3連覇、世界記録もさることながら、マスコミは北島康介選手には「チョー気持ちいい」「なんも言えねぇ」に続く決めゼリフ、と言うより“流行語大賞候補”を期待していたのではないでしょうかね。最初の種目100平は5位、シロウト目にもくっきりはっきりの完敗では、インタヴュアーも水を向けにくいし名セリフも引き出しにくい。
「(気持ちを切り替えて)200(メートル)も頑張ります」と答えてすぐ「200“も”じゃなく、200“は”ですね」と言い直したように、北島さん自身、アスリートには稀な言語感覚、言霊(ことだま)力をそなえた人です。
前半の30メートルぐらい行ったところで、こりゃどこの国の誰選手が勝つにしても世界レコードでなきゃ勝てないレースだなとわかったし、優勝争いは終始、北島選手のだいぶ先で運んでいて、そこに一枚加わる場面が一度もないままゴールに着いてしまいました。ああいうときは、スタンドやTVなんかで観ている者より、泳いでいる本人がいちばん早い段階で「コレは自分のレースではないな」と直感するのでしょうね。目標の金メダルは無理そう、表彰台も無理そうとほぼ見切りがついてしまって、そこから気持ちを掴み直して5位に踏ん張るのだから、やはり伊達にオリンピック2連覇はしてないわけです。
アテネから8年、名実ともに“負けて騒がれる横綱”になってロンドンに乗り込んだ北島さん。かつて、柔道60キロ級でアトランタ~シドニー~アテネと3連覇した野村忠宏選手が、北京で4連覇挑戦か?引退か?と騒がれていた頃、「金メダルをとるたび、とった直後は“完全燃焼した、これ以上の稽古は二度とできない、オレの柔道人生これで終わり”と思うんだけど、1日たち2日たちして、道着着て道場に立って後輩と組んでみると“あぁやっぱりオレ強い、まだ柔道やりたい、またオリンピックに出たい、勝ちたい、勝てる”と思う」「(アトランタから8年以上)その繰り返しです」と語っていました。
競泳の中でもコンディションやフォームの維持が他泳法に比して抜きん出て困難と言われ、世界レコードクラスの選手でもちょっとした体調の波、微細なフォームの崩れで、悪夢のように記録が出なくなってしまうことがままある平泳ぎで、2連覇でもどえらい偉業なのに、敢えて3連覇に挑むモティベーションは、もう北島選手にしかわからないし掴めないと思います。挑戦するかしないか、北島さんに「そういうときは、こうすればいいんだよ」と経験に裏付けられた助言をできる人は、この世に存在しないのです。
ひとり分しか立つスペースの無い頂上に、いま北島さんはひとりで立って、ひとりしか見ることのかなわない風景を見ながら、さらに高い頂上を見上げているわけです。
200のスタート台に、北島選手がいたら、いるというそのことが何よりの決意表明ではないでしょうか。行って帰って、もう1回行って帰ってくる200。最後の復路のそのまた最後の20メートル、実況解説の「落ち着いてけ落ち着いてけオチツイテケーッ!!」(←日本全国「オマエが落ち着け」とツッコみ)の声、また聞きたいですね。