代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

「電力モンスター・システム」ふたたび

2014年12月27日 | 政治経済(日本)
 『原発ホワイトアウト』に次ぐ、若杉冽さんの話題の新刊『東京ブラックアウト』(講談社)を読了。

 

 若杉さん、「本当に現役の霞が関官僚なの?」と思えるくらい文才豊かだ。前作にも増して迫真の内容である。誰も責任を取らないままに破滅に向かって突き進んでいく日本の官僚たちの巨大無責任体制を赤裸々に描いている。『東京ブラックアウト』の小説の一節を引用させていただく。


***以下引用(同書の140頁より)***

 太平洋戦争に負けても、フクシマ原発の事故を経験しても、官僚制の縦割りの弊害は直らない。
 戦前も、天皇陛下に行政大権がありながら、実質的には各国務大臣などが輔弼し責任を負う仕組みとなっていた。陸軍と海軍だってバラバラだった。首相は同輩の大臣の長という位置づけにすぎなかった。
 戦後の日本国憲法下の内閣でも、総理にやりたいことがあっても、各省庁の抵抗に遭って骨抜きにされたのは同じだ。
 日本が東西に分断されかねない国家存亡の危機を経験しても、懲りずにしぶとく生き抜く縦割りの官僚制…… あたかもそれは、古生代石炭紀から生き続け「生きている化石」とも称されるゴキブリと同じであり、放射能汚染に抵抗力があるところもまた、官僚制とゴキブリには共通性があった。


 
***引用終わり***

 12月24日に発表された経産省の総合エネルギー資源調査会「原子力小委員会」の中間とりまとめは、そのまま小説の世界が予告する暗い未来を暗示している。以下の資料。

http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/denkijigyou/genshiryoku/pdf/011_03_00.pdf
 

 原発を再稼働すれば電源立地交付金は増額。停止したままなら交付金減額。アメとムチを駆使して立地自治体へ再稼働への同意を強要。さらに「核燃料サイクル事業は継続」という戦慄の内容だ。東京新聞(12月25日朝刊)は「原子力政策は先祖返り」と評していた。まさに「電力モンスター・システム」ふたたび、である。

 
 これじゃ全ての立地自治体は、背に腹は代えられずに、原発の再稼働を求めざるを得ない。同委員会の中間取りまとめは、総論として「原発依存度の低下」を言いながら、政策内容は全く矛盾しているのだ。依存度低下のためには、廃炉を決断した立地自治体への交付金を増額するなど逆のインセンティブをこそはたらかせなければならない。

 恐るべきは、官僚と電力会社のコラボレーションによる事なかれ主義の巨大無責任体制である。若杉さんの小説の通り、ふたたびメルトダウンを起こすに至るのだろうか。まさにゴキブリ並みのしぶとさである。

 昨日のニュース。政府事故調査会の調書がいまさらながらに公開され、原子力安全保安院の小林勝氏(耐震安全審査室長)が津波リスクの検討を提案すると、保安院の幹部から「津波対策に関わるとクビになるよ」と圧力を受けていたことなどが判明した。以下の動画。

津波対策「あまり関わるとクビになるよ」調書を公開(14/12/26)


 津波対策に関しては、ちょうど小林室長が保安院幹部から「クビになるよ」と圧力を受けていたころ、国会でも「津波で冷却機能が失われれば炉心溶融もあり得る」と吉井英勝議員(共産党)が質問していた(2010年5月26日)。これに対し、保安院長の寺坂信昭氏は、鼻で笑いながら「そんなことはあり得ないだろうというくらいの安全設計をしている」と回答。
 以下が吉井議員の質問のダイジェスト動画。寺坂氏の回答は4分30秒くらいのところにある。このときの人を舐めたような寺坂氏の顔を、私たちは決して忘れてはならない。経産官僚たちは、ふたたびこの顔に回帰している。

原発事故 吉井議員質問ダイジェスト


 

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