代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

ハードからソフトへ

2011年04月22日 | 震災関連
 毎日新聞の4月16日付に「津波間一髪 防潮堤を過信」という記事があった。下記サイト。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110416k0000m040180000c.html

 記事は次のように書く。「過去に何度も津波を経験してきた岩手県沿岸部は各地で高い防潮堤を整備するなど対策を進めてきた。地震発生直後に気象庁がこの地域に出した大津波警報は高さ3メートル。「高台に避難しなくても安全だ」と考えた、という証言が相次いでいる」

 巨大な防潮堤への依存体質は、少なからず逃げ遅れを発生させる原因になった事が証言からは浮かび上がってくる。巨大なインフラで災害を防ごうとするとき、そのインフラの力を過信してしまうと、想定を上回る災害が来たときに逆に被害を拡大させてしまう。

 今回の津波を受けて、さらに巨大な防潮堤を構築しようとするのは誤りであろう。もちろん、ある程度の防波堤、防潮堤は必要であるが、過信を引き起こさない程度のほどほどの設備であるべきだろう。復興にあたっては、このことを肝に銘じるべきだと思う。

 ダムによる治水対策も同様の問題を抱えている。ダムは想定を上回る洪水に対しては無力であり、その場合には緊急放流で対処することになり、かえって災害を拡大してしまう。
 また巨大地震の際には、老朽化したダムの決壊による水害も発生する。今回の震災でも、福島県の藤沼ダムが決壊して水害が発生、5名が死亡、3名が行方不明という痛ましい惨事も起こっている。巨大インフラによる防災対策は、財政的にも技術的にも限界があり、想定を上回る災害に対しては被害をさらに巨大化させてしまう。

 国交省は「やはり『コンクリートから人へ』は誤りである。さらに巨大な防災インフラを・・・」と、今回の震災を最大限に利用しようとするだろう。「200年に1度確率」の想定で不十分だから「1000年に1度確率にしよう」という具合に。しかし、それは財政的制約という点のみならず、「過信」による逃げ遅れにつながるという点で、防災対策上も誤った哲学である。
 
 震災復興に当たっては、今以上に巨大な防波堤を構築するために巨額の財政資金をつぎ込むことよりも、復興の過程でなるべくリスクの少ない高台に街づくりをし、警報システムを整備し、沿岸にいても高台にすぐに逃げこめる道づくりをし、日ごろからの避難訓練を徹底するなど、ソフト面での防災対策をこそ強化すべきであろう。



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1 コメント

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terasima@gold.ocn.ne.jp (noga)
2011-04-22 05:46:43
今回の東北関東の大震災でお亡くなりになられた方と そのご家族のみなさんに心からお悔やみ申し上げます。災害に遭われた東北の各都市は、今度こそ世界の人が目を見張る、立派な防災都市に生まれ変わる必要があります。さすれば、観光の名所にもなるでしょう。世界遺産にもなるでしょう。はたして、この国には、この目的を成し遂げるためにふさわしい有能な政治家と、計画都市の設計者はいるのであろうか。壊滅状態にある地方都市に、世界観とマスタープランを堅持した有能な政治家は育っているのであろうか。我が国民は、防災に弱い家を建てる大ブタか、中ブタか、それとも、強い小ブタであろうかが判明するときであります。国民は、自分の体に見合ったサイズの政治家を選ぶものでしょう。我々は、ひ弱な花ではなくて、偉大な国民になろう。今回の大震災を好機ととらえて (復旧ではない) 復興に邁進しよう。

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