17.03.25
近鉄京都→→近鉄桜井→→安倍文殊院→→JR桜井駅→→JR三輪駅→→大神神社→→
佐井神社→→大美和の杜→→JR三輪駅→→近鉄桜井駅→→近鉄京都駅
一週間前の18日、二上山の麓の香芝市に行ってみた。
目的は二上山の雄岳と雌岳の間に落ちる夕日を撮影するためだった。
ところが天気が良くなくて太陽は見えたり隠れたりであり、しかも
落日の位置は二上山のはるか南であった。
事前にある程度の位置予測をしていて、外れるのは承知の上だった。
こういう時は何日間か通ってみなければならない。当然にそうする
気持ちはあったのだが、京都から奈良まて日参するには無理があると
いうものだ。下は近鉄京都駅のセント君。
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25日、太陽の位置はどうなっているのか実際に見てみると、今度は
二上山のはるか北に入った。つまりは太陽は一週間でかなりの距離を
移動するということだ。一日当たり太陽一個分の幅だけ移動するという説も
どこかで読んでいたが、それが間違いであることに気付く。
二上山に夕日の入る日は一年に二度ある。たいていは春分の日頃と
秋分の日の頃。
正確に両岳の真ん中に入る日は数年に一度くらいの物だろう。
当日に雨が降ったり雲がかかっていたりしたら当然にきれいな夕日は撮れない。
かくして二上山の落日撮影は今後数年間にわたっての私の宿題としょう。
もう30年か40年ほど前に購読していた「歴史読本」の表紙に二上山の間に
入る夕日が印刷されていた。写真だけなのに、ちょつと感銘を受けたことを覚えている。
そのことが頭にあったのか、夕日を撮影できる環境が整っている現在、
自分でも撮影してみたいという思いが、ふつふつとたぎってくる。
二上山は俗物的な言い方をすれば「聖なる山」とも言える。
一度は雌岳も雄岳にも登っている。15年ほど前のことである。
むろん雄岳山頂にある大津の皇子の陵墓にも詣った。
古代国道一号線でもある竹内街道も自転車で通った。
「うつそみの人なる我や明日よりは二上山をいろせとあが見む」
という姉の大伯皇女の絶唱も忘れ難く私の中にある。
古代の歴史も悲劇性に満ち充ちているのだが、大津と大伯の同腹の兄弟も
皇統に連なるが故の悲劇性にあふれている生であった。
初めに行ったのは「安倍文殊院」。古代豪族の安倍氏の本貫地。
桜井には何度も行きながら文殊院は初めてということも不思議だ。
この安倍・安部・阿部という姓氏も日本の歴史を担ってきた豪族だとも言える。
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文殊院の展望所からは二上山は良く見えるのだが、17時頃には閉門だから、
それ以後はとどまることができない。
早めに文殊院から「大美和の杜」に行く。
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大美和の杜の実桜は満開だが紅枝垂れはまだまだである。満開にはあと10日以上かかると思う。
昨年は4月5日にここにきている。感じとしては今年は4/5の咲き具合はどうだろう?
さて落日は天気が悪くて太陽は雲に隠れたままである。
それであきらめて帰路につき、10分ほど道を歩いていたら、なんと急に空が
明るくなる。見上げると夕焼け発生。
一目散に大美和の杜まで引き返して、撮影準備もそこそこに夢中という
感じでシャッターを切る。
でも結局は雲にさえぎられて太陽はまん丸い形を見せない。
とても残念なのだが、しかしきれいな色の夕焼けを見られたことで
及第としょう。
かくして私の25日が終わった。まずまず楽しめた一日といえるだろう。
例のようにOnedriveに出しています。スライドショウが推奨です。
170325奈良桜井