代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸第36回「勝負」感想

2016年09月12日 | 真田戦記 その深層
 今回は結構言いたいこと多いかも・・・・・。
 前向きに行きたいので、よかった点からあげていきます。

★矢沢三十郎と信繁の別れ

 矢沢三十郎は、本来もっと前から信幸の家臣になっていて、第二次上田合戦でも初めから信幸側だったはずです。
 ドラマの中では源次郎とあまりにも仲良しで、簡単に引き離せない関係になってしまっていました。無理やり二人の仲を引き裂くのは、ドラマの中でよほど巧妙な設定をしなければ・・・・という状況でした。ここをどう描くのか、興味津々でした。
 合戦の中で、矢沢三十郎を信幸側の内通者に見せかけて、徳川方の目をごまかしつつ、信幸を無血で砥石城に入城させ、真田軍同士の衝突を回避する信繁の作戦という設定。徳川に疑われないためには、実際に内通者になり切ってもらわねばならないので、三十郎は泣く泣く信幸のもとへ・・・・。「なるほどそうきたか」と膝を打ちながら、矢沢三十郎の立場に感情移入して、もらい泣き状態でした。

★本多正信と真田昌幸の知恵比べ

 本多正信と真田昌幸の腹の探り合い、読み合いのシーンもよかったです。正信が、戦闘中に神川の堰が切って落とされないようにあらかじめ堰を切っておくかと思えば、昌幸は正信が刈田作戦に出るのをあらかじめ読んでいて徳川方の兵糧を奪う作戦に出る。さらに昌幸は染屋台に秀忠軍の本陣がおかれるのを読んでいて、太郎山山麓から染屋台の背後に回る迂回路を急造しておく・・・・。こうした武将同士の心理戦は戦国ドラマの醍醐味といえるでしょう。 
(もっとも太郎山麓から染屋台に至る道は古代から立派なのがあるので、わざわざ道を普請する必要はなかったはず。染屋台は古代に信濃国府があった場所! あ、これは地元民の独り言) 

 ただし・・・・。ここから苦言になりますが、盛り込むべきエピソードはもっと多かったはずです。昌幸の人生最後の戦いなのだから、もっと活躍させてあげてもよいのに、あれではちょっと消化不良ではないでしょうか?

 実際には、刈田作戦のあと、徳川方は真田方の挑発にのって城内に攻め込んでしまい、大規模な軍事衝突に至ります。第一次上田合戦同様、そこで徳川方に多数の戦死者が出ました。しかし、そこは描かれませんでした。
 もちろん、予算がないから野外ロケで派手な合戦シーンができないのは重々承知の上です。野外合戦シーンの予算は大坂の陣でほとんど使ってしまうはずなので、第二次上田合戦にかけるお金はないのでしょう。そこは無理にとは申しません。

 しかし、この刈田作戦の過程での昌幸と正信の軍略・知恵比べの様子は、ロケができなくとも、スタジオの中のみでも描けたはず。

 本多正信は、真田が挑発してくることを百も承知で、刈田に徹して決して挑発には乗らないように厳命してあったようです。
 対する昌幸は、現場の指揮官は激高すれば上官の命令なしでも、猪突猛進してしまうという心理を読んでいたのでしょう。しかも、現場にいたのは本多正信にはライバル心が強い大久保忠隣でした。はたして、昌幸の挑発にのって、徳川方の大久保忠隣隊や牧野康成隊は城下に乱入し、第一次上田合戦の二の舞を演じてしまうのです。

 昌幸の作戦を読んでいた正信ですが、昌幸はさらに現場の将兵の心理まで読み切っていたのではないか・・・・。そこは、正信よりも実戦経験豊富な昌幸の読み勝ちだったといえるのではないでしょうか。

 さて、その後のエピソードが恐ろしい。正信は、自分の命令がないのに、挑発にのって勝手に攻め込んだ将兵たちを軍令違反で厳しく処罰します。なんと、大久保忠隣の旗奉行であった杉浦文勝、ならびに牧野康成の旗奉行の贄掃部(にえかもん)に切腹を命じるのです。(この切腹命令のシーンは大河「葵・徳川三代」ではちゃんと描かれていました)

 それにしても、正信さん、切腹はひどすぎるのでは・・・と思わざるを得ないエピソードです。冷静な正信が思わずキレてしまうほど惨憺たる結果だったのでしょう。この昌幸と正信の知恵比べ、負けた正信の悔しさ・・・・こういった点を丹念に描いてくれれば、もっと深みが出たと思います。昌幸最後の大舞台として、すべてのパパ・ファンも満足できたことでしょう。

 大久保忠隣は、大事な家臣を切腹させられてしまい、正信に恨みを抱いたようです。その後、長く尾を引くことになる徳川家中での大久保vs本多の怨恨バトルは、第二次上田合戦のこの時に始まる、という説もあります。それが結局のちの大久保家と本多家の悲劇にもつながっていったのかも知れません。徳川家にとっても第二次上田合戦というのは、後々まで尾を引く家中の深い亀裂を残す結果になったようなのです。

★時間の配分

 関ケ原本戦をスルーしたことは全く問題はないと思います。あくまで真田目線のドラマですから。
 しかし、時代が煮詰まった分岐点というものは、平時とは違った時間の流れ方をするものです。一つ一つの決断が運命を分けるわけですから、その一つ一つの判断に重みがあるはずです。
 何が言いたいかというと、犬伏の別れから関ケ原の本戦の敗報を昌幸と信繁が受け取るまでの約2か月間の時間の流れ方は、当人たちにとって、非常に濃密な、平時とは違った時間の流れ方をしていたはずなのです。なので、もっとゆっくり時間をかけてドラマで描いてよいだろうということです。私は小山の軍議から関ケ原敗戦までで少なくとも三話は費やすべきではなかったかと思います。今更ですが、秀吉が死ぬまでに時間をかけすぎたような気がします。


★描くべき心理戦、腹の探り合いは他にも

 具体的には、この二か月の間の、武将同士の心理戦をもう少し掘り下げるべきだったのでは・・・と思います。

 心理戦は、家康と昌幸、三成と昌幸、景勝と昌幸などのあいだでも展開されていたはずです。それぞれの緊迫した腹の探り合いも掘り下げてくれたら・・・・・と思ってしまいました。

 今回のドラマで、一つ従来の俗説が覆されていました。従来は、秀忠は関ケ原に向かう途中についでに真田を攻めさせたというように解釈されていましたが、今回はそもそも真田を攻めることが秀忠軍の主要な任務であったという新しい学説を反映していました(実際、同時代史料を読み解けばそのようにしか解釈できないです)。それは、すごくよかったと思います。

 しかしなぜ家康が、秀忠が率いる徳川軍の主力部隊を西にではなく上田攻めに振り向けざるを得なかったのか、なぜ家康はそこまで昌幸を警戒したのか・・・・・その辺は歴史の深読みで、面白い心理戦を描けたはずだろう・・・と思います。家康にそう決断させた理由は何だったのかということは掘り下げられていませんでした。

 家康は、上田城の昌幸を放置したまま安心して西上できなかったのであり、その理由は真田・上杉・佐竹を放置したまま主力をすべて西に向けて長期に関東をガラ空きにするのが怖かったのでしょう。そういう心理戦を描こうとすれば、やはり三話は必要なのではないかと・・。

 同様なことは三成と昌幸のあいだでも行われていました。三成は、一貫して、上杉と真田と佐竹に関東に攻め込むよう要請しています。しかし景勝も昌幸も、周囲を敵に囲まれているので、近隣を制圧したうえでないと簡単に関東に進軍できない。
 昌幸と景勝も共同軍事作戦を展開していくうえで、独自に景勝と連絡を取り合っていたはずですが、どのようなやり取りをしていたのか・・・・。この辺、想像を膨らませる余地はたくさんあります。
 三成、昌幸、景勝の味方同士でも腹の探り合い、心理戦が展開されていたわけです。ここも細かく描写するともっと面白くなっただろうと思います。
 繰り返しになりますが、これらは、やはり一話では描き切れない。三話くらいかけてくれれば・・・・・。



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