代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

ダムが民主主義を破壊する ―有識者会議打ち切り

2013年03月21日 | 利根川・江戸川有識者会議
 私も委員として参加しておりました利根川・江戸川の有識者会議が先日3月18日の会議をもって打ち切られることになりました。常軌を逸したメチャクチャな議事運営が続き、毎回唖然とするばかりでしたが、議事録だけは残ります。
 
 以下の推論が妥当か否か判断してみてください。
 
 (1)計算値と実測値のあいだには乖離がある。
 (2)その乖離の理由を科学的に解明することはできなかった。
 (3)しかし計算値は妥当と判断する。

 小学生でも分かる問題ですが、どうやら立派な大学を出て博士号までとると小学生にも分かることが分からなくなっていくようです。国交省の覚えめでたい先生方は(3)を妥当というのです。

 小池俊雄委員(東京大学大学院教授)は、「乖離の理由を科学的に解明することはできなかった」とおっしゃりながら、国交省がダム建設の根拠とする計算値(架空の流量)を妥当と結論しました。
 ところが小池委員は、会議の中で議論が白熱してくると、乖離が発生する科学的な理由を説明しはじめたのです。それは明快な説明でした。(中規模洪水と大規模洪水では雨水の流出のメカニズムが異なるので、中規模洪水から同定されたパラメータは大規模洪水には当てはまらないこと)

 つまり、(2)は表向きのタテマエであり、実際には国交省の計算値と実測値が乖離する科学的理由はわかっているのです。しかし「分かった」というと国交省がダムを造れなくなって同省に迷惑がかってしまいます。そこで学者先生方は、当面分からないことにしておこう ―これが実態なのです。

 こうした議論の内容が、すべて議事録には残ります。

 国交省の皆様も最低限の良心でしょうか、議事録とこちらが出した意見書は記録としてちゃんと残そうとしてくれておりますので、この一連の議論が将来につながることを願ってやみません。

 八ッ場ダムを造れば、ダムサイトが崩れ出す可能性も高いのですが、地すべりの危険性を訴えてきた学者の意見も黙殺して、マスコミもそれをほとんんど報道してきませんでした。マスコミの責任は大です。

 公聴会、パブコメ、有識者会議で出されたほとんどの意見は「聞き捨て御免」とばかりに「河川整備計画」には反映されることはないのではないかと思われます。

 最後の会議で、大熊孝委員は、ダム計画のない兵庫県の円山川の河川整備計画などが、環境に配慮し住民も参加しながら、じつに民主的に策定されつつある様子を紹介されました。ダムがなければ、国交省の職員も生き生きと住民と一緒になって川の整備に取り組める。しかしダム計画がある河川はそうならず、住民を排除した官僚独裁計画に陥ります。
 原発と同じく、ダムも民主主義を破壊しているのです。

 「裸の王様」の童話では、子供が「王様は裸だよ~」と言ったことを契機に、大人たちがハッと気づいて我に返ります。しかし、某国の裸の王様とその取り巻きの大人たちは、子供が本当のことを言っても、「坊や何をバカなことを言っているんだい。王様は大層立派な服を着ているじゃないか。坊やは何も気にせず黙っていればいいんだよ」と諭すわけです。このままでは、その某国が亡国に至るのは間違いないでしょう。

 


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