3月16日、金閣寺の北にある「しょうざん」まで梅を見に行きました。梅の名所
というには本数も少なく見応えもなかったのですが、庭園には北山杉などもあり、
まずまず味わいのある庭園ではないかと思います。
「しょうざん」から歩いて「上品蓮台寺」「千本閻魔堂」「千本釈迦堂」などを
再訪してから北野天満宮に行きました。天満宮は三週間ぶりでした。
梅もまだ見頃ともいえ、それなりに楽しめました。
下は私がある所に書いたものです。
北野天満宮のある辺り一帯を北野といいます。平安京大内裏の北側に位置
するので北野という地名になったとのことです。北野天満宮ができる以前は
朝廷の放牧地でもあり、また、右近の馬場があって競馬を開催していた事が
いくつかの文献からも分かります。他には、天神地祇(てんじんちぎ)を祀る
聖地でした。天神地祇とは全ての神という意味ですが、農耕神でもある雷神
も早くから信仰されていました。
天満宮ができたのは950年頃です。本格的な造営は959年、藤原師輔が神殿を
建立してからのようです。祭神は903年に大宰府で死亡した菅原道真です。
道真の霊を怨霊として、それを鎮めるために祀ったのが始まりです。
この北野天満宮は創建当初からいろいろありすぎて、私の筆力では短くまと
めあげることはできません。以下、断片的に記述します。
北野天満宮もたびたび火災に遭っています。現在の社殿は豊臣秀頼が造営した
ものが殆どといわれます。1607年の造営といわれます。
豊臣秀吉の築造した御土居が現在も境内西側に残っています。
北野天満宮(菅原道真)は早くから学問の神様として慕われていて、1204年に
後鳥羽院、定家、家隆、良経などが北野宮歌合をやっています。時代が下がっ
てからは連歌の興行がたびたびなされました。現在は全国から献詠された和歌
が10月29日に披露される(余香祭)があります。
また、芸能との関係も深く、舞楽、猿楽の興行もたびたび行われました。
出雲阿国が1603年3月に歌舞伎踊りを演じたのもこの北野天満宮なので、北野
天満宮は歌舞伎発祥の地ともいわれます。
秀吉が北野大茶会を催したのもここでした。1587年のことです。
現在、管公菅原道真の忌日にあたる2月25日に梅花祭があります。
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」
菅原道真 (拾遺和歌集1006番)