おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

洛西逍遥(2)

2009年05月27日 | 09年京都
長岡京大極殿跡・石塔寺・乙訓寺

長岡京は第50代桓武天皇によって作られた都です。桓武天皇は仏教勢力が
強くなったことや、旧弊に縛られていることを嫌って、奈良の平城京から
長岡京に遷都しました。784年のことです。
これには桓武帝の母である高野新笠の出自も関係してのものでしょう。
桓武帝の母は半島の百済からこの国に亡命してきた人の末裔です。長岡に勢力を
扶植していたようで、母方の力を頼みにもしたものでしょう。
ところが新京では様々な苦難がありました。新京を造営する監督官とも言うべき
藤原種継も島坂「今の石塔寺沿いの坂道」で暗殺されました。
まがりなりにも親政が成功した桓武ですが、しかし皇太子の安殿親王の病気、
母の高野新笠や皇后の死、疫病の流行などが続いて、桓武はまたしても遷都します。
結局、長岡京は10年間という短い期間だけの都でした。
新しい都は平安京と名付けられました。

「長岡京大極殿跡」

中山修一先生を中心とした昭和29年からの発掘調査によって、長岡京の
ほぼ全容が解明されました。大極殿跡は向日神社から東に200メートルほどの
ところにあり、現在は公園となっています。





「石塔寺」

向日神社から100メートルほど南寄り(長岡京市寄り)に石塔寺があります。
石塔寺の前の緩やかな坂を「島坂」といい、この付近で藤原種継は暗殺されました。
犯人は不明ということでしたが、皇太子の早良親王が疑われ、親王は乙訓寺に
幽閉されました。当時はまだ石塔寺はここにはありませんでした。



乙訓寺も私にはなじんでいたお寺だったと思います。ただ、光明寺や向日神社の
ように遊び場であったとはいえません。
かすかな記憶を手繰り寄せれば、乙訓寺は40年から45年前は随分と
荒れていたお寺だったと思います。この間に本堂の修理、瓦の葺き替えを
したものでしょう。ボタンで有名なお寺ですが、
当時は何もなかったはずです。
ここに幽閉された早良親王は絶食して無実を主張したようですが、結局は
淡路島に配流となります。しかし体力の衰えていた親王は山崎の港から
淡路島に護送される途中に死亡しました。毒殺説があります。
以後、長岡京では疫病の流行などがあり、次第に早良親王のたたりという
ことが言われるようになりました。
早良親王の霊を鎮めるために、朝廷は800年に「崇道天皇」の諡号を
贈りました。









洛西逍遥(1)

2009年05月27日 | 09年京都
車塚古墳・須田家住宅・向日神社

過日、自転車で拙宅の近辺を巡ってみることにしました。一応の目的地は、
車塚古墳、向日神社、乙訓寺・光明寺です。
道は、高槻、嵐山線の、この付近では通称「物集女街道」と呼ばれて
いる道です。江戸期の名称は「西国街道」。

「車塚古墳」

淳和天皇陵と長く信じられていたようですが、発掘調査、研究によって
古墳時代にこの地で勢力のあった豪族のものと比定されています。








「須田家住宅」

須田家は「松葉屋」と号し、醤油の製造販売をしていたようです。向日市競輪場の
近くにあります。1744年の建築と言われます。京都府の文化財であったと思います。
瓦も漆喰壁も新しくなって、古色蒼然とした感じは薄いですね。






向日神社
718年の創建といいますから古社です。古くから地域の方に産土神として
崇められていたものでしょう。狛犬もこの社の歴史の古さを思わせます。
平安時代から六人部(むとべ)さんが神主です。もちろん現在もそうですから、
すごいものですね。
長い参道の奥にある本殿は1422年の建築。「三間社流造」といいます。
なぜか「さざれ石」が5個置かれていました。
実は私が15歳の年に中学を卒業して就職した地は、向日神社のすぐ裏手に
ありました。だからこの神社などは20歳頃までの遊び場でした。
今回、久しぶりに訪ねてみて、やはり、なつかしいものを禁じえませんでした。













四月の花(2)

2009年05月07日 | 魅惑の花たち

続いてモミジの花二枚。
これからヘリコブター型の種ができます。非常に鮮烈な赤色になるのもあります。
その次は赤色のチューリップ。水滴のは画像を反転させています。
綿の実が風に飛んでいましたのでシャッタースピード優先で撮影。
次はシロツメクサです。虫が付いています。その下はベリーの花。
最後は花がほぼ終わったユキヤナギです。

















09年桜(14) 黄桜と八重桜

2009年05月07日 | 09年桜
季節は五月の連休も過ぎています。5日には立夏にもなりました。
だからもう桜でもないのですが、これまで撮影しているものを少し出します。
八重桜も品種名があるのでしょうが、そこまでは分りません。
黄桜と八重桜は4月16日から18日までに撮影。
花の落ちた直後のソメイヨシノは4月11日の撮影です。
かくして今年の桜も終りです。また来年ですね。

「浮遊する」

01 立ち枯れていそうな冬のはだか木の寂寥虚空に満ち充ちてある

02 氷雨打つ裸の幹に手を添える花のいとなみ指に感じて

03 虫も出る陽もさんざめくこんな日は花の知らせを待ちこがれけむ

04 桜咲く便りを受けば血が騒ぐたかが花にと自嘲しつつも

05 かねて見し花を偲びて暮らしおり待たれる花に心浮かれて

06 爛漫の春に心を預けおり酔いのまにまにおちこちの花

07 ひらひらと梢離れて舞いおれり吉野の奥のひとひらの魂

08 ひとひらに終わりつつある命の火父よあなたを思いては見む

09 我がせなに父を背負いて歩き来て共に見たしや吉野の花を

10 浮遊するただ浮遊する人と花わずかの刻を空を埋めて