おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

梅・むめ

2009年02月14日 | 歌にみる四季
梅が咲き出しました。近場を歩いていて、見かけて撮影したものです。
今年は少し早い開花のように思います。
旧暦ではまだ睦月の二十日で如月にもなっていません。
「とはずがたり」に如月の18日に満開の紅梅の記述があります。

北野天満宮か梅宮大社か城南宮にでも梅を見に行きたい気もするのですが、
はてさて、どうなりますか。


人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香にほひける
  (紀貫之)

ながめつる今日は昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
  (式子内親王)

とめこかし梅さかりなるわが宿を疎きも人は折りりこそよれ
   (西行)

紅の色こきむめを折る人の袖にはふかき香やとまるらむ
   (西行)  

のちに「花」とは桜を指すようになりましたが、貫之の歌にある「花」は梅のことです。
桜の前には「花」とは梅の代名詞でした。

西行の歌にもあるように梅の枝は折り取ることが礼儀だったようです。
現在では人様のお宅の梅を勝手に折り取ろうものなら、器物損壊罪で罪に
問われることになるでしょう。時代の変遷を思います。
















七草

2009年02月02日 | 歌にみる四季
卯杖つき七くさにこそ出でにけれ年をかさねて摘める若菜に(西行)

一日遅れになってしまいましたが、昨日の2月1日が旧暦の七草の日でした。

 正月七日、邪気を払い万病を除くため羹(あつもの)として食した若菜のこと。
 セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種に定まった。
               (岩波書店 古語辞典から抜粋)
 
 後世にはこれを俎板に載せて囃してたたき、粥に入れて食べた。
                     (広辞苑から抜粋)
尚、ホトケノザについてはピンク色の可愛い花をつけるシソ科のホトケノザではなくて、
キク科のコオニタビラコのことです。


古き妹がそのに植えたるからなづな誰なづさへとおほし立つらむ(西行)
よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな(芭蕉)


「なずな」とは「ペンペン草」のことです。どこでも見かける雑草の一つです。
秋に発芽して冬を越し、春先から茎がでる越年草です。七草粥ではナズナの葉を食します。
さて、今年は七草が終わればすぐに立春。春が立つのは良いのですが、
これからが冬本番。陽春の頃が待たれます。

七草の画像は城南宮で2005年2月11日撮影。ナズナの画像は昨年の撮影です。










比良の山

2009年01月28日 | 歌にみる四季
大原や比良の高嶺の近ければ雪ふる里を思ひこそやれ
(西行 山家集)

思へただ都にてだに袖さへし比良の高嶺の雪の景色は
(寂然法師 山家集)

志賀の浦のさゆる景色の異なるは比良の高嶺に雪や降るらん
(慈円 拾玉集)


本日、京都市西京区の自宅近くから冠雪している比良の山が見えましたので撮影しました。
比良の山とは特定の山ではありません。比叡山の北に連なる連山を指します。
最高峰は1214メートルの武奈が岳です。
「比良」は歌枕でもあり、歌では風、雪、霰、凍る、冴えるなどの言葉が詠みこまれていて、
寒さの際立つ冬の情景を詠ったものが多くあります。
「比良の暮雪」は近江八景の一つです。

また、この山に吹く風の激しさは有名で、ことに春先の比良おろしの風を「比良の
八講荒れ」といいます。
下の画像は比叡山です。







よもすがら

2009年01月10日 | 歌にみる四季
よもすがら嵐の山は風さえて大井のよどに氷をぞしく
                    (西行 山家集)


初めの画像は嵐山。08年11月17日撮影。二枚目は大堰川と小倉山。08年12月7日撮影。
この川の岸辺のほうに平安時代は氷が張っていたものと思われます。
現在よりも平安時代の方が寒かったことは、数々の文献で明らかです。
だからこの川が氷結したとしても少しも不思議ではありません。
画像正面の小倉山も山城の歌枕として著名です。画像にある井堰は500年代に
初めて作られて数次にわたって改良されたものといいます。したがって当然に西行も見た井堰です。
この井堰のほんの少し上流に昔の法輪寺橋がありました。現在の渡月橋の前身です。

この大堰川の奥のほうを「千鳥が淵」と呼び、古来からの自殺の名所だったようです。
平家物語に出てくる滝口入道との悲恋で「横笛」が入水したとも言います。
また、下流の桂川では「お半・長右衛門」が入水心中した実話をもとに、
江戸期に「桂川連理柵」という浄瑠璃が作られました。
昭和になってからも入水自殺を報じる新聞記事を何度も見ています。