただき、恐縮です。せっかくですので、今年はもうちょっと自分の勉強している経済学の話など内容のあることを書こうと思いました。
今年もよろしくお願いいたします。
一つ言えることは、実名の相手を批判するのに、叩く側が正体不明の匿名という事がものすごく卑怯だということです。匿名の隠れ蓑によって、虚偽情報が流れる可能性も高くなります。
虚偽情報で名誉を毀損することは犯罪です。その犯罪捜査に協力できない無責任な掲示板管理者なら、掲示板など止めるべきだと思います。
自分の専門分野の研究内容に関しては、やはり活字論文にしなければ飯の食い上になりますのでブログには迂闊なことは書けないのですが、経済学のこととなると活字論文にするインセンティブが全くないのでブログで勝手気ままに書いてしまいます。
是非、kay様におかれましては、良い研究をして優れた活字論文をどんどん発表して行ってください。
窓際へ追いやられるのが嫌だから会社の不正に目をつぶる~ってのが日本社会だと思うんです。
他にも、ノンフィクションライター溝口敦さんが指定暴力団山口組を題材にした記事を書いたら、本人じゃなくて息子さんが刺されてしまったり。悪意は矛先を選びません。
今回のケースは、叩かれたのは公共の利害に反した人です。
しかし関さんの意見ももっともなので、より良いシステムに昇華できたらなぁとは常々思っています。