最近仕事で忙しくてブログの更新をサボっておりました。申し訳ございませんでした。とりあえず前の記事が尻切れトンボになっていますので、その続きを書きます。前の記事では「キー・パースン」の話題が出ました。バタフライ効果による「新しい構造の生成」を起こすには、コピーの複製、拡散、選択というプロセスが必要です。生物学者のリチャード・ドーキンスは、社会を構成する文化の伝達単位を「ミーム」と呼びます。
社会変革のためのミームが拡散するためには、旧い構造が不安定になっていなければなりません。システムが安定なとき、革命思想などを吹聴しても、だいたい社会に受け入れられません。しかし安定な時代にあっても、コピーを作っておく意味はあります。時代が不安定化したとき、そのコピーが求心力を得て、あっというまに拡散することがあるからです。
前の記事のコメント欄で、ネットはバタフライ効果を起こすには最適なツールであるという議論がなされました。このブログも実は、「エコロジカル・ニューディール政策」を流行らせようというバタフライ効果も狙ったものだったのですが、これはちっとも広がりません(苦笑)。やっぱり流行らせるためには、センスも必要ですね。自分のセンスのなさを恨みます。
さて、もちろんネットがなくても、現実の歴史を見れば、あるときコピーが突然に拡散するという現象は見られます。
前の記事で紹介した市井三郎さんが『明治維新の哲学』(講談社、1967年)の中で、明治維新の「隠れたキー・パースン」として注目したのは江戸中期の甲斐の思想家の山県大弐です。ここで、多くの人々は「えっ山県大弐って誰??」という感じだと思います。キー・パースンはしばしば、歴史の中で忘れ去られていることも多いのです。
山県大弐は江戸中期の思想家で、軍事政権としての武家政治一般を否定し、民衆の力で武力倒幕を実行し、一君(天皇)の下で万民平等という政治体制をつくりあげようとした人です。その理論的な倒幕の書として『柳子新論』を著しました。山県自身は、その倒幕運動の秘密結社が幕府に発覚し、1767年に処刑されます(明和事件)。ちなみに山県大弐は、武田信玄の重臣で長篠の合戦で戦死した山県昌景の子孫です。山県の反徳川意識には、この先祖の無念さも反映していたのかも知れません。
さて、なぜ山県が重要なのかというと、幕末になって吉田松陰が『柳子新論』を読んで、倒幕論者に変わっていくからです。獄中にあった吉田松陰に山県の思想を書簡で伝えたのは、一向宗の僧侶の黙霖でした。黙霖は山県の思想を受け継ぐ激烈な倒幕論者でした。黙霖との往復書簡のやり取りを通して、松陰は倒幕の必要性をはっきりと自覚するように変化していったのです。
吉田松陰も山県のように幕府によって処刑されますが、松陰の倒幕論を受け継いだ弟子の高杉晋作らが実際に民衆の力を組織化して倒幕を実現していくわけです。
つまり山県大弐は、早すぎた倒幕論者であり、幕藩体制が磐石な時代に革命計画を立てて刑死したといえるのですが、その死は全く無駄ではなかったのです。彼の思想は地下で語り伝えられ、細々と複製に成功していたのです。システムが安定しているときには、彼の思想は微小な逸脱でしかなく、決して拡散しませんでした。しかし、幕藩体制が臨界状態に陥っていた状況下に、卓越した教育者である吉田松陰に伝わったことによって、「草莾崛起論」となって、連鎖反応を起こして広まったというわけです。これも社会におけるバタフライ効果といえるでしょう。
別の事例です。1965年、キューバの工業大臣であったチェ・ゲバラは、そのポストを投げ捨てて、ラテン・アメリカ全域で脱米革命を起こすため、一ゲリラ戦士として武装闘争を開始しました。まずボリビアで脱米革命を起こし、それを南米全体に広げようという計画でした。しかしボリビアの山岳地帯の先住民族はゲバラに冷たく、かくまうどころかゲバラたちを政府軍に密告します。ゲバラたちは次第に追い詰められ、1967年にゲバラは処刑されました。
しかし南米社会全体をアメリカ帝国の勢力圏から離脱させようとしたゲバラの思想は、今まさに求心力を得て現実化しつつあります。あの当時、ゲバラの思想は人々に受け入れられませんでした。しかしその後、米帝国による市場原理主義の猛威が中南米の人々の生活を破壊し、苦しめ続けた結果、「中南米全体が連帯して脱米革命を起こす」というゲバラの思想は徐々に光の輝きを増していき、現在まさに現実化しつつあるのです(まだ予断を許さない状況ではありますが)。
ボリビアの先住民は「あの当時の私たちはゲバラの言うことが理解できなかったが、今でははよく分かる」と結束し、ついに先住民族代表のモラレス氏を大統領に選出して、脱米革命を敢行中です。
いま日本社会は真冬のように寒い状態です。しかし、安倍氏に負けたと悲観せず、バタフライの力を信じて、来年の参院選を目指して頑張って行きましょう。
そういえば高杉晋作好きのヘンリー・オーツさんが、安倍晋三が吉田松陰や高杉晋作のを尊敬しているなんて笑止である、「安倍こそ平成の井伊直弼である」と大変に上手いことを言っていて、感心しながら読んだものでした。
確かに、「不平等条約」でも何でも無節操に受け入れそうな米国ベッタリぶりといい、あの言論弾圧ぶりといい、安倍氏は松陰を処刑した井伊直弼の方にそっくりですね。安倍氏が松陰の名を語ること事態、片腹痛いといえるでしょう。共謀罪なんて、もう安政の大獄そのものじゃないですか。
高杉晋作は藩政権を奪還するためにわずか80名で挙兵し(功山寺挙兵)、倒幕への烽火を上げました。カストロやゲバラがキューバで反バティスタのゲリラ戦を開始したのも、最初は82名です。双方が勝利に終わるのですが、これらはともに世界史における「奇跡」的ともいえるバタフライ効果の事例と言ってよいでしょう。
決して必然ではなく、それぞれ高杉晋作とカストロという卓越した行動力と不退転の意志を持った指導者個人の力があったればこそ、奇跡が現実になったのです。
社会変革のためのミームが拡散するためには、旧い構造が不安定になっていなければなりません。システムが安定なとき、革命思想などを吹聴しても、だいたい社会に受け入れられません。しかし安定な時代にあっても、コピーを作っておく意味はあります。時代が不安定化したとき、そのコピーが求心力を得て、あっというまに拡散することがあるからです。
前の記事のコメント欄で、ネットはバタフライ効果を起こすには最適なツールであるという議論がなされました。このブログも実は、「エコロジカル・ニューディール政策」を流行らせようというバタフライ効果も狙ったものだったのですが、これはちっとも広がりません(苦笑)。やっぱり流行らせるためには、センスも必要ですね。自分のセンスのなさを恨みます。
さて、もちろんネットがなくても、現実の歴史を見れば、あるときコピーが突然に拡散するという現象は見られます。
前の記事で紹介した市井三郎さんが『明治維新の哲学』(講談社、1967年)の中で、明治維新の「隠れたキー・パースン」として注目したのは江戸中期の甲斐の思想家の山県大弐です。ここで、多くの人々は「えっ山県大弐って誰??」という感じだと思います。キー・パースンはしばしば、歴史の中で忘れ去られていることも多いのです。
山県大弐は江戸中期の思想家で、軍事政権としての武家政治一般を否定し、民衆の力で武力倒幕を実行し、一君(天皇)の下で万民平等という政治体制をつくりあげようとした人です。その理論的な倒幕の書として『柳子新論』を著しました。山県自身は、その倒幕運動の秘密結社が幕府に発覚し、1767年に処刑されます(明和事件)。ちなみに山県大弐は、武田信玄の重臣で長篠の合戦で戦死した山県昌景の子孫です。山県の反徳川意識には、この先祖の無念さも反映していたのかも知れません。
さて、なぜ山県が重要なのかというと、幕末になって吉田松陰が『柳子新論』を読んで、倒幕論者に変わっていくからです。獄中にあった吉田松陰に山県の思想を書簡で伝えたのは、一向宗の僧侶の黙霖でした。黙霖は山県の思想を受け継ぐ激烈な倒幕論者でした。黙霖との往復書簡のやり取りを通して、松陰は倒幕の必要性をはっきりと自覚するように変化していったのです。
吉田松陰も山県のように幕府によって処刑されますが、松陰の倒幕論を受け継いだ弟子の高杉晋作らが実際に民衆の力を組織化して倒幕を実現していくわけです。
つまり山県大弐は、早すぎた倒幕論者であり、幕藩体制が磐石な時代に革命計画を立てて刑死したといえるのですが、その死は全く無駄ではなかったのです。彼の思想は地下で語り伝えられ、細々と複製に成功していたのです。システムが安定しているときには、彼の思想は微小な逸脱でしかなく、決して拡散しませんでした。しかし、幕藩体制が臨界状態に陥っていた状況下に、卓越した教育者である吉田松陰に伝わったことによって、「草莾崛起論」となって、連鎖反応を起こして広まったというわけです。これも社会におけるバタフライ効果といえるでしょう。
別の事例です。1965年、キューバの工業大臣であったチェ・ゲバラは、そのポストを投げ捨てて、ラテン・アメリカ全域で脱米革命を起こすため、一ゲリラ戦士として武装闘争を開始しました。まずボリビアで脱米革命を起こし、それを南米全体に広げようという計画でした。しかしボリビアの山岳地帯の先住民族はゲバラに冷たく、かくまうどころかゲバラたちを政府軍に密告します。ゲバラたちは次第に追い詰められ、1967年にゲバラは処刑されました。
しかし南米社会全体をアメリカ帝国の勢力圏から離脱させようとしたゲバラの思想は、今まさに求心力を得て現実化しつつあります。あの当時、ゲバラの思想は人々に受け入れられませんでした。しかしその後、米帝国による市場原理主義の猛威が中南米の人々の生活を破壊し、苦しめ続けた結果、「中南米全体が連帯して脱米革命を起こす」というゲバラの思想は徐々に光の輝きを増していき、現在まさに現実化しつつあるのです(まだ予断を許さない状況ではありますが)。
ボリビアの先住民は「あの当時の私たちはゲバラの言うことが理解できなかったが、今でははよく分かる」と結束し、ついに先住民族代表のモラレス氏を大統領に選出して、脱米革命を敢行中です。
いま日本社会は真冬のように寒い状態です。しかし、安倍氏に負けたと悲観せず、バタフライの力を信じて、来年の参院選を目指して頑張って行きましょう。
そういえば高杉晋作好きのヘンリー・オーツさんが、安倍晋三が吉田松陰や高杉晋作のを尊敬しているなんて笑止である、「安倍こそ平成の井伊直弼である」と大変に上手いことを言っていて、感心しながら読んだものでした。
確かに、「不平等条約」でも何でも無節操に受け入れそうな米国ベッタリぶりといい、あの言論弾圧ぶりといい、安倍氏は松陰を処刑した井伊直弼の方にそっくりですね。安倍氏が松陰の名を語ること事態、片腹痛いといえるでしょう。共謀罪なんて、もう安政の大獄そのものじゃないですか。
高杉晋作は藩政権を奪還するためにわずか80名で挙兵し(功山寺挙兵)、倒幕への烽火を上げました。カストロやゲバラがキューバで反バティスタのゲリラ戦を開始したのも、最初は82名です。双方が勝利に終わるのですが、これらはともに世界史における「奇跡」的ともいえるバタフライ効果の事例と言ってよいでしょう。
決して必然ではなく、それぞれ高杉晋作とカストロという卓越した行動力と不退転の意志を持った指導者個人の力があったればこそ、奇跡が現実になったのです。
野党共闘に関しては「統一マニフェスト」までもっていくのに、各党間の政策を擦り寄らせられるかが最大の難関であり、頭を痛めてしまい、あれ以来何も書けないでおりました。たとえば、経済政策面では国民新、新党日本、共産、社民は十分に一致できると私は思いますが(むしろ民主が難しい)、靖国問題となると国民新と共産は水と油の観があります・・・。
これからもお互い、知恵を絞っていきましょう。
折口さんのブログさっそくブックマークに入れときます。今後も拝読させていただきます。
まあ、あの記事を書いたのは、実効性の無い「左右共闘」の掛け声がうつろにコピーペーストされている状況への危惧が第一にあったからなのですが。
そうそう、実は私も井上真先生の講義をお聞きしたことがあります。いわば、関様のオトウト弟子(のはしくれ)ですね(笑)。日本はパプワニューギニアくらい緑に恵まれた国だから、もっとしっかり林業をすべき、と仰っていたような(←うろ覚え)。
ブックマークの件、ありがとうございます。こちらからもトップからのリンクを追加させていただきました。
それでは失礼致します。あまりご無理のないように。
>ブや共産抜けオリーブ位に持っていければ、それだ
>けでも多くの死票を減らすことができるのでは、と思います。
頑張りましょう。とりあえずそれを願う人々の声が大きくなっているということを各党の関係者が知るだけで大きな意味があると思います。
ちょうど悪夢の総選挙から1年が経ちますが、あの選挙の前、「自民造反派と民主、社民、共産は共闘を」と、知り合いの政党関係者に訴えると、「ムリだ」と一笑に付されたりしていました。今では少なくとも笑われることはなくなっています。1年でそれだけ世論は前進しているといえます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。