おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

空蝉 ・水の森

2019年07月28日 | その他

空蝉・水の森 

梅雨が明けて夏の盛りだ。とはいえ、旧暦では本日7月29日は旧暦6月27日。

夏の盛りと言っても夏はあと二日しかない。しあさって(明々後日)の8月1日からは

旧暦では秋になる。全く以って季節は人を待たない。

それにしても梅雨明け以来、途端に暑くなった。

 

今の時期にはセミを見かけることが多い。

拙宅の猫の額のような庭からもセミの抜け出た穴が10個ほど見つかる。

このことも毎年不思議に思う。その元となる命は地上から地中に入って長い期間を

過ごすのか、それとも地中で命が芽生えて、そのまま7年ほどを過ごすのか?

どちらにしても、そのメカニズムは不思議としか言えない。神秘的だ。


セミは地中に3年から17年ほどもいて、やっと出てきたら、旬日ほどの命と言う。

実際には種類によっては1か月ほども永らえるらしい。

地中に出てきて、まずは脱皮する。脱皮に失敗して、そのまま命絶えているのも、

何度か見たことがある。

脱皮した「抜け殻」を「空蝉」という。

いつの頃から抜け殻をも「空蝉」と呼ぶようになったのか、

残念ながら不勉強で私は知らない。

でも「空蝉」の言葉そのものは、万葉集にもあるので、古いことは古い。

 

 うつせみの代は常なしと知るものを 秋風寒み思ひつるかも
                                              (大友家持 万葉集465番)

 うつそみの人なる吾や明日よりは 二上山を弟背とわが見む
                                               (大来皇女 万葉集165番)


源氏物語にも「空蝉」の一章がある。

 空蝉の身をかへてける木の下に 猶人がらのなつかしきかな
                                                  (源氏物語 空蝉)

万葉集時代の歌は「現身」として、今、実際に生きている身として「うつしみ・うつせみ」

の言葉が用いられている。すべての「うつしみ・うつせみ」歌が

そうであるのかは、まだ調べてはいないのだが、「空蝉」がセミの抜け殻をも

指すようになったのは、もっと後の世になってからだろう。

 

 むなしくてやみぬべきかな空蝉の此身からにて思ふなげきは
                (西行 山家集1337番)

源氏物語や西行歌にある「うつせみ」は万葉集の二首とは

微妙にニュアンスが異なっていることが分かる。

「空蝉」の言葉の用い方の過渡期であったのかもしれない。

 

数年前にセミの脱皮の光景を撮影したことがある。ゆっくりと地中から這い出て、

脱皮場所を探してやっとたどり着き、長い時間をかけて脱皮する。

その後もしばらくはほとんど動かない。脱皮後にすぐに飛び立つわけではない。

この一連の出来事を見ていると、セミとは言え命の持つ敬虔さみたいなものが、

私の中で沸き上がり、強く迫ってきたことを覚えている。

私が詠んだ短歌らしきものも載せます。

 

1 去年の日にしがみつきしか空蝉は雪に染まりて夏留めおり

2 脱け出づるうつつの命より長しせなの春の日空蝉寒し

3 空蝉は蝉の形を保ちおり人は位牌の型になるらむ

4 おいかけておいかけて行く夢のよるべなさされども空蝉悲し

5 空を飛ぶ夢のあわいに生きたまえ飛べない蝉よ命なりけり

6 現身も空蝉も在ること悲し三月の空青くて深き

7 あめ色に降り積む時を重ね着て空蝉生きる春の木未に

「水の森」は滋賀県草津市烏丸半島にある水生植物園である。私は初めて訪れてみた。

こじんまりしているけど、琵琶湖に面した良い公園であると思う。

詳述しないで画像に語らせよう。

空蝉画像

水の森画像

画像は上にあります。ワンドライブに置いています。花名を入れていませんが、御覧願います。

 


雨の日

2019年07月19日 | 京都

雨の日

 

梅雨の日々が続いている。それはそれで良いのだが、しかし降雨量は少ないのではないか?

他府県では多い地方もあるようだが京都では少ないようにも感じる。

今日も雨天ではあったのだが、豪雨と言うわけではなくて、雨の神も出し惜しみして

いるかのように弱雨が続いたような印象だ。

 

なんだか数十年前頃の、何日も降り続き、部屋の中もじめじめしているような、

そんな梅雨のイメージが払拭されている。

降る時には遠慮会釈もないゲリラ豪雨で大災害をもたらし、他方、

梅雨時とは思えないほどに降雨量が少なく、給水車が出たりする年もある。

地球環境は確実に変化していることが、そういうことからも読み取れるのでは

無かろうか。常に快適に過ごせる天候というわけにはいかないのも承知だが、

できるだけ被災の無いような環境であって欲しい。

 

雨の後のかすかな楽しみは雫の撮影。でも難しくて、うまく接写できることは少ない。

雫撮影ではわざわざ容器に入れた水を噴射して水滴を作る人もいるようだが、

私はそんなに人為的に水滴を作ることはしない。不自然なことはしない主義だ。

ゆえに撮影画像も自然なままの雫である。

 

これまでに撮影した水滴画像を出します。

下の画像は水滴ではなくて氷(つらら)の溶ける渦中のもの。実はナンテン。

下の画像はテーマから大きく外れて雫ではなくて「シャボン玉」。

それを撮影している私が写り込んでいます。

水滴画像は下にあります。多くはないのですが御覧願います。

雫画像


190709 法金剛院

2019年07月12日 | 京都

190709 法金剛院

7月09日、雨の予報が出ていたけれど、花園の法金剛院に行ってきた。

法金剛院は「関西花の寺」の一宇である。

「花の寺」とは関西で花の名所としても聞こえている25か寺が、

宗旨・宗派の違いを超えて、「花」を媒体として集った団体である。

法金剛院は「13番花の寺」。特に蓮が名高い。

 

法金剛院は鳥羽天皇中宮の待賢門院が中興したお寺である。

待賢門院は崇徳天皇・後白河天皇の生母なのだが、1142年にこの

法金剛院で落飾。1145年に現在の烏丸御池近くにあった三条高倉第で崩御。

45歳の若さであった。

法金剛院とは待賢門院の代名詞とか、同義とも思えるお寺なのであり、私にとっても

少しは思い入れがある。

もともとは法金剛院の寺地は広かったのだが、明治になって山陰線施設のために大幅に

削られたりして、小さな寺になった。1968年には丸太町通りの拡幅のためにも

削られていて、現在の寺観になったのはわずか30年ほど前のことである。

 

この日、7月9日は撮影会として行った。6時に起床して、バス電車利用で

着いたのはなんと8時前。庭園にはすでに20名ほどと思える人たちの姿がある。

蓮の花もいい具合に開いている。一通り見て回る。

上の画像は双頭蓮。蓮とは一本の茎に一花が咲くのだが、これは二花が咲いている。

合弁花の類だろう。

 

撮影しているうちに同好会のメンバーが到着。11時半頃までは撮影に余念がない。

私自身は良いのが撮れたかどうかは別として、きれいな咲き具合のハスを見たという

思いがして、充実した満足できる数時間ではあった。

下の画像は紫式部とキノコ。キノコ画像は池畔にあって、見方によっては水面に宿る月に

見えなくもない。

この日の画像は下にあります。御覧願います。

190709 法金剛院

 

 

 

 

 

 

 

 

 


190707 京都植物園

2019年07月08日 | 京都

190707 京都植物園

 

七夕の日の7月7日、ちょつとという感じで植物園に行ってきた。

記録をひも解いてみると、この日で今年は9回目の植物園である。

他の年でも12回から15回は行っているので、私としては普通だろう。

割と行っている方だとは思うも、見逃してしまう花も多い。

 

さて、今回は「ハス」と「ユリ」をメインにしょうと思っていたのだが、

両方ともに良い状態の花に出会えなかった感じだ。

特に百合。黄金鬼百合は何とか撮れたが、山百合が一か所だけ咲いていて、

3輪のみが開いてはいたが、花の状態が良くなくて、うまい具合に行かない。

それも仕方ない。

蓮は最盛期ではあったのだが、中央のハス園のは白花が殆どで、花が

白飛びしてしまうので、あきらめる。きれいな形で開いているのもなく、

しかも拡大してみると花に小さな汚れが多くて汚い。

「彩りの丘」と別のハス池で花蓮を数点撮影。まあ良しとしたい。

被写体選びは重要なことなので背景や光の方向なども含めて精選したい。

 

トンマなことに、マクロ撮影をするコンデジを家に忘れてしまって、

小さな花は撮ることができない。それも仕方ない。

いく種類かの花を見られたことで良しとしたい。

結局は3時間半ほどいて、この日の一人撮影会は終了。早めに家路をたどる。

この日の画像は下にあります。御覧願います。

190707 京都植物園

 

 


モジズリ・ネジバナ

2019年07月05日 | 魅惑の花たち

モジズリ、ネジバナ

 

今年の入梅は昨年に比して実に3週間も遅い。暦の上での梅雨入りは毎年6月11日。

それよりも15日も遅い。雨を必要とする方々は、ずいぶんとやきもきしたことだろう。

 

この梅雨の頃に「ネジバナ」「モジズリ」と呼ばれる花が咲く。

図鑑などでは花期は4月から10月ともあるが、私が見たのは6.7月に限られていて、

梅雨時の花という印象が強い。

 

変わった花ではある。30センチほどの高さで一本で茎立ちして、

茎の上部が螺旋状にねじれている。その、ねじれた部分に花をつける。

 

ねじれのきついのもあれば、ほとんどねじれていないのもある。左巻き・右巻きと

自由に生育しているようにも見える。一定の限られた条件の中で個性の主張だ。

そういう「すなおさん」や「きつい方」を発見するのも、面白いと言えば面白い。

花も赤みの強いのから薄いピンク色と多様であり、白花もある。

唇弁は白色。この唇弁はラン科の特質でもあり、それがあることによって

ネジバナがラン科であることがわかる。

 

◎ 風がきて 文字摺草を かけのぼる  (青柳 照葉)

◎ 雨男 ここにもゐたり 捩り花 (櫻井 博道)

◎ 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに  
                                             
(百人一首 河原左大臣)

河原の左大臣の歌にある「ネジバナ」は、この歌とは関係はない。

歌にある「しのぶもぢずり」は花ではなくて衣類のことであり、その染め方を言う。

「しのぶ」は福島県の信夫地方のこと。関係ないのだからここで引用する必然もない。

それなのに引用したのは、この花がなぜ「モジズリ」という名になったのかということが、

少しく引っかかったからである。

 

このところは珍しくどこにも出かけなかった。

いろいろとヤボ用もあったとはいえ、珍しいことだ。

おそらくは梅雨が明けるまでは、できたら、あちこち出歩かないでおとなしく

過ごすことだろう。だが、自由に、あくまでも自由にと思う。

 

ネジバナはこれまでに撮りためたものです。小さい花なので撮影は難しいです。

下に置いています。ワンドライブです。よろしかったら御覧願います。


ネジバナ・モジズリ