靖国問題が相変わらず騒々しいです。私の靖国問題に関する見解は、昨年4月のこの記事で書いた通りです。とくに付け加えることもないので、その後は何も書きませんでした。本日は、靖国にまつわるごく個人的なことを書きたいと思います。私の母方の祖父は、すでに敗戦が濃厚になった1944年に赤紙によって徴兵され、旧満州に補充兵として送られました。当時すでに35歳という高齢で、子供も3人もいたにも関わらず・・・・・・。関東軍の主力が南方戦線に引き抜かれ、旧満州が手薄になったため追加で徴兵されたのでした。
ソ連の参戦によって、関東軍の主力部隊は満蒙開拓団の日本人たちを見捨てて、とっとと逃げます。関東軍の主力が逃げる反面、私の祖父のように徴兵されて1年にも満たない補充兵たちは前線に取り残されたようです。私の祖父はソ連軍の捕虜になり、シベリアに連行され、栄養失調で亡くなりました。1946年の3月のことらしいです。遺骨は帰ってきませんでした。祖父の遺髪とされるものが帰ってきたので、祖母はそれを増上寺まで取りに行き、お墓に埋葬しました。
私の祖母や母は東京で暮らしていましたが、東京大空襲の3ヶ月前に信州の祖母の実家に疎開してきていました。東京の家(祖父の会社の社宅)は東京大空襲で消失し、私の母は「あのまま東京に残っていたら空襲で死んでいただろう」と言います。
祖父が死に、東京には身寄りがなくなったので、祖母は疎開先の信州でそのまま暮らし、なけなしの額の遺族年金をたよりに3人の子供たちを育てました。
私の祖母は自民党員でした(今は辞めています)。ただしイデオロギー的なものではありません。日本遺族会の中では、「社会党政権になったら遺族年金は廃止ですって~」というウワサがまことしやかに語られていたので(実際にはそんなことあるわけない)、生活のためには自民党を支持せねばならないと考えたようです。
というわけで、私の祖父も靖国の名簿に名前が載っているらしいのです。でも私の家族は誰も参拝に行きません。多くの人々を死に追いやった元凶の一つであるところの、戦争賛美の軍国主義神社には行く気になれません。
もっとも祖父の場合、遺髪が帰ってきただけでも幸運なのかも知れません。遺髪のある墓地にお参りに行くことができるからです。(祖母は「本当にあの人のものかどうか分からないけどね」と言っていますが・・・・・)。
遺骨が帰ってこなかった大多数の遺族の方々の立場を思うと、靖国に参拝したくなるお気持ちも理解できます。
ただ、それらならば身寄りのない遺骨の安置所である千鳥ヶ淵の方が、戦没者の追悼の場所としてはふさわしいと思います。無念の死を遂げた三十数万もの人々の遺骨が確かにそこに存在するからです。そこに国立追悼施設も併設すれば、戦没者の慰霊の場としてもっともふさわしいだろう・・・・・
と思っていたのですが、8月15日の『朝日新聞』朝刊に載っていた秋山格之助氏(戦没者追悼を正す全国連絡会)の寄稿「私の視点」を読んで驚きました。そこには次のように書かれています。
<引用開始>
「六角堂」と呼ばれる納骨室の地下は広さ6畳2間相当の空間しかなく、そこに千代田区民の8倍にもあたる三十数万体の遺骨が納められている。骨どころか高熱ガスで処理され微塵と化した灰が「三十数万体の遺骨」として収められる。
収集された現地で火葬され、厚労省の霊安室にたまった焼骨は、毎年5月の「拝礼式」の前に火葬場に渡される。そして、その多くが一緒に積まれ、高熱のガス室で再度焼かれ、遺骨の嵩は少なくとも数十分の一に圧縮される。微塵と化したものは「灰」となる。
こうした方法で、単純計算で30センチ四方の立法体中に約200体の遺骨を詰めることを可能にしたのだ。
近年、シベリア方面の埋葬地から遺骨が帰ってきたが、身元が判明したものの遺族側の事情などで返すことのできなかった39柱はすべて、身元不明者として、同様な方法で「処理」された。
千鳥ヶ淵墓苑は、何と恐ろしい場所であろうか。
<中略>
遺骨を温かく迎え、一体ずつ個別に埋葬できる国立墓地こそ、今必要な追悼施設である。
<引用終わり>
これを読んで、背筋が寒くなる思いでした。六角堂の地下がそのような地獄のような場所だったとは・・・・。せっかく本国に帰ってきて、こんな無慈悲な扱いをされるのであれば、シベリアや東南アジアの大地の地下で静かに眠っていた方がよほど良いのではないか、そう思ってしまいました。
戦没者たちの遺骨をこのような無慈悲にしか扱えないのに、靖国神社なんていう空虚な軍国主義賛美神社をつくって、「国家のために死んで来い」と、無謀な戦争と無謀な死を強要してきたのです。この日本という国は。
小泉首相は「平和を願って」「二度と戦争を起こさないために」と主張します。おそらく本人は本気でそう思っておられるのでしょう。その主張が真剣であるだけに、多くの人々も納得して支持してしまうみたいです(ああ、扇動政治家というのは恐ろしい・・・・・・)。
しかしながら、首相がいかに主観的に靖国で平和を祈ろうが、不戦の誓いをしようが、現実に与える影響は全く逆なのです。現実には、首相の参拝によって靖国は「戦争賛美のイデオロギー装置」としての本来の機能を取り戻すのです。そして、「国家のために死ぬこと」が礼賛される雰囲気が醸成され、また不必要で愚かな戦争が繰り返され、不必要な死者が出ることにつながる可能性の方が大きいのです。「戦死」を賛美する靖国では、平和は祈れないのですよ。
一体一体の遺骨を埋葬できる国立墓地を整備すると共に、無宗教の戦没者追悼施設も併せて建立すべきでしょう。
ソ連の参戦によって、関東軍の主力部隊は満蒙開拓団の日本人たちを見捨てて、とっとと逃げます。関東軍の主力が逃げる反面、私の祖父のように徴兵されて1年にも満たない補充兵たちは前線に取り残されたようです。私の祖父はソ連軍の捕虜になり、シベリアに連行され、栄養失調で亡くなりました。1946年の3月のことらしいです。遺骨は帰ってきませんでした。祖父の遺髪とされるものが帰ってきたので、祖母はそれを増上寺まで取りに行き、お墓に埋葬しました。
私の祖母や母は東京で暮らしていましたが、東京大空襲の3ヶ月前に信州の祖母の実家に疎開してきていました。東京の家(祖父の会社の社宅)は東京大空襲で消失し、私の母は「あのまま東京に残っていたら空襲で死んでいただろう」と言います。
祖父が死に、東京には身寄りがなくなったので、祖母は疎開先の信州でそのまま暮らし、なけなしの額の遺族年金をたよりに3人の子供たちを育てました。
私の祖母は自民党員でした(今は辞めています)。ただしイデオロギー的なものではありません。日本遺族会の中では、「社会党政権になったら遺族年金は廃止ですって~」というウワサがまことしやかに語られていたので(実際にはそんなことあるわけない)、生活のためには自民党を支持せねばならないと考えたようです。
というわけで、私の祖父も靖国の名簿に名前が載っているらしいのです。でも私の家族は誰も参拝に行きません。多くの人々を死に追いやった元凶の一つであるところの、戦争賛美の軍国主義神社には行く気になれません。
もっとも祖父の場合、遺髪が帰ってきただけでも幸運なのかも知れません。遺髪のある墓地にお参りに行くことができるからです。(祖母は「本当にあの人のものかどうか分からないけどね」と言っていますが・・・・・)。
遺骨が帰ってこなかった大多数の遺族の方々の立場を思うと、靖国に参拝したくなるお気持ちも理解できます。
ただ、それらならば身寄りのない遺骨の安置所である千鳥ヶ淵の方が、戦没者の追悼の場所としてはふさわしいと思います。無念の死を遂げた三十数万もの人々の遺骨が確かにそこに存在するからです。そこに国立追悼施設も併設すれば、戦没者の慰霊の場としてもっともふさわしいだろう・・・・・
と思っていたのですが、8月15日の『朝日新聞』朝刊に載っていた秋山格之助氏(戦没者追悼を正す全国連絡会)の寄稿「私の視点」を読んで驚きました。そこには次のように書かれています。
<引用開始>
「六角堂」と呼ばれる納骨室の地下は広さ6畳2間相当の空間しかなく、そこに千代田区民の8倍にもあたる三十数万体の遺骨が納められている。骨どころか高熱ガスで処理され微塵と化した灰が「三十数万体の遺骨」として収められる。
収集された現地で火葬され、厚労省の霊安室にたまった焼骨は、毎年5月の「拝礼式」の前に火葬場に渡される。そして、その多くが一緒に積まれ、高熱のガス室で再度焼かれ、遺骨の嵩は少なくとも数十分の一に圧縮される。微塵と化したものは「灰」となる。
こうした方法で、単純計算で30センチ四方の立法体中に約200体の遺骨を詰めることを可能にしたのだ。
近年、シベリア方面の埋葬地から遺骨が帰ってきたが、身元が判明したものの遺族側の事情などで返すことのできなかった39柱はすべて、身元不明者として、同様な方法で「処理」された。
千鳥ヶ淵墓苑は、何と恐ろしい場所であろうか。
<中略>
遺骨を温かく迎え、一体ずつ個別に埋葬できる国立墓地こそ、今必要な追悼施設である。
<引用終わり>
これを読んで、背筋が寒くなる思いでした。六角堂の地下がそのような地獄のような場所だったとは・・・・。せっかく本国に帰ってきて、こんな無慈悲な扱いをされるのであれば、シベリアや東南アジアの大地の地下で静かに眠っていた方がよほど良いのではないか、そう思ってしまいました。
戦没者たちの遺骨をこのような無慈悲にしか扱えないのに、靖国神社なんていう空虚な軍国主義賛美神社をつくって、「国家のために死んで来い」と、無謀な戦争と無謀な死を強要してきたのです。この日本という国は。
小泉首相は「平和を願って」「二度と戦争を起こさないために」と主張します。おそらく本人は本気でそう思っておられるのでしょう。その主張が真剣であるだけに、多くの人々も納得して支持してしまうみたいです(ああ、扇動政治家というのは恐ろしい・・・・・・)。
しかしながら、首相がいかに主観的に靖国で平和を祈ろうが、不戦の誓いをしようが、現実に与える影響は全く逆なのです。現実には、首相の参拝によって靖国は「戦争賛美のイデオロギー装置」としての本来の機能を取り戻すのです。そして、「国家のために死ぬこと」が礼賛される雰囲気が醸成され、また不必要で愚かな戦争が繰り返され、不必要な死者が出ることにつながる可能性の方が大きいのです。「戦死」を賛美する靖国では、平和は祈れないのですよ。
一体一体の遺骨を埋葬できる国立墓地を整備すると共に、無宗教の戦没者追悼施設も併せて建立すべきでしょう。
つまりその当時も今も、それが彼の”主観”であることはたしかです。
主観として「そう思う」ことと、客観として「そう在る」ということとの乖離は大きいです。
貴方の言はれるように、”首相がいかに主観的に靖国で平和を祈ろうが、不戦の誓いをしようが、現実に与える影響は全く逆なのです。現実には、首相の参拝によって靖国は「戦争賛美のイデオロギー装置」としての本来の機能を取り戻すのです。”
・・・・。
彼は自分の在り方を”客観視”することをしない人なのかな?・・と思います。
戦死であれ、非戦死であれ主観のレベルでは誰しもその霊に合掌せずにはおれません。
と同時に合掌する自らを”客観視”する視点は、中国や韓国やタイ、フイリッピン、ラオス、ミンダナオにいたるすべての死者の視点を視野にいれなければできないことでしょう。
このことが決して靖国では不可能であるし、この一点が残念なことに我々日本人の多くに欠落しているし、ますますそのことが日本人の視野から遠退いているようです。
東アジア共同体の夢はそれが真に”共同体”たらんとするとき、このことは絶対に避けて通れないことです。靖国はおろか”遠退いた日本人の視野”は果たしてどうしたら取り戻せるのでしょうか。
少々悲観的になります。
靖国問題はなかなか決着が付かないのでしょうね。ご提案の無宗教の追悼施設には「世界平和(史)研究所」(平和の実現のための研究や過去にあった平和な歴史の研究をする)や国際平和大学などを併設して時の国家の干渉を受けないようなものに出来れば良いですね。
>oozoraさん
東アジア共同体の実現は「加害者は事実を認めそれを忘れないこと」が最低必要条件だと思いますがいかがでしょうか?
ではでは。
8月15日の『読売新聞』の戦争責任を問う特集企画を読みました。なかなか良い企画だったと思います。ただ、日本の一般市民の戦没者、米・英・ソ・蘭・中国の戦没者まで数え上げたのは良かったのですが、なぜか欠落していたのが先の大戦における東南アジア、オセアニア諸国の戦没者数でした。
フィリピン110万人、インドネシア200万人、ベトナム200万人、ビルマ5万人(いずれも政府発表数値)・・・・・といった数値が欠落していたのです。
自分たちの戦争で巻き添えにしてしまったこうした戦没者の慰霊をできない限り、日本はダメでしょう。
それをする施設が必要だと思います。
平和研究所のご提案も大賛成です。
それでいいと思うんですけどね。
歴史がどうの由来がどうの言うのは、ディティールにこだわりすぎる学者のオタクっぽい自己満足の世界だと思います。
みんなが平和平和と言っていれば、新しい施設など作らなくても靖国神社が平和施設になると思います。
この件は問題だからマスコミが騒いだのではなく、
マスコミが騒いだから問題になったと考えいます。
『マスコミ+学者=問題発生』
これが俺の持論ですね。
>作らなくても靖国神社が平和施設になると思いま
す。
遺族の方々は平和を願って参拝しておられる方が多いと思います。でも遺族以外で靖国を参拝したがる人たちの多くは、好戦的な人たちが多いですね。残念ながら・・・。
>新しい施設など作らなくても靖国神社が平和施設に
>なると思います。
私は、千鳥ケ淵に30数万の墓標をつくるべきだと思います(狭すぎて無理なら場所を変えてでも)。目をそらすことなく、その膨大な死の現実に直面し、死と真剣に向かい合うことが可能になるでしょう。
靖国は、残酷な死の現実を空虚な儀式(紙の上に名前を書くだけ!)で粉飾し、美化していると思います。仏教徒としては、やっぱりあれは受け入れられないです。
>この件は問題だからマスコミが騒いだのではなく、
>マスコミが騒いだから問題になったと考えいます。
おおせの通り、日本のマスコミ報道は確かに異常でした。あまりも報道が過剰だったと思います。
中国の方がむしろ今回は報道を抑制して日中関係改善のためのシグナルを送っていました。
key-bee様・・・平和のために祈ってきました。小泉首相はそういう主観をもっておられます。
そうであるなら韓国や中国の人々も日本に来た折に靖国が”平和”のために祈る場所でなければなりません。
関さんのおっしゃる施設はまさにそういう施設になりえますよ。世界中の人々が日本に来た折に参拝してもらえることができる施設になります。
何か適当な夏の星座に向かって祈る、とかにした方が良いと思います。日本全国どこでも出来るし。
靖国もナショナリズムに利用されてますね。
中国韓国が反日でガス抜きするみたいに、
日本も内政の不満を靖国参拝で誤魔化してる気がします。
最近は靖国もお布施不足で、年々財政が厳しくなってるそうだし、放置しておけばそのうち静かになるんじゃないでしょうか。
遺族会も高齢化して強硬な意見も出なくなってるし、お金の切れ目が縁の切れ目で次第に影響力はなくなってくると推測してます。
oozora様、別にわざわざ日本に来てまで祈らなくて良いと思います。それぞれの国で祈ればよろしいかと。
靖国に行くぐらいなら伊勢神宮にでも行った方が有意義でしょう。
小泉も終わってみればイマイチだったかな……ガス田は奪われ、竹島も奪われ、北方領土も奪われた。
参拝してナショナリズム的なプライドは維持しても、さっぱり実が伴ってない。
中韓露にじわじわ領土を侵略されてる感じ……。
確かにほとぼりが冷めるのを待つてもありますね。
それもいいでしょう。
靖国へ”わざわざ来る”必要はまったくありません。来た折でいいんです。
そのときもし気が向けば。
同感です。「心の問題」なら空に祈るのが一番ですね。
>金の切れ目が縁の切れ目
金が切れる前に、靖国の新しい資金源としての「遺族」が生み出されることだけは阻止しましょう。
>ガス田は奪われ、竹島も奪われ、北方領土も奪われ
>た。
小泉の負の側面としては、アメリカによって日本の制度の根幹部分を破壊され、安心して暮らせない状態になったことが最大の被害だと思います。
ガス田、竹島、北方領土は、東アジア共同体を構築する中で、解決していきたいです。そもそもそれらの国々の首脳と話し合えないのだから解決のしようがない・・・。
しかし、組織の生命維持本能というのは、なかなかに強烈です。自己保存のために、非常に危険な賭けに出るのも厭わないことがあります。
靖国もその方向で行き始めたのではないでしょうか。それこそ、遺族会に見限られてでも、あらたな遺族を生み出すような方向に。