昨日(2013年4月22日)の『東京新聞』の特報面に「医師と製薬会社 不透明な関係」という記事があった。
子宮頸がんワクチンの副反応による重篤な被害が相次いで報告されているにも関わらず、厚生労働省の「ワクチン評価に関する小委員会」の専門家たちは接種を推奨する姿勢を変えない。
委員の中には「(接種後に失神する症例に関して)ワクチンの中身が主な原因ではなく、接種対象の思春期の女子に起こりやすい、注射の痛みの恐怖やストレスなどの反応と考えられる」(岡部信彦氏)などとのたまわれる方もいるそうだ。「おい冗談だろ」と思えるくらい根拠のない非科学的な断定で、開いた口がふさがらない。いったい他の何の注射と比較してこんなことを言えるのだ。
こうなると、御用学者の虚偽言説の数々に免疫力を身につけた人々は、反射的に、「ははーん、どうせ、委員たちは製薬会社から金でももらってるんだろう」と思ってしまうだろう。
東京新聞の記事は、案の定、委員たちは、ワクチンを製造する製薬会社から寄付金を受けていたという笑えない話であった。
しかし、岡部委員の発言は科学的推論のかけらも見られず、常軌を逸している。原子力ムラも河川ムラも本当にひどいが、製薬ムラもいよいよひどいようだ。原発事故で「利益相反」のもたらす被害の恐ろしさが身に染みたはずの国がやることとは思えない。
厚生労働省は「製薬会社と金銭的なつながりのない医師だけで審議会や委員会を開くのは、現実には不可能だ」と開き直る。(我々に都合のよい主張をしてくれる専門家を選ぼうとすると、どうしても製薬会社と金銭的つながりのある医師になってしまう)の間違いじゃないの? 上述の岡部委員は、「(資金提供)が議論に影響を与えたことはない」だって。
原子力安全委員会の委員長だった斑目さんも同じこと言っていたよなぁ。どこのムラ社会からもステレオタイプに同じ発言が聞こえてくる。水戸黄門の悪代官と越後屋じゃないけど、いくらなんでもマンネリすぎて、芸がなさすぎだよね。
東京新聞のデスクは「知のたそがれ」と慨嘆していた。
ひとこと言わせてもらう。審査対象となる業界と利益相反関係にある専門家は、一切、国の審議会の委員になるべきではない。少なくとも委員の過半数は、そのムラ以外の出身の人間を入れるべきだ。
子宮頸がんワクチンの副反応による重篤な被害が相次いで報告されているにも関わらず、厚生労働省の「ワクチン評価に関する小委員会」の専門家たちは接種を推奨する姿勢を変えない。
委員の中には「(接種後に失神する症例に関して)ワクチンの中身が主な原因ではなく、接種対象の思春期の女子に起こりやすい、注射の痛みの恐怖やストレスなどの反応と考えられる」(岡部信彦氏)などとのたまわれる方もいるそうだ。「おい冗談だろ」と思えるくらい根拠のない非科学的な断定で、開いた口がふさがらない。いったい他の何の注射と比較してこんなことを言えるのだ。
こうなると、御用学者の虚偽言説の数々に免疫力を身につけた人々は、反射的に、「ははーん、どうせ、委員たちは製薬会社から金でももらってるんだろう」と思ってしまうだろう。
東京新聞の記事は、案の定、委員たちは、ワクチンを製造する製薬会社から寄付金を受けていたという笑えない話であった。
しかし、岡部委員の発言は科学的推論のかけらも見られず、常軌を逸している。原子力ムラも河川ムラも本当にひどいが、製薬ムラもいよいよひどいようだ。原発事故で「利益相反」のもたらす被害の恐ろしさが身に染みたはずの国がやることとは思えない。
厚生労働省は「製薬会社と金銭的なつながりのない医師だけで審議会や委員会を開くのは、現実には不可能だ」と開き直る。(我々に都合のよい主張をしてくれる専門家を選ぼうとすると、どうしても製薬会社と金銭的つながりのある医師になってしまう)の間違いじゃないの? 上述の岡部委員は、「(資金提供)が議論に影響を与えたことはない」だって。
原子力安全委員会の委員長だった斑目さんも同じこと言っていたよなぁ。どこのムラ社会からもステレオタイプに同じ発言が聞こえてくる。水戸黄門の悪代官と越後屋じゃないけど、いくらなんでもマンネリすぎて、芸がなさすぎだよね。
東京新聞のデスクは「知のたそがれ」と慨嘆していた。
ひとこと言わせてもらう。審査対象となる業界と利益相反関係にある専門家は、一切、国の審議会の委員になるべきではない。少なくとも委員の過半数は、そのムラ以外の出身の人間を入れるべきだ。
1.研究がろくでもない
2.ろくに研究ができない
競争的資金を獲得しないと研究の遂行が難しくなっている状況の中で、ピア・レビューの結果「ムラ」の住民に好意を持って迎えられる研究にばかりに研究費がついていくとすれば、上記2つのいずれかになることは不可避でしょう。
もっとも私など最近、1と2の両方に当てはまるような研究しかできていないように思いますが。
そうなると希望は「越境」と「批判的レビュー」にあるのかもしれないと考えています。
「越境」は、別のムラの論理に従って研究費を確保し、これを元手に隣接した他のムラの領域に攻め込んでいくやりかたです。
「批判的レビュー」は、既存研究の方法論や結果解釈を批判的に見直し、確かである思われる結果のみを集積して、必要に応じて再解析を行い、結論を出していくやり方です。
前者はアイディア勝負のゲリラ的研究者向き、後者は高いリテラシーを持った秀才研究者向きといったところでしょうか。
最近の例でいえば、イネの箱施用剤がアキアカネに致命的な影響を及ぼすことを実証した論文が、農業土木系の雑誌に掲載された例があります。農業土木ムラが生き残りをかけて、農地の生物多様性保全を主要テーマにせざるをえなくなった状況をうまく利用した、見事なゲリラ的研究発信だと思います。
どうすればよいのでしょうか?
まだ秋ではありませんが、生物科学研究の現場でのレ・ミゼラブルな様子を伺えるブログ記事を見つけました。私のブログ記事にリンクを張りましたので、こちらの記事にTBします。日本の知的世界はどうなるんでしょうか。
競争的資金で書類の作成に追いまくられる日々が、いかに研究にとって本質的に有害なものか、私もかつてはそうした劣悪な環境に置かれていたのでよくわかります。
競争的資金をエサに官僚に統制されていくと、かつては全共闘活動家だったような教授が、「国益に反する研究はするな」的な発言を平然とするようになって、その変貌ぶりに驚いたものです。実際には国益ですらなく、省益に過ぎないのですが・・・・。
短期間で成果を出すために駆り立てられると、研究者にもっとも必要な感性も摩滅し、考える時間もなくなり、研究の質も劣化するのは当たり前えですね。
いまや専門家の主張ほど信じられなくなってしまいました。競争的資金で追いまくられると、官僚の下僕となって、平気で審議会の場で虚偽を正当化してしまいます。
このシステム、もはや修復不能で、崩壊するのを待つしかないのでしょうか。
>いまや専門家の主張ほど信じられなくなってしまいました。
これは由々しき事態です。一つの高度で複雑な社会の信頼性が揺らぎつつあります。
う~ん、「マジ、ヤバイ」です。
上記のお言葉を拝借して、こちらにリンクを張れる記事を書いてみます。
記事のTBありがとうございました。慣性で動く日本社会の特質から考えて、このまま自滅するまで突っ走りそうな感じがします・・・・・。