水鏡仁(酔狂人)さんが、リカードの比較生産費説を批判する以下のエントリーを紹介してくださいました。属人的に得手不得手があり、国の単位で特定産業に特化したところで、その産業部門に適性のない人々までムリにその部門に移動させても生産性は向上しないという論点です。この点、私もまったく同意いたします。水鏡仁さん、ありがとうございました。
http://d.hatena.ne.jp/suikyojin/20130109/p1
この論点以外にもリカード理論の誤りは山のようにあり、どこから批判したらよいのか分からないくらいです。とりあえず、私が近著『自由貿易神話解体新書 ―「関税」こそが雇用と食と環境を守る』(花伝社)の中で検討したリカード・モデルの誤謬は以下の三点でした。簡潔に紹介します。
誤謬1
リカード・モデルには、供給したものは全て売れるという暗黙の前提がある。現実には、供給したものは売れ残る。自由貿易は確かに生産を効率化するが、総需要不足の不況時にそれを強引に推し進めると、世界規模で失業者を増加させ、総需要をさらに収縮させていく負のスパイラル効果を持つ。リカード・モデルは完全雇用(つまり失業者がゼロであること)が前提となっているが、供給したものが売れ残ればもちろん完全雇用の前提も崩壊する。
誤謬2
リカード・モデルには、労働や資本という生産要素は国の中に固定されており、生産された財のみが国境を超えるという暗黙の仮定がある。現実世界では、とくに資本という生産要素は容易に国境を超えるようになっている。このため、生産要素を固定した上で構築されている貿易モデルから得られる結論は、現実には全く当てはまらない。
誤謬3
リカード・モデルは、生産費用が動学的に変化しないという仮定の上で構築されている。実際には工業は動学的に生産費用が低下していく収穫逓増の傾向を持つのに対し、農業部門はその逆の収穫逓減と、両部門が生産する財の性質は供給面で大きく異なる。この仮定を組み込むだけで、貿易する双方の国が利益を受けるという命題は誤りであることが分かる。収穫逓増産業に特化すれば得であり、逓減産業に特化すれば損なのである。
もちろん、水鏡仁さんの指摘した論点も含め、リカード・モデルの誤りは他にもたくさんあります。
高校の政治経済でもリカード・モデルを一生懸命に教育しています。このような誤った学説を高校生に刷り込んでいくのは問題があると私は考えます。もちろん歴史的な学説として教科書に載せるのはよいとは思いますが、まったく非現実的な仮定を前提としていることもしっかり教えねばなりません。本来ならば、リカード理論に対する反論も教科書の中で十分に紹介しなければならないと思います。
http://d.hatena.ne.jp/suikyojin/20130109/p1
この論点以外にもリカード理論の誤りは山のようにあり、どこから批判したらよいのか分からないくらいです。とりあえず、私が近著『自由貿易神話解体新書 ―「関税」こそが雇用と食と環境を守る』(花伝社)の中で検討したリカード・モデルの誤謬は以下の三点でした。簡潔に紹介します。
誤謬1
リカード・モデルには、供給したものは全て売れるという暗黙の前提がある。現実には、供給したものは売れ残る。自由貿易は確かに生産を効率化するが、総需要不足の不況時にそれを強引に推し進めると、世界規模で失業者を増加させ、総需要をさらに収縮させていく負のスパイラル効果を持つ。リカード・モデルは完全雇用(つまり失業者がゼロであること)が前提となっているが、供給したものが売れ残ればもちろん完全雇用の前提も崩壊する。
誤謬2
リカード・モデルには、労働や資本という生産要素は国の中に固定されており、生産された財のみが国境を超えるという暗黙の仮定がある。現実世界では、とくに資本という生産要素は容易に国境を超えるようになっている。このため、生産要素を固定した上で構築されている貿易モデルから得られる結論は、現実には全く当てはまらない。
誤謬3
リカード・モデルは、生産費用が動学的に変化しないという仮定の上で構築されている。実際には工業は動学的に生産費用が低下していく収穫逓増の傾向を持つのに対し、農業部門はその逆の収穫逓減と、両部門が生産する財の性質は供給面で大きく異なる。この仮定を組み込むだけで、貿易する双方の国が利益を受けるという命題は誤りであることが分かる。収穫逓増産業に特化すれば得であり、逓減産業に特化すれば損なのである。
もちろん、水鏡仁さんの指摘した論点も含め、リカード・モデルの誤りは他にもたくさんあります。
高校の政治経済でもリカード・モデルを一生懸命に教育しています。このような誤った学説を高校生に刷り込んでいくのは問題があると私は考えます。もちろん歴史的な学説として教科書に載せるのはよいとは思いますが、まったく非現実的な仮定を前提としていることもしっかり教えねばなりません。本来ならば、リカード理論に対する反論も教科書の中で十分に紹介しなければならないと思います。
http://d.hatena.ne.jp/suikyojin/20130209/p1
そもそも現在流布あれている解釈はリカードの本意ではなく、ミルの解釈だとか。
また比較生産費説は2国2財完全分業というかなり特殊な条件でのみ成り立ち、一般のN国M財では成立しないとのことです。
http://shiozawa.net/kenkyukaihokoku/EvolutionFirmsAndIndustries20160220.pdf
高校や大学学部レベルで教えられる「リカード貿易理論」には,David Ricardoの『経済学および課税の原理』(Ricardo 1817, 1821)には存在しない観念や教説(つまり誤ってリカードの理論とされた考え方)が累積しており,『原理』200周年を期にそれらを払拭しておく必要がある。わたしの立場から指摘するなら,すべての国際経済学者(あるいは国際経済学を教える経済学者)に知ってもらうべき3つの誤謬がある。①リカードは比較優位論を唱えた。②リカードは労働のみが投入される生産を考えた。③ヘクシャー・オリーン・サミュエルソンの理論(HOS理論)は,リカード貿易論の欠陥を克服したより近代的・現実的な理論である。
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国ごとの技術の差異による賃金水準の違いなどを論じることができるという点で、ヘクシャー=オリーン・モデルよりもリカード・モデルの方が優れていることには同意いたします。
教科書がリカードの真意を歪めて伝えているというのも事実でしょう。
しかし、現在流布されているような「定型化」されたリカードモデルを、無批判に高校や大学で教えているのは大問題と思います。少なくともリカードに割く時間のと同等の学習時間を、フリードリッヒ・リストの議論や収穫逓増の貿易理論に割り当てるべきと思います。