新年あけましておめでとうございます。
今年は戦後70年であると共に、元和偃武から400年という二つの重要な節目の年を迎える。70年前の日本と400年前の日本は、それぞれ理不尽な戦争の時代を反省し、安定した平和国家の建設へと再出発したという点で共通性を持つ。
天皇陛下は年頭の御挨拶で次のようにおっしゃいました。引用させていただきます。
***以下、天皇陛下のお言葉引用***
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html
本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
***引用終わり***
日本が再び戦争の時代に向かって暗い道を進みつつある中、天皇陛下は、この節目を機会に敢えて「十分に」「極めて」という強いお言葉を添えて、戦争の歴史を学び、将来の日本を考えることの重要性を訴えられた。
それは、昨今の右派勢力による大東亜戦争礼賛史観の危険性を憂い、彼・彼女らの学びが不十分であるとのお考えにもとづくものであろう。
天皇陛下のお言葉に触発され、この時代の節目に、400年前の元和偃武にさかのぼって歴史を考え、今後の日本のあり方を考えてみたい。
【元和偃武から何を学ぶか?】
今から400年前の日本は、豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争の敗北という負の後遺症に苦しんでいた。徳川家康は、大坂夏の陣という正当性のない理不尽な戦争を行い、真田幸村隊に蹴散らされて、家康本陣の馬印まで倒されて敗走するという三方ケ原以来の屈辱を味わったが、それを最後に戦乱の時代を終わらせたのであった。
その後の日本は、内需主導の自給型経済へと劇的な転換を遂げ、長期にわたる平和と安定を手にした。絹織物や綿織物などの100%国産化を実現し、貿易依存から脱却し、内需主導の経済成長により、江戸時代の初期は飛躍的な発展を遂げると共に、社会的安定を実現した。その後の日本は250年の泰平の世を迎えた。250年間大きな戦争をしないという、世界史に誇るべき「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」を実現したのだ。
大坂夏の陣図屏風
400年前の大坂の陣から平和国家移行への経験を、今こそ私たちは学び直し、将来に活かすべきときであろう。人口減少時代に突入した日本は、対外拡張主義と輸出指向のTPP路線ではなく、ゆるやかな分権型社会を構築し、エネルギーと食料の自給率を上昇させ、成長よりも安心と安全を重視する社会へと質的転換をはかるべきなのだ。元和偃武から400年の節目、江戸初期における分権型自給体制への移行の経験にこそ、我々は学ばねばならないと思う。
【禁門の変と下関戦争から戦乱の世に】
「徳川の平和」が終わって再び戦乱の世になったきっかけは何だろう。今から152年前の1863年に長州藩が暴発し、下関海峡の外国商船を無差別に砲撃するというテロリズムを実行し、またその翌年には京都御所を襲撃し京都を火の海にするという禁門の変を起こす。この二つの暴挙が泰平の世を終わらせたのだ。
しかるに排外主義の長州が、イギリスの軍事的支援を受けて政権を奪取し、長州(靖国)神社を創建し、明治憲法と教育勅語を日本国民に押し付けた。それが太平洋戦争の敗戦へと必然的につながっていった。
今年の大河ドラマは、折しもその長州が舞台である。これも何かの縁である。私たちは、イケメン俳優の布陣によるドラマの脚色に翻弄されることなく、長州レジームがなぜ勃興し、日本を支配するに至ったのか、その歴史を真摯に検討せねばならないと思う。
【戦後70年の平和から再び長州レジームへ】
いまから70年前、太平洋戦争の敗戦から、日本人は再び不戦を誓い、平和国家として再出発した。その間、自由放任の資本主義体制を改め、内需主導でケインズ主義的な再分配政策を実行し、安定した国民経済を作り上げた。
しかしGHQが長州閥のA級戦犯・岸信介を釈放してしまったことにより、自民党に長州史観が伝播した。米英と戦った戦時閣僚の岸が豹変してCIAの手先になって首相にまで登りつめたあたりは、排外主義的攘夷戦争を行った長州がいつのまにかイギリスと手を組んで政権を奪取した歴史の再現であった。現在はふたたび長州閥の安倍政権が日本を支配し、明治憲法と教育勅語の長州レジームへの回帰を指向している。その帰結がふたたび戦争の時代であることは必然的であろう。
歴史は以下の波動を繰り返している。
グローバル化(織豊政権時代)
↓
文禄・慶長の役・敗戦
↓
内需主導の平和の時代
↓
グローバル化(薩長藩閥政権時代)
↓
15年戦争・敗戦
↓
内需主導の平和の時代
↓
グローバル化(米国覇権下のTPP……)
↓
戦争??
【進むべき方向性】
この歴史の流れを変えることはできるのだろうか? 最悪の場合、ふたたび戦争を経験し、焼け跡から再出発するのも避けられないのかも知れない。現在の押し止めようのない大きな流れを見ていると悲観的にならざるを得ない。
しかし、今後の日本のあり方は間違いなく以下の方向性にある。焼け跡になり放射能でさらに汚染された後にこれを選択するのか、そうなる前にこれを選択するのか、日本人は試されている。
① TPPから離脱し経済主権の回復を
経済主権を回復し、安定した国民経済を取り戻す。これこそ戦争を回避し、国際平和を可能にする、グローバルな課題であろう。アメリカが今のままである限り、この途を選択することは難しい。アメリカを変え、日本も変わることだ。アメリカの良識ある人々と連帯し、アメリカと日本を牛耳る、強欲な富裕層支配を終わらせることだ。
② 中央集権体制から地方分権体制へ
400年前の元和偃武後、日本は必需品の自給体制を整え、各地域ごとに安定的な物質循環システムが生まれた。地域ごとにエネルギーと食料の自給率を上げて、地域の循環経済を復活させねばならない。
日本になお残存する問題は、明治の薩長政権が作り上げた強固な官僚制である。この官僚制は、太平洋戦争の敗戦でも打倒されず、米国の占領軍と結託して延命してきた。この明治以来の中央集権的官僚支配と米国の軍産複合体のコラボレーションを終わらせ、脱グローバル化・内需主導の江戸型分権社会を目指さねばならない。
③ コンクリート・ケインズ主義から社会的共通資本へ
未来のない国土強靭化という名のコンクリート・ケインズ主義路線を終わらせる。地域ごとに多様な社会的共通資本の整備を通してこそ、経済不均衡と格差の拡大を是正することが可能になる。
今年は戦後70年であると共に、元和偃武から400年という二つの重要な節目の年を迎える。70年前の日本と400年前の日本は、それぞれ理不尽な戦争の時代を反省し、安定した平和国家の建設へと再出発したという点で共通性を持つ。
天皇陛下は年頭の御挨拶で次のようにおっしゃいました。引用させていただきます。
***以下、天皇陛下のお言葉引用***
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html
本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
***引用終わり***
日本が再び戦争の時代に向かって暗い道を進みつつある中、天皇陛下は、この節目を機会に敢えて「十分に」「極めて」という強いお言葉を添えて、戦争の歴史を学び、将来の日本を考えることの重要性を訴えられた。
それは、昨今の右派勢力による大東亜戦争礼賛史観の危険性を憂い、彼・彼女らの学びが不十分であるとのお考えにもとづくものであろう。
天皇陛下のお言葉に触発され、この時代の節目に、400年前の元和偃武にさかのぼって歴史を考え、今後の日本のあり方を考えてみたい。
【元和偃武から何を学ぶか?】
今から400年前の日本は、豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争の敗北という負の後遺症に苦しんでいた。徳川家康は、大坂夏の陣という正当性のない理不尽な戦争を行い、真田幸村隊に蹴散らされて、家康本陣の馬印まで倒されて敗走するという三方ケ原以来の屈辱を味わったが、それを最後に戦乱の時代を終わらせたのであった。
その後の日本は、内需主導の自給型経済へと劇的な転換を遂げ、長期にわたる平和と安定を手にした。絹織物や綿織物などの100%国産化を実現し、貿易依存から脱却し、内需主導の経済成長により、江戸時代の初期は飛躍的な発展を遂げると共に、社会的安定を実現した。その後の日本は250年の泰平の世を迎えた。250年間大きな戦争をしないという、世界史に誇るべき「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」を実現したのだ。
大坂夏の陣図屏風
400年前の大坂の陣から平和国家移行への経験を、今こそ私たちは学び直し、将来に活かすべきときであろう。人口減少時代に突入した日本は、対外拡張主義と輸出指向のTPP路線ではなく、ゆるやかな分権型社会を構築し、エネルギーと食料の自給率を上昇させ、成長よりも安心と安全を重視する社会へと質的転換をはかるべきなのだ。元和偃武から400年の節目、江戸初期における分権型自給体制への移行の経験にこそ、我々は学ばねばならないと思う。
【禁門の変と下関戦争から戦乱の世に】
「徳川の平和」が終わって再び戦乱の世になったきっかけは何だろう。今から152年前の1863年に長州藩が暴発し、下関海峡の外国商船を無差別に砲撃するというテロリズムを実行し、またその翌年には京都御所を襲撃し京都を火の海にするという禁門の変を起こす。この二つの暴挙が泰平の世を終わらせたのだ。
しかるに排外主義の長州が、イギリスの軍事的支援を受けて政権を奪取し、長州(靖国)神社を創建し、明治憲法と教育勅語を日本国民に押し付けた。それが太平洋戦争の敗戦へと必然的につながっていった。
今年の大河ドラマは、折しもその長州が舞台である。これも何かの縁である。私たちは、イケメン俳優の布陣によるドラマの脚色に翻弄されることなく、長州レジームがなぜ勃興し、日本を支配するに至ったのか、その歴史を真摯に検討せねばならないと思う。
【戦後70年の平和から再び長州レジームへ】
いまから70年前、太平洋戦争の敗戦から、日本人は再び不戦を誓い、平和国家として再出発した。その間、自由放任の資本主義体制を改め、内需主導でケインズ主義的な再分配政策を実行し、安定した国民経済を作り上げた。
しかしGHQが長州閥のA級戦犯・岸信介を釈放してしまったことにより、自民党に長州史観が伝播した。米英と戦った戦時閣僚の岸が豹変してCIAの手先になって首相にまで登りつめたあたりは、排外主義的攘夷戦争を行った長州がいつのまにかイギリスと手を組んで政権を奪取した歴史の再現であった。現在はふたたび長州閥の安倍政権が日本を支配し、明治憲法と教育勅語の長州レジームへの回帰を指向している。その帰結がふたたび戦争の時代であることは必然的であろう。
歴史は以下の波動を繰り返している。
グローバル化(織豊政権時代)
↓
文禄・慶長の役・敗戦
↓
内需主導の平和の時代
↓
グローバル化(薩長藩閥政権時代)
↓
15年戦争・敗戦
↓
内需主導の平和の時代
↓
グローバル化(米国覇権下のTPP……)
↓
戦争??
【進むべき方向性】
この歴史の流れを変えることはできるのだろうか? 最悪の場合、ふたたび戦争を経験し、焼け跡から再出発するのも避けられないのかも知れない。現在の押し止めようのない大きな流れを見ていると悲観的にならざるを得ない。
しかし、今後の日本のあり方は間違いなく以下の方向性にある。焼け跡になり放射能でさらに汚染された後にこれを選択するのか、そうなる前にこれを選択するのか、日本人は試されている。
① TPPから離脱し経済主権の回復を
経済主権を回復し、安定した国民経済を取り戻す。これこそ戦争を回避し、国際平和を可能にする、グローバルな課題であろう。アメリカが今のままである限り、この途を選択することは難しい。アメリカを変え、日本も変わることだ。アメリカの良識ある人々と連帯し、アメリカと日本を牛耳る、強欲な富裕層支配を終わらせることだ。
② 中央集権体制から地方分権体制へ
400年前の元和偃武後、日本は必需品の自給体制を整え、各地域ごとに安定的な物質循環システムが生まれた。地域ごとにエネルギーと食料の自給率を上げて、地域の循環経済を復活させねばならない。
日本になお残存する問題は、明治の薩長政権が作り上げた強固な官僚制である。この官僚制は、太平洋戦争の敗戦でも打倒されず、米国の占領軍と結託して延命してきた。この明治以来の中央集権的官僚支配と米国の軍産複合体のコラボレーションを終わらせ、脱グローバル化・内需主導の江戸型分権社会を目指さねばならない。
③ コンクリート・ケインズ主義から社会的共通資本へ
未来のない国土強靭化という名のコンクリート・ケインズ主義路線を終わらせる。地域ごとに多様な社会的共通資本の整備を通してこそ、経済不均衡と格差の拡大を是正することが可能になる。
今後はどれだけ抵抗できるかですね。勝機が全くないわけではないでしょうし。
いや現在の裁判所に何か期待するのは無理のようです。絶望的に劣化しています。
アホな判決を出させて、後世に笑い話として残してあげるのも一興というくらいの気持ちでやるのが無難かと・・・・。