代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

火力・原子力の集中型発電から小規模分散型へ

2011年04月24日 | 震災関連
 「アメリカから日本への政策提言」というと、その時点で暗い気分になる方が多いと思う。「どーせまたしょーこりもなくTPPへの参加要求とか構造改革要求とかでしょ?」と。
 しかし以下のようなすばらしい政策提言なら大歓迎だ。サンフランシスコに本拠を置くシンクタンク「ノーチラス研究所」は、4月11日「The Path from Fukushima (フクシマから進むべき途)」という政策レポートを発表。火力や原子力中心の従来路線の復活は、再生可能エネルギーの分散型供給システムの新規構築よりも高くつくと試算。「自然エネルギーは割高である」という通説に挑戦する内容だ。
 既にマスコミ報道もされていて、私も東京新聞紙上でこのレポートの存在を知った。検索してみると、東京新聞の他に毎日新聞もこのレポートを報道していたが、他紙は報道していないようである。やはり原発を推進したい新聞はスルーというところだろうか。
 少しでも内容を広めたいと思い、紹介させていただくことにした。同研究所のホームページのイントロの一部を翻訳引用させていただく。

******下記サイトより引用開始******
http://www.nautilus.org/publications/essays/napsnet/reports/SRJapanEnergy

  The report finds that the efficient-renewable-distributed energy scenario can be deployed very rapidly and will start to save power immediately while the alternative, even if fast tracked, will take two to three years longer to implement and meet consumer demand. This unmet demand will increase the cost of energy in Japan and make the centralized nuclear and thermal power option more expensive as the energy efficient alternative. Thus, the Japanese government faces a strategic choice in how it responds to the Fukushima crisis.
 In short, rebuilding using green technology and renewable energy will:
・Meet the energy needs of the Japanese people two to three years faster than nuclear and thermal power plants;
・Reduce CO2 emissions in Japan by 50%;
・Cost less by avoiding the price hikes associated with unmet demand.

(訳)
 このレポートは以下の点を明らかにした。効率的かつ再生可能かつ分散的なエネルギーシナリオは、迅速な復興と省エネを可能にする。もう一つの選択肢(火力原子力シナリオ)は、既存の施設の復旧とはいえ、消費者の需要を満たすのに(分散型シナリオよりも)2~3年の長期を要する。この供給不足は、日本のエネルギーコストを上昇させ、集中型の原子力と火力発電の選択肢を、分散型の選択肢と同程度のコストへと押し上げてしまう。それ故、日本政府は福島危機に対してどのように応えるのか、戦略的な選択に直面している。
 まとめると、グリーンテクノロジーと再生可能エネルギーを使った復興過程は、
・原子力と火力発電所を復旧させるよりも2~3年早く日本人のエネルギー需要を満たし、、
・日本の二酸化炭素の排出の50%削減をし、
・供給不足による電力価格の上昇を回避できるという点で低コストである。

***引用終わり******


 具体的な試算の根拠は本文を参照されたい。

 世界が、分散型の自然エネルギーの普及による日本の復興を後押ししていてくれる。これは心強いことだ。世界の、この良識ある人々の期待に応えられるか否か、ここは日本の民度と政治主導の真価が問われているといえるだろう。
 これまで自然エネルギーの普及を嫌う電力独占と経産省の壁によって、こうしたプランは拒まれてきた。彼らが弱体化した今こそ実現のチャンスである。これを機に本気で取り組まねばならない。震災と原発事故によるあまりにも甚大な犠牲をムダにしないためにも・・・・。

 レポートでは、自然エネルギーシナリオは必ずしも高コストでないことを論証している。この計算には、火力が生み出す二酸化炭素と原子力が生み出す放射性廃棄物による環境面の負のコストまでは組み込まれていない。こうした負の外部経済効果まで考えれば、スマートグリッドによる小規模分散型発電の優位性はさらに補強される。

 さらに付加的に大きなメリットがある。再生可能エネルギーを主軸とする地方分散型のエネルギー供給システムを実現すれば、今回のような巨大な震災が発生してもカタストロフィーが避けられる。災害後のエネルギー供給の復旧も経済的な立ち直りも早い、危機に強い社会を生み出すであろう。

 最後に小規模分散型には、地域自立と民主主義の再構築のメリットがある。地域主導のエネルギー供給システムが実現すれば、地方を踏みにじりながら暴走を続ける中央集権的官僚主導体制から決別することを可能にする。中央に巣食うムラ社会による閉鎖的な意思決定か、それとも地域色豊かな、多様性にあふれる分散型意思決定システムかを選択するのかという問題でもある。

 さて、日本の環境省も再生可能エネルギーで原発を代替可能という試算を出してきた。東北と北海道の適地への風力発電の導入により、最大に見積もって1億4000万キロワットの電力を生み出すことが可能で、国内全体の原発の総発電量を上回るという試算だ。環境省の力を強め、経産省を弱めねばならない。ここは環境省を応援しよう。下記サイト参照。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110423/t10015502021000.html


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1 コメント

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no will (noga)
2011-05-06 11:20:35
我が国には、初等教育はあっても、英米流の高等教育はない。
だから、日本人は、「下士官兵は優秀、下級将校は普通、上級幹部は愚劣」の状態になっている。
目先・手先の問題は器用にこなすが、個人の世界観に基づいた国家百年の計は立てられない。

日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には時制がないので、未来時制もない。
だから、その計画も場当たり的というか、行き当たりばったりになる。主体性がない。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんのような煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中で、あくせくと現実生活にのみ専心している。
精神を集中すると、その刹那も永遠のように見えてくる。
前後の見定めのない自分の話が永遠の真理を話しているような気持ちになるところが不思議なところである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812





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