イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

続々・眞子さまは結婚できるか ~大人は笑ってくれない~

2020-12-26 00:05:54 | ニュース

 噂をすれば影とやらじゃないけど、宮内庁長官がとうとう小室圭さんの代理人弁護士と直接コンタクト取ったらしいですね。今日(25日)付けの日本経済新聞に小さめではありますけど社会面の、皇族方のご動向があればいつも載る辺りに出てました。

 そりゃそうよねぇ。世間知に縁の薄いお姫さまがお花畑全開で実質さらし者になってるのに、大人が手をこまねいているわけがないですよね。

 月河が前回のエントリに書いたのと同じようなことを、リアル世間話のついでに喋ったら、まぁー異口同音に言われる言われる「月河オメデタイ」

 「アンタね、あの二人が、キャンパスで出会って愛をはぐくんだ的な、イノセントな両想いカップルだと、本気で思ってんの?」(←言葉遣いはこんなんじゃないけど、大体みんな趣旨はコレです)「女のほうは免疫が無いからイチコロ本気だろうけど、男はどっからどう見たってカネ目当て、特権地位目当てに決まってるじゃん」「カネ大好き、それもラクしてゲットするの大好きって、顔に出てるし」・・・・・そりゃね、月河もダテに十何年も昼帯ドラマウォッチしてきたわけじゃなし、そもそもの、3年前の報道され始めからの、テレビ画像とか会見のやり取り見てりゃ、ブラック方面に想像をたくましくするのは簡単です。王侯貴族の子女に、あつかましく単身積極的にアプローチしてくる庶民男ってのは大体欲深で、ゆがんだ出世志向のヨコシマなキャラに決まっている。

 事実は小説より奇なり、ドラマ脚本より怪なりとも言いますし(後半は言わないか)、この件もむしろ真相はそっちのほうに近いのかもしれない。

 であれば、ですよ、それならばなおのこと“大人たちはどこへ行った”じゃないですか。お姫さまに付いてしまった“悪い虫”を、それと知らせてなるべくご本人に痛くなく取り除いてやり、今後こういう事のないよう善後策をこうじて因果を含めてあげる。“大人”にしかできない仕事だと思うんですけど。

 前回も書いたけど、若い人たちが結婚しない、しないから子供をつくらない増やさない傾向を、おもに人口減少→生産労働力・社会保障費担い手減少の観点で、嘆かわしい、憂わしい事であり反転させなければならない事として論ずる向きは多いですが、そのわりには“若い人たちに幸せな結婚への道筋を作ってあげる”動きが、大人たちの間に鈍いと思いませんか。てんでに放置して、そこらで自然に両性の合意が成っていく、或いは成って行かないのを遠巻きに見てるだけじゃ不甲斐ないですよ。

 「あのカップルは、スジが悪すぎるのよ」「まともな賢い大人が“どれどれ”っつって、親ごころでまとめに乗り出してもこなければ、“いかんよ”って諫言ブレーキかけさせにも来ないような相手だってことよ」「そういうまとめの才があって積極的に応援してくれる恩師とか居たら、金銭トラブルなんか表面化する前にとっくにまとまってるし」・・・

・・・そうねえ、いっそカネ目当てのヤツとわかったら、カネで黙らせて引き下がらせるという手もあるけど、国民の血税で成り立っている皇室の親御さんですからね。ポケットマネーっちゅうものを持たれないわけだし。先月のお誕生日会見で、なんとなくお疲れの様に見えたのもそのせいなのかな。この件、結局年を越してしまいそうですね。

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続・眞子さまは結婚できるか ~大人たちはどこに行った~

2020-12-15 22:14:39 | ニュース

 このブログの大家さん=gooブログサービスにはアクセス解析機能があるのですが、先月13日の“お気持ち発表文書”以来、「眞子さま 結婚できるか」のキイワードで飛んできたと思しきアクセスがずいぶん増えました。

 確かこの件については、小室圭さんという固有名詞が世に出てきてからでも、三回ぐらいしか書いていないような気がするんですが、こんな無名弱小泡沫ブログにまで検索ハンターが来訪するくらい、世の中、眞子さまが大好きで、ご結婚成るかに興味津々らしい。

 成るか成らないかで言えば、“成る”ほうに七割、乃至八割ぐらい振れたと月河は見ています。なんたっていっぽうの張本人・・というか当事者が、「幸せだろうと不幸だろうと、この人が唯一無二」「この人と結婚する以外の人生ワタシには無いもん」と、喉元に切っ先当てる勢いで媒体通じて全国に宣言しちゃったのです。

 “心を守りながら生きていくために必要な選択”が“コノ人との結婚”だ・・ということは、コノ人と結婚しないなら、或いはコノ人以外の相手と結婚するなら、それはもう心を死なせた人生であり、生きていないのも同じ事だということです。修飾をとっぱらって芯だけ言えば「小室圭さんと結婚できなかったら死んでやる」ということですわ。おおコワ。プリンセスが白昼堂々と全国民に向けて、東海テレビ系昼ドラをやっちゃったのです。

 もはや、一部で怖いもの見たさで期待されていたような、破談、白紙戻しの目はないでしょう。もしそれをやったら、プリンセスのこの先の人生に、消えない大きな疵をのこすことになる。

 プリンセスも気がつけばアラサーです。ホトボリがさめた頃合いに、別のお相手がどっかから連れて来られてめあわされたとしたら、どんなに大方から見て釣り合う真っ当なご縁談であっても、真っ当で釣り合っていればいるほど「前のアノ彼に比べたらここがいい、あそこが好ましい」式の修辞で受け止められるでしょうし、めでたくゴールインして真っ当なご家庭を築かれたら築かれたで、その真っ当なご様子が折りにふれ報道されるたびに、「それにしても前のアノ彼は真っ当から程遠かった」と、クチにはのぼせずとも、この件について当初から記憶のある人の、ほとんどすべての脳内で、ほぼ終生にわたって比較されるでしょう。“プリンセスの前彼”はすでにすべての媒体にでかでかと画像、音声、動画をのこしてしまった。人生に消しゴムはきかないのです。

 ここへきてテレビ番組の井戸端コメンテーターだけでなく、文科大臣・国家公安委員長・衆議院議長等重いトコ歴任の大御所元・国会議員とか、現職宮内庁長官までがマス媒体を通じて苦言を呈するに至っていますが、月河は不思議でしょうがないのです。先の当事者=プリンセスご本人の、崖っぷち喉元に刃物声明まで飛び出しているのに、なぜこの両想いカップルに“ひと肌ぬいでまとめてあげようとする大人”が、ただの一人も現れないのだろうと。

 もう一方の当事者である小室さんの肉声が、いくら海外遊学中、試験勉強中とはいえいっかな聞こえてこない以上にコレ、謎です。

 キャンパスで出会いはぐくまれた若者同士の恋愛感情が、揃って結婚というゴールを希求しているのに、人生の先輩たちからは賛成できない理由や疑問符を指摘しあげつらう声ばかりです。

 「せっかく結婚したいって言ってるのに、何が障害になってできないんだ?どれどれ、問題を整理してみようじゃないか」「こことコレとコレが解決すればいいんだな、それじゃここはこうしよう、コレはあの専門家を頼んであたってもらおう、コレはこうしたらどうだ?」と、客観的に状況を分析して、ひとつひとつ解決への道筋をつけて二人の力になってくれようとする人生の先輩が、本当にどこにも居ないのでしょうか。

 当事者の一方の親である秋篠宮さまは、皇嗣の立場があるから、みずから「どれどれ」と前のめりに乗り出すことはできないでしょう。借金や就職、住まいなど、解決のために“おカネ”を必要とするジャンルはとりわけです。国民の血税で存立している皇室だということを、次代の継承者としてとことんわかっておられるはず。なんたって、私有財産、ポケットマネーへそくりのたぐいを持たないお方ですから、如何にあつい親心があっても、おカネを出す系の話はタブーというより無理なのです。

 親族、血縁じゃなくてもいい。かえって血のつながりはないほうが利害がからまなくてベターです。たとえばお二人とも同じ大学の同級生ですから、共通の上級生、卒業生、指導教授、同好会等OB、あるいは幼い頃近所に住んでかわいがってくれた一般人のおじさんおばさんでも構わない。秋篠宮さまは“婚姻は両性の合意のみによって成立する”と、結婚を認める理由を憲法の文言から引いておられましたが、もはや当事者同士の合意だけじゃ、如何に崖っぷち刃物レベルに強固でも、どうにも前に進まないでしょう。二人の幸せを願い、その幸せが結婚にこそあることを、二人と同じ体温で信じて疑わず、二人の結婚を叶えるためにかく汗、砕く心を惜しまない、賢くてフトコロの深い大人の力がいまこそ必要です。

 これは当事者お二人の落ち度ではなく、時代の流れということもある。戦前の結婚は家と家とがするもので、両家と、両家の間に立つ人がもろもろ手配して若い男女を引きあわせ、「いいお相手でしょう」「願ってもないご縁よ」と盛り立てて本人たちの意思をレールに乗せて行って成立せしめるのが普通でしたが、戦後はそういうのは封建的で古いということになり、「結婚は両性の合意によってのみ」よろしく、年頃になったら男も女も自分で相手を見つけて来て当人同士で盛り上がって結婚に至る、いわゆる(“お見合い結婚”の対義としての)恋愛結婚が多数派になりました。家に縛られず、個人主義で自由主義でいかにも新しく見えましたが、言葉をかえれば、誰もが結婚について“自由意志”“自力”以外頼れるものが何もなくなったのです。

 年長世代の人間が若者たちの結婚に容喙するのは「時代遅れ」「大きなお世話」と見なされ、若い人たちが遠ざける以上に年長世代側から腰が引けて行った。取り巻く社会のありようも年長世代が結婚を経験した頃のそれとは大きく変わり、成長業種の変遷や雇用形態の多様化に伴う職業観、貨幣価値や不動産市況のからむ住居観や、子供をもうけるタイミングを含む家族観、そしてもちろん性意識などのギャップから、「年寄りが口出ししても煙たがられるだけ」と、新婚や結婚手前のカップルに、純粋な善意で積極的にかかわろうとする大人はみるみるいなくなりました。

 以前にこの件で書いたときの繰り返しになりますが、若い男女がそれぞれに学んだり遊んだりする世界で、特定の異性に目が留まり好意を持ち、もっと知りたい親しくなりたいと思う、いわゆる“ほのかな恋心”なら簡単で、誰でも一度や二度はあるでしょう。しかしそのふわっとした好意が煮詰まり焦点が絞れて来て、“一つ屋根にずっと一緒に住み続けてこの先の人生の時間を共にしたい=結婚したい”に収斂するのは相当のエネルギーを要します。さらに“その相手にも同じ気持ちになってもらう”となると、なんぼエネルギーがあってもエネルギーだけじゃクリアできない、どえらい狭き門です。奇跡オブ奇跡です。

 このものすごいエグゾースティングなプロセスを、自分の意欲と能力だけで完走しゴールテープを切るのは、如何に若くても、誰にでもできるものじゃありません。モテるモテない、イケメンだ不細工だの話じゃない。自力っきり誰の助けも借りずに、これはと思った特定の異性と結婚に漕ぎつけるためにはある種の才能と運が必要で、それを十分に備えた若い人は、大方が思うほどは多くないのです。当事者以外の誰か、親きょうだい親族でもいいし、友人知人、上司同僚、ご近所さんでも、励ましたり誉めそやしたり、ノロケに呆れるふりをしたり、時には冷やかしたり囃し立てたりもして当人たちの「やっぱり結婚したい」「この人としたい」をサポートし、水や栄養を与えて育てあげてやる必要がある。

 くだんのお二人には金銭問題や家族問題、就職問題などもっぱら小室さん側の抱える懸念のほかに、眞子さまの出自ゆえの“国民の納得と祝福”という、捉えどころがないゆえに途方もなく越えがたいハードルがあります。お二人、特に小室さん側に「それ相応の対応」を期待しても、コレいつまでたってもすっきり解消にたどり着くことはないでしょう。何よりご本人たちが、“どこの何と何と何が、結婚できない障害になっているのか”を掴めていないように見えるからです。

 ここは何としても、酸いも甘いも嚙み分けた大人の出番です。「いやいや、お熱い事で羨ましいねエ、ボクももうちょっと若ければなあ」等と目尻を下げて見せ肯定感を与えつつ「早く結婚したいよねえ、どれどれ、どこをどうすればいけるのかな」と前がかりで状況を分析し、問題を浮かび上がらせて図示なりして解決への糸口を探してくれる、人生経験値の高い第三者。

 宮内庁も、小室さんにムダに圧かけて何か言わせよう動かそうじゃなく、そういう人を探してあげればいいのに。いや宮内庁は任でないと言いそうだから、お二人を知る誰でも構わない。いくら“両性の合意のみに基づく”時代でも、当事者だけに問題を押し込んでさあどうする、どうにかしなさいよホレホレと言ってるだけじゃ、失礼な言い方だけど、可哀そうすぎると思います。せっかくの、奇跡オブ奇跡の両想いなのにね。

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先生と呼ばれるほどの豚でなし ~木に登る学術会議にも上る~

2020-10-07 12:27:51 | ニュース

 狙って突いたのか、ズレてヘンなとこ踏んじゃったのか、良くも悪しくも菅新総理のキャラが現れたなあと思います。日本学術会議会員候補の一部非任命問題。

 菅さんにしてみれば、「毎回前例踏襲で推薦まるのみじゃアレだから、辛めに行こうと思っただけなのに、なんでこんな国民生活に縁遠いとこでゴツゴツ引っかかるんだ」と、内心怪訝かつ焦れったく思ってるかもしれない。

 先の総裁選で何度も強調された通り、菅さんは東北の農家から上京、工場で働きながら法政大の二部を卒業して、同郷議員の門を叩き末席秘書から政界に入った経歴ですから、およそ“学問”“学歴”というものについては非常に突き放した、ドライな捉え方だと思います。何かの職で世に打って出て、渡って行くための、幾つもある“方便”のひとつぐらいにしか思っておられないと思う。学は身に着けるべきだし有るに越したことはないが、無きゃ無いで他にも方便、策はある。

 或る意味きわめて合理的に“学問”というものを見、ついこの前までは官房長官、いまは総理大臣として我が国の“高等教育”“学術研究”のあり方をもその延長線で考えている。コスト、リスク、メリットとデメリット。幾らぐらいの予算を投入すればどれくらいの果実が、どの程度の確率で期待できるか。他にもっとローリスクローコストでハイリターンな策は無いのか。リターンがふわふわしているわりにはコストが高すぎると思えばばっさり行けばいい。

 ・・ところがどっこい、菅さんがあずかり知らない“学者”の世界というのは、合理的とは対極に、実にドロドロとした、嫉妬、羨望、やっかみ、恨みつらみ、派閥争いや足の引っ張り合いが渦巻く世界なわけです。

 彼らは言葉には出さないがつねに自分と、同年代で同分野で同じくらいのポジションにいる他の学者とを脳内で比べていて、何々賞に誰が選ばれた彼が落選した、ドコソコの要職に誰と誰が昇進した、誰が降格した、何々に招聘されるのが誰某は自分より一年早かった彼は遅かった、同時に昇進したのに誰が上席になった誰が次席だ・・等、およそ“当落”“順位”“席次”の付く話に、信じられないほどナーバスで執念深いのです。

 「出世がしたくて学問研究してるわけじゃないさ」「出身関係なく研究者が協力して、学界全体のレベルが上がって行けばいいのさハハハ」等と日頃小綺麗な事を宣っておられる先生ほど、内心は地獄の釜の様に煮えくり返っていて、“同時に推薦されたアイツ、コイツは任命されたのに、オレだけ拒否られた”なんて事態が出来したら、もう何日も眠れないわメシはノドとおらないわ、藁人形に五寸釘そこらじゅうの柱にグサグサやらなきゃ済まない勢いです。

 学者先生というのは、小学校中学校高校大学を通じて、「この子は他の子よりアタマがいい」「同年代の誰より優秀だ」なんなら「わが校開校以来の神童だ」等と言われつけて、言われることをレーゾンデートルにして大人になってきた人たちですから、“選にもれた”“同輩の誰彼と比べられて任に足りないと判定された”“後塵を拝した”となることをダカツの様に嫌います。もう理屈じゃありません。“合理的”なんてイヌにでも食わせろです。コストとリターンのバランスも、リスクとメリットの勘定もヘッタクレもあったもんじゃない。日本でいちばん頭脳明晰、各専門分野の俊秀とされる学者先生たちとは、こと“選考”“合否”“順位序列付け”の問題となると、実は最も非合理的な、感情、怨念、妄執で動いたり動かなくなったり、ヘンな方向に動き出したりする人種の集まりなのです。

 こういう先生たちに気持ちよく、持てる知性を爽快に全開して働いてもらおうと思ったら、こう言っちゃなんですがおだてて乗せなきゃダメです。「この分野ではアナタが第一人者だから」「専門家と名がつく先生は幾らもいるがアナタは別格だから」とマクラを振れば、もうネコまっしぐらに協力的になります。

 日本学術会議会員になると出張るたびに1万8千円のお手当が出る(年度末になると予算が足りなくなって出なくなることもあるとか)なんて話もありますが、月河が思うに千円でも、二千円でも、なんならコーヒー一杯分でもいい、要は「他の先生にはさしあげられませんが、アナタにだけは」と差をつけてあげることが大事。“他に比べて、あなたが図抜けて優れている”と言われるのが、この人たちの何よりの生きがいであり目標であり至福なんですから。

 逆に、今回みたいに、“候補リストに挙げておいて、選んで落とす”ってのがいちばんやっちゃいけないことです。一生恨まれます。藁人形にされて五寸釘です。

 “学問”を方便の一つとしか見ていない叩き上げ現実主義者の菅総理、ここがわかっておられなかった。自分よりはるかに高学歴、高学校歴の役人や先輩議員たちを才覚と度胸と運動量でのしてきた自信があるから、学識、お勉強の出来(だけ)が取り柄の“学者先生”にさしたる尊崇感も、そういう先生たちをご機嫌よくさせる特段の気遣いの必要も感じていないのだろうと思います。

 菅さんになって急に決まった任命見送りじゃなくだいぶ前の年度から伏線はあったらしいですが、前任者安倍さんならどうだったかなと思います。安倍さんも金持ち坊っちゃんのエスカレーター校出身であんまり高学校歴じゃありませんが、父上もお祖父ちゃんも大叔父さんも、あと、定規でひっぱたいたとかいう元・家庭教師のアノ先生(現・復興相)も東京大学卒です。周りにアカデミズムに親しい人が多かった分、いま少し“学者ワールド”“学者先生のトリセツ”を心得た斬り方をしたかもしれない。

 今回任命を見送られた6人の先生方は、前の政権時に安保法制や共謀罪で反対の論を張ったから忌避されたんじゃないか、だったら政治が思想信条の自由、学問の自由に枷かける戦前思想じゃないかと、レフト寄りな媒体が騒いで今回長引いていますが、むしろそっちのほうが後付けではあるまいかと月河は睨んでいます。

 任命されなかった先生方だけじゃなく、学術会議会員・準会員全体、それどころか会員にかすりもしないレベルの学者研究者さんでも、「学問の自由を守れ」は建前であって、クチに出して言わない本音の総意は「私大の夜間部しか出てない総理に手を突っ込まれる筋合い無いわ」というところでしょう。

 頑張れ菅さん。間違っても「そうですかそこまで仰るなら任命しましょう、ハイ任命」なんて折れたらダメだよ。

 任命されなかった先生方も、「説明しろ、任命しろ」と押して押して、渋々任命されるんじゃアリガタクもないでしょうよ。この際、「オレは切れ者すぎたから時の政府に拒否られた男なのさフッフッフ」をセールスポイントに、在野で堂々論陣を張って行かれては。そのほうがカッコよくないですか。都度1万8千円ぐらい、クラウドファンディングでどうにかなりますよ。優秀なアタマを使いましょう。そうしましょう。

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星の姫は星になった ~芦名星さんを悼む~

2020-09-20 23:11:52 | ニュース

 不本意ながら前の記事の続きの様になってしまいました。芦名星さん、月河にとっては未だ『仮面ライダー響鬼』(2005年)の、魔化魍(まかもう)の姫のイメージがいちばん鮮明なのですが、調べたら当時21歳。今年36歳でしたか。もう女優歴も十五年選手です。

 初めて見たとき、その次に見たとき、インターバルがあいてしばらくぶりに見たとき・・と、演技力というか“女優らしさ”は確かに右肩上がりな一方、一貫して“生活感のなさ”が変わらない人でした。

 直にお会いしたわけではないしトークバラエティなどでの自分語りも、此方がちょうどそのテの番組を好まなくなった時期に入っていたせいもありあまり聞く機会がありませんでしたが、なんとなく、出演作品や役柄の表現には積極的で貪欲でも、自分自身を露出し表出することは得意ではなく、それゆえに最小限にとどめおくようにして生きてきた人のような気がします。 

 ・・教育機関や企業でカウンセリングを担当する人の複数から聞いたことですが、向上心に富み前向きで、目標を掲げ努力を惜しまない人=周囲から「頑張り屋さんね」「見ているとこちらも元気が出る」「私も、僕も見習わなきゃ」と言われるような人ほど、いまの自分や状況に満足できていないので、活発でほがらかな言動や雰囲気とは裏腹に、絶えず自分に対するいら立ちや焦りに苦しんでいるといいます。

 また、大きな夢や希望を持っている人、やりたいこと、なりたいもの、行きたい場所、欲しい物がはっきりしている人ほど、“たくさんの事や物をあきらめ、断念したり妥協したり、第二希望以下に目標を下げたりして、悔しい思いを積み重ねてきているものだ”とも。

 こういう人は“ポジティヴ、前向き=善、ネガティヴ、鬱屈、停滞=悪”と心の底で思っていますから、人に会う時や人から見られるときにはいつも明るく、多くの趣味や興味関心対象を持ち、面白そうな事や面白かった事に水を向けられればいくらでも話してくれます。聞く人は“楽しい事がいっぱいある人生でいいな、幸せそうだな”と思って疑いません。聞く方もたいていポジティヴ信者なので、相手が見た目明朗快活で前向きだと安心、気楽なため、わざわざ奥底のネガティヴを探り出そうとは思わないのです。

 芦名星さんもそんな、クチ下手ならぬ“ネガティヴ下手”さんだったような気がします。ファッション雑誌のひたすらおしゃれなモデルさんから動いて話す女優に転身して十五年以上にもわたり、揺るぎない“生活感のなさ”を維持するなんて並大抵のことではありません。モヤモヤしたりカリカリしたり、どんよりしたりする所を人に見せないようにしているうちに、自然と、ドログチャなリアルから一線を引いて距離を置いてるようなたたずまいが身についてきたのではないかと思います。外から接している人は、ドログチャ感が無いのは気分がいいですから、「感じのいい人」と好感度大で、それゆえに自死だったと報じられると「信じられない」「そんな筈はない」「動機が思い当たらない」と当惑するのでしょう。

 36歳という若さを思うと、ベストな選択だったとはとても言えません。何かしら、どうにかして他の手立てはなかったものかと思わずにいられませんが。もう時間を逆回しできない以上「少なくとも、もう夢や希望を持ち続けなくても、頑張らなくても良くなった」事にだけは、彼女のために少しだけ安堵してあげてもいいのではないかと思います。

 「人間が最後に罹る病気、それが“希望”である」

 ・・この至言を思い出します。サン・テグジュペリ、代表作はもちろん『星の王子さま』。

 ちなみに、芦名さんの芸名“星”、『響鬼』のクレジットで初めて見たとき、”一字で女性名、「何と読むんだろう?」と月河はかなり長い間悩んで結論が出ませんでした。『響鬼』放送が終わる頃か、終わって久しい頃、TV誌のグラビアページか何かしらの紙活字媒体でルビを読んで正解を知るまで、当てずっぽうでひかりさんじゃないか、と決め込んでいました。文字通りの“キラキラネーム”と見たわけですな。当たらずとも、そう何万光年もは遠からずだったと思いますがどんなもんでしょう。

 最後になりましたが、気がつけばレギュラーだけでも半端ない本数のドラマ出演作があった芦名さん、もし追悼企画で過去作の再放送をやっていただけるなら、ぜひNHKBSの『てふてふ荘へようこそ』(2012年)をお願いしたい。彼女の、演技でなく内からにじみ出る様な、“濃厚な”といってもいいくらいの圧倒的な生活感のなさと、それを裏切るのか補完するのかわからない、これまたにじみ出る様な“体温感、人肌感”が見事に生かされた快作だと思います。

 当時はまだ今ほどブレイクしていなかった鈴木浩介さん、滝藤賢一さん、江口のりこさん等も、ゲストと言うには活躍の多い重要な役で存分にのちの開花の片鱗を見せていますし、本放送時はあまり話題にならなかったけれど、もっと見る人が増えてほしいドラマです。

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旅立った人たち ~影ながら祈る~

2020-09-07 23:54:20 | ニュース

 義理のやむなき冠婚葬祭以外、もともとあまり人付き合いの良いほうではない月河家も、ステイホーム推奨・非接触型社会推奨の新型コロナ禍以降、ますます孤高深閑の度を深めてまいりました。

 各人夫々に新聞やTVと接している時間が長くなると、なんだか先日一時的局地的に盛り上がった弘田三枝子さん以外にも、今年ここまで、ずいぶん多くないですか。有名知名人の訃報。

 ここ4~5年ではいちばん丁寧に新聞読んだり、家でTVをつけている時間が長かったりするから自然とそう感じるのかもしれません。特に、聞いた瞬間「まだ亡くなる様なお年ではないんじゃ?」「闘病中とかの情報なかったよね?」「ついこの間、変わらない感じで出てたよね?」と思う、意外なかたの突然の逝去が目立ったように思います。

 月河自身がいちばんびっくりしたのは、5月に入ってから公表された、外交評論家の岡本行夫さん。小泉純一郎総理時代の政府外交特別補佐で、ついこの間までBSフジプライムニュース等に出演されていた記憶があったので、新型コロナ、やっぱり怖いなと思いました。74歳、病歴や喫煙歴はわかりませんが、70歳だった志村けんさん同様、“寿命だからしょうがない”と言えるお年ではありません。

 退官後フリーの評論家となられてからも、服装といい、随所に硬骨クセモノ感、諸外国の高官と四つに組んできたしたたか感を垣間見せつつも語り口はソフトでユーモアに富んでいて、「G7(先進国首脳会議)は、各国首脳が(歴史知見など)知性と教養をひけらかし合い、その後愚痴をこぼし合う場」という話は特に愉快でした。

 月河にとっては、ヴァイオリニスト佐藤陽子さんの前の旦那さんというのも印象深い。天才の呼び声高かった陽子さん24歳で、一橋大出身のエリート若手外交官岡本さんと恋愛結婚された時点でかなりの話題をまいたはずですが、月河が知ったのは、陽子さんが版画家で芥川賞作家の池田満寿夫さんと再婚(事実婚)されたときで、岡本さんとは前年にもう離婚が成立していました。“外交官の妻”というのは、ご本人の本業・前職が何であろうと別建ててひとつの技能職みたいなものですから、天才ヴァイオリニストで声楽家・女優としても国際的に活動していた陽子さんがよく飛び込んだなと思います。当時の、20代の岡本さんによほどの魅力があったのではないかな。

 陽子さんと離婚成立後再婚もされていたはずですがそのへんは詳しくないので。日米同盟基軸の重要性を繰り返し強調していた岡本さん、期せずして日本も、ひょっとしたらアメリカもリーダーが代わりそうな現今の情勢及び将来展望をどう観られるか、お元気だったら是非うかがいたかったところです。

 7月の、俳優三浦春馬さん謎の急死、のちに自死と判明というのも、こちらはコロナと何の関連もないだけに一層衝撃が大きかった。ほんの数日前にTBSで新ドラマの番宣にリモートナマ出演されていたし、スキャンダルやトラブルの噂もなかったし、非高齢家族なんか「ちゃんと検死したのか、他殺のセンはないのか」と真顔で言ってましたから。

 「誰?有名なの?」と高齢家族が訊くので「ホラ、大河の『おんな城主 直虎』で幼なじみの亀之丞が大きくなって井伊直親って・・」と説明すると、「あー、あのキレイな顔立ちの子」と意外にすぐ思い出してくれましたが、ちょっと間をおいてから「影薄い感じだったもんね、線が細くてね。年がいってから良い役者になりそうな、ズブトいタイプじゃなかったね」と、後出しジャンケンの様にコメントしてました(高齢組の、特にその2は、『直虎』キャストの中では三浦さんでも、高橋一生さんでも菅田将暉さんでも、柳楽優弥さんでもなく“ユキの字”こと中野直之役=矢本悠馬さんが贔屓で「あのコはいい、ジャガイモみたいな顔してるけど、いい役者になる」と絶賛でした)。

 ・・高齢家族が、テレビやDVDなど媒体を通じて見知った、あるいはリアル社会で人づてに知り合いになって交流を持った人について、「影が薄い」と本人不在の時に評するのは、しょっちゅうではないですけれど、不思議とその後、さほどの年齢でも病気持ちでもなく急逝されることが多いのです。特に霊感が強いとかでもないので、偶然と言えば本当に偶然なんでしょう。

 かつて高齢家族その1が定期的にお世話になっていた理髪店の奥さんで、店主である旦那さんの助手としてテキパキ働いていた人がおられたのですが、その1を迎えに行って帰って来たその2が数日後「あの床屋の奥さんは愛想が良くて気もきくようだけど、なんでか、影の薄い人ね」「今日、店の前を通ったんだけど、旦那さんの顔や体型は思い出せるのに、奥さんの顔は全然思い出せない」。・・次にその1が店に行ったときには奥さんは不在で、入院しているとの話で、それから間もなく忌中の貼紙が。軽く体調を崩して受診したら、その時にはもう手遅れの癌だったらしいのです。・・

 ・・・なんだか月遅れの怪談みたいになってるな。それより少し前だったか後だったか、自民党の二世議員で選挙区が近く、一時は“将来の総理総裁候補”と言われていた中川昭一さんについても「いつ見ても疲れた、泣きそうな顔してるよねぇ」「たぶん総理になんてならないよ、影が薄いもの」と、TVにお顔が映るたびに言っていました。

 中川さんの外遊先での飲酒朦朧会見とその後の転落、そして急逝はつとに知られています。このときはその2「やっぱりね」的なことはいっさい言いませんでした。

 月河も霊感を積極的に、濃厚に信じるほうではないのであくまで想像ですが、人間は誰でもその立場や、目標意識や、職責なりの生命力、生への執着力とでも言うものを内に持ち、放射、放出しながら日々生きている。

 バランスが取れているときは誰が見ても何の不自然さもないでしょうが、何かの理由や動機で“立場は重いのに、社会的に注目され期待されてるのに、或いは家族や同僚から頼られているのに、それに見合う量の生命力が湧き出ていない”状態になることがある。

 理髪店の奥さんの様に本人にはまだ自覚のない病気が原因のこともあるし、中川昭一さんのように深酒癖のこともある。そんな時の何とはなしの、外から感じる気配のバランスの悪さを、うちの高齢家族その2は「影が薄い」と表現するのではないかな、と。

 3年前の大河ドラマで若き井伊家当主を演じていた三浦春馬さんにも、画面を通じて何かしらのバランスの悪さ、枯渇感を、その2としては感じたのかもしれません。ドラマ中での役自体が、非運の予感を終始纏い、予感通りの非運に終わる役だったことも若干は関係しているとは思いますが。

 三浦さんの場合まだ30歳になったばかりでしたし、一時的な“生命力の減圧”はお休み取るなりしてリカバリーして、高齢家族その2の読みを裏切るズブトい名優になってほしかったですね。本当に人の生は日々、いつバランスを崩すかわからない薄氷の上、紙一重の地平を行くようです。

 だからこそ無事に踏みしめ進みおおせる今日一日が途方もなく貴重だとも言えるのですが。

 ちなみに、こんな高齢家族その2がステイホームでTVに親しい日々の中「この人も、影が薄いねえ」と一度ならず所感を述べている有名知名人は現時点でも複数いるのですが・・・書いてデスノートみたいになったらこのブログ自体も汚染される気がするので、きれいさっぱりスルーすることにします。こういう時世ですから、ネガティヴはぜんぶゴーアウェイで。

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