おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

大阪スカイビルと京都植物園

2019年12月22日 | その他

 

191210大阪スカイビルと191221京都植物園
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12月10日。参加させていただいているカメラ同好会の撮影会で、

大阪スカイビルに連れて行っていただく。

大阪駅近くにあるスカイビルは二度目である。

前回同様に今回も夜景撮影。

ところが私は夜はおとなしく自宅に引きこもっているのが常態なので、

夜景撮影の経験値が決定的に乏しい。慣れていない。

今回も初めは「大丈夫な?」という思いは持ってはいた。

それなのに三脚も使わず、撮影後も拡大して見るという作業を怠った。

液晶画面も見えにくいほどに暗かったとはいえ、必須のライトを

持っていたのだし詭弁というもの。

パソコンに入れてから、何ということだろう・・・と思っても後の祭り。

かくして良く撮れたのはない。できるだけシャッタースピードを上げて

撮るようにはしたのだが、やはり三脚は必須だと思う。

設定もしっかりとして、リモコンを使ったりしていれば、

夜景とは言え難しいものではないはずだ。

初めの画像が決定的に良くない。次回にはうまく撮れるだろうと思う。

12月21日には今年最後にと思って冬枯れの植物園に行く。

落葉樹はあらかた葉を落として裸樹となっている。見通しがとても良くて、

植物園が広く見える。

今年は15回か16回目の植物園である。花が、殊に小さな花が好きだということもあるが、

10年ほど前に作った花のホームページに掲載するという目的もある。

生態圏から一通り見て回って、温室にも入る。金花茶が咲いている。

でも撮りにくい。

年が改まってからは冬から春にかけての花たちが開く。

ローバイは冬の花なのだが、紅梅、スイセン、セツブンソウなどが見られる

はずだから、年明け後は1月末頃に行こうかとも思う。

画像はスノードロップ・ローバイ・ヒヨドリジョウゴ・エレガンスミユキという。

両日の画像は上に置いています。よろしかったら御覧ください。

 

 

 


2019年紅葉総集編

2019年12月19日 | その他

 

2019年 紅葉総集編

   上をクリックしてください。

 

2019年の紅葉が終わってしまった。

桜の時と同様に少しの虚脱感を感じている。

時は移り、紅葉が終わるのも自然の摂理というもの。

それはそれで仕方ない。

来年もまた見られることができれば幸甚というものである。

 

昨年は他府県によく行った。場所名を挙げてみる。

高野山・浄瑠璃寺・岩船寺・海住山寺・箕面・勝尾寺・赤目の瀧

今年はというと奈良の信貴山、滋賀の石山寺と日吉大社のみである。

 

今年は他府県に出かけることは少なかったのだが、その分、京都の紅葉所に

専念したかというと、そうでもない。

行こうと思いながら行かなかった所も多い。

嵐山地区の宝筐院・宝厳院・二尊院・常寂光寺などや、山科の毘沙門堂も

見逃してしまった。

紅葉のシーズンは限られていて、京都市内であっても1シーズンにすべての

所に行けるわけではない。仕方ないので、来年、機会を作りたい。

今年の画像は上に置いています。

よろしければ、御覧願います。

 

 


190924奈良二上山ほか

2019年10月03日 | その他

190924 二上山
190924 京都駅
190925 洛西ニュウタウン

遊びに行く(卓球や写真撮影)時間は何とか優先してやりくりしていると

いうのに、ブログアップは、少しだけ忙しいことを言い訳にして、

遅くなりがちです。ちゃんとこなせないままです。困ったことです。

今回もアンソロジーみたいな感じとでもいうのか、3つ合同です。

その分、このコメントも端折って端折って短くと言うことになります。

 

9月24日(火)

グループ例会参加後、13時頃に自宅を出て奈良の二上山の麓に行ってみました。

一日違いかもしれないけど、そして天気が良くなくて太陽は見えないだろうという

思いも強かったのですが、二上山の両岳の鞍部に夕日の沈む「鞍落ち」を

見ようと思って行ってきました。半年ぶりの二上山でした。

鞍部に夕日が沈むのは太陽の運行の関係で一年に二日くらい。鞍部の中心から

少しずれるのを計算に入れても一年に6日ほどしかありません。

その6日のうちに雨が降ったり、晴れていても厚い雲に覆われたりしていて、

撮影できる機会は稀です。素晴らしい夕日を見るのは何年も通わなくてはなりません。

案の定、空は雨雲に覆われどんよりと曇っています。この日は、太陽は顔を

見せることはありませんでした。これまでに10数回行って、夕陽が見られたことは

三分の一と無いはずです。

これでもう来年の三月まで待たなくてはなりません。仕方ありません。

行ったら行ったで、たいていは歩き回るのですが、よく行く「石光寺」は

自由拝観でしたが区域がごくごく小さく限られていて、見るべき植物が

ありませんでした。

ここも京都の法金剛院と同様に「関西花の寺」のネットワークに参加して

いる一宇です。私が30歳代に京都の自宅から自転車で訪ねたことが、

一番初めの拝観でした。植栽されている花たちは、まずまず気に入っています。

下の花は「ワタ」です。

奈良からの帰りに京都駅で下車。西階段で長秒撮影の練習をと思ったのですが、

納得のいく撮影はできませんでした。カメラは二台とも30秒迄、バルブ撮影も

30秒迄なので、そのことにも不満がありましたが、どうにもなりません。

せめて1分は欲しいです。

9月25日(水)

洛西と言うよりは西京区。何年前だったか50羽ほどが群舞していた

某所に行ったのですが、はじめはアサギマダラは全く姿がなかったのに、

そのうちに3羽が飛来して、何とか今年初めてのアサギマダラに邂逅。

撮影に成功でした。アサギマダラに出会うと、なんとなくうれしくなります。

機会あるごとに見たいものです。

今回分の画像は下にあります。

190924二上山ほか

 


空蝉 ・水の森

2019年07月28日 | その他

空蝉・水の森 

梅雨が明けて夏の盛りだ。とはいえ、旧暦では本日7月29日は旧暦6月27日。

夏の盛りと言っても夏はあと二日しかない。しあさって(明々後日)の8月1日からは

旧暦では秋になる。全く以って季節は人を待たない。

それにしても梅雨明け以来、途端に暑くなった。

 

今の時期にはセミを見かけることが多い。

拙宅の猫の額のような庭からもセミの抜け出た穴が10個ほど見つかる。

このことも毎年不思議に思う。その元となる命は地上から地中に入って長い期間を

過ごすのか、それとも地中で命が芽生えて、そのまま7年ほどを過ごすのか?

どちらにしても、そのメカニズムは不思議としか言えない。神秘的だ。


セミは地中に3年から17年ほどもいて、やっと出てきたら、旬日ほどの命と言う。

実際には種類によっては1か月ほども永らえるらしい。

地中に出てきて、まずは脱皮する。脱皮に失敗して、そのまま命絶えているのも、

何度か見たことがある。

脱皮した「抜け殻」を「空蝉」という。

いつの頃から抜け殻をも「空蝉」と呼ぶようになったのか、

残念ながら不勉強で私は知らない。

でも「空蝉」の言葉そのものは、万葉集にもあるので、古いことは古い。

 

 うつせみの代は常なしと知るものを 秋風寒み思ひつるかも
                                              (大友家持 万葉集465番)

 うつそみの人なる吾や明日よりは 二上山を弟背とわが見む
                                               (大来皇女 万葉集165番)


源氏物語にも「空蝉」の一章がある。

 空蝉の身をかへてける木の下に 猶人がらのなつかしきかな
                                                  (源氏物語 空蝉)

万葉集時代の歌は「現身」として、今、実際に生きている身として「うつしみ・うつせみ」

の言葉が用いられている。すべての「うつしみ・うつせみ」歌が

そうであるのかは、まだ調べてはいないのだが、「空蝉」がセミの抜け殻をも

指すようになったのは、もっと後の世になってからだろう。

 

 むなしくてやみぬべきかな空蝉の此身からにて思ふなげきは
                (西行 山家集1337番)

源氏物語や西行歌にある「うつせみ」は万葉集の二首とは

微妙にニュアンスが異なっていることが分かる。

「空蝉」の言葉の用い方の過渡期であったのかもしれない。

 

数年前にセミの脱皮の光景を撮影したことがある。ゆっくりと地中から這い出て、

脱皮場所を探してやっとたどり着き、長い時間をかけて脱皮する。

その後もしばらくはほとんど動かない。脱皮後にすぐに飛び立つわけではない。

この一連の出来事を見ていると、セミとは言え命の持つ敬虔さみたいなものが、

私の中で沸き上がり、強く迫ってきたことを覚えている。

私が詠んだ短歌らしきものも載せます。

 

1 去年の日にしがみつきしか空蝉は雪に染まりて夏留めおり

2 脱け出づるうつつの命より長しせなの春の日空蝉寒し

3 空蝉は蝉の形を保ちおり人は位牌の型になるらむ

4 おいかけておいかけて行く夢のよるべなさされども空蝉悲し

5 空を飛ぶ夢のあわいに生きたまえ飛べない蝉よ命なりけり

6 現身も空蝉も在ること悲し三月の空青くて深き

7 あめ色に降り積む時を重ね着て空蝉生きる春の木未に

「水の森」は滋賀県草津市烏丸半島にある水生植物園である。私は初めて訪れてみた。

こじんまりしているけど、琵琶湖に面した良い公園であると思う。

詳述しないで画像に語らせよう。

空蝉画像

水の森画像

画像は上にあります。ワンドライブに置いています。花名を入れていませんが、御覧願います。

 


190611・12 堺市

2019年06月18日 | その他

190611・12 堺市

 

過日、11日と12日に堺市に行ってきた。

11日はグループ撮影会で「白鷺公園」と「大仙公園」。

撮影会が終了してからは、同行の皆さんと別れて一人で「仁徳天皇陵」と

「いたすけ古墳」、そして旧堺港に行ってみた。

その後は旧堺港から戻って予約していたホテルに投宿。

一人で行動してからは6.7キロは歩いたことになる。

 

12日は南海電鉄堺東駅近くで電動自転車を借りて、再び旧堺港。

以後は与謝野晶子と千利休の「利晶の杜」。それから「南宗寺」。

15時過ぎには自転車を返却して帰京。18時からは予定が入っていたから早めに帰る。


11日(火)

阪急電車桂駅を8時半近くに出発して白鷺駅着は10時半前後だっただろう。

時間を克明に記録していないので詳述できない。

白鷺駅から歩いてすぐの公園に入る。この公園は私は初めてである。

ハナシヨウブがまずまず見ごろでもある。良い写真が撮れたかと言うと、

いつものごとくに?である。漫然といい加減に撮影しているから、いつまで

たっても上達しない。

白鷺公園から堺東駅まで戻ってから大仙公園。この公園にはこれまで2度は入っている。

前に来てから10年ほどは間があくことになり、妙に懐かしい。

大仙公園内の「日本庭園」で撮影。ここには私は入ったことがなかったので新鮮な感じもする。

しつらえられた風景、造園の妙はさすがだともいえる。良い庭園の部類だろう。

ひとしきり撮影してから15時の半ば頃だったか帰るということになり、以後は皆さんと

別れて私一人で行動する。

まずは仁徳天皇陵に向かう。ここも今回で4度目のはずである。一度は、この陵墓を

一周したこともある。栴檀の実が印象に残っているので秋だったのだろう。

この陵墓は厳密には仁徳天皇の陵墓と確定しているわけではないのだが、

一応は仁徳天皇陵とされている。今般、世界遺産になると確実視されてもいる。

11日には陵の前から見ただけで、百舌鳥駅を過ぎて目的の「いたすけ古墳」に向かう。

一周できるように遊歩道があるので進む。

この古墳にも、これまでに少なくても3度は来ているはずだ。

この陵墓を業者が開発するためにコンクリートの橋を渡していたのだが、

開発反対運動が起きて、ために開発は断念され、橋も途中で撤去されている、という。

開発断念に追い込んだのは、その運動に携わった方々の尽力があったためであり、

私もその運動をひそかに称えたい。

それで壕の中ほどに残っている橋の先端まで、時々は自生のタヌキが出没すると

いう話を聞いてはいたのだが、これまでに見たのは一度だけである。

最近はめったに姿を見ることはないとかの話。なんでも同属婚の弊害により

生息数を減らしてもいるらしい。下は2010年の画像。



いたすけ古墳から大仙公園の前を通って旧堺港まで歩く。

すでに薄暗くなってきたので、あまり見ないでホテルに向かう。

 

12日(水)

ホテルで朝食を摂ってから堺東駅近くのサイクルセンターに向かう。ところが距離感がなくて、

思わぬ遠回りをして時間を食ってしまう。しかも電動自転車はどこにもあるわけではなくて、

電動自転車の置いてあるサイクルセンターにと移動。

なんとか借りて、昨日にあまり見なかった旧堺港に向かう。

現在は埋め立てがすごくて昔日を想像しにくいのだが、堺の町が自治都市として

栄えていた、かつての時代背景を思い出しながら、ゆっくりと自転車を走らせる。

潮の匂いが、懐かしい。大浜公園も一周してみる。

以後は「利晶の杜」に入る。数年前にできた施設だろう。与謝野晶子と千利休の

二人の記念館みたいなもの。晶子に接すれば、いつも女傑だと感じる。たいした女性だ。

そこですでに昼を回っている。近くのコンビニでパンとお茶を買って近くの公園で昼食。

それから南宗寺まで。南宗寺は二度目である。

以前に大鳥神社・菅原神社・開口神社・百舌鳥八幡宮・家原寺・金岡神社・ザビエル公園・

行基の土塔などめぼしい名所は自転車で走り回っている。

今回は南宗寺しか行けそうにもないが仕方ないとも思う。

南宗寺ではボランティアのガイドの方が説明しつつ案内してくれる。ありがたい。

でも記憶は風化するものとはいえ、以前に見た南宗寺を克明に覚えてはいない。

まあそれも仕方ない。行けば行ったでまた記憶も新たにできるので、良いことだと思う。

南宗寺を出たのが14時半頃。以後はサイクルセンターに自転車を返却。

それでこの日の私の堺は終わった。あまり行けなかったが、まずまずの小旅行になったと思う。

この両日の画像は下にあります。御覧願います。

190611.12 堺

 

 

 

 

 

 


190609明石海峡公園神戸

2019年06月10日 | その他

190609明石海峡公園神戸

 

6月9日、神戸市にある明石海峡公園神戸に行ってきた。

明石海峡公園は淡路島北端にもあり2017年に淡路島の絵島を見るついでに行ってきた。

淡路島の公園は園芸種も多くて、多彩な花たちが咲き競うさまは壮観だった。

それに比して、神戸の方の公園は今回初めて行ったのだが、徹底して里山と

いうことをコンセプトにしている公園だった。ゆえに園芸種はほとんど植栽してない。

その姿勢は、すがすがしいほどに立派だとも思う。

道路は仕方ないとしても施設も現在風なものではなくて、古風な造りであり、

日本の里山の原風景を見る思いでもあった。

敷地は広いのだが、ほぼ自然のままに任せているという具合だ。

園内説明によると猪やマムシなども生息しているとのこと。さもあらん。

 

ササユリも見ごろのが数本あった。これでササユリは植物園と和知山野草園と今回で

3か所で見たということになる。これで今年は見納めになるだろう。

これからは他のユリたちが順次開花することになる。

この公園からは淡路島や明石海峡大橋も見えるのだが、視力の良くない私では、

すっきりとした像としては見えない。おそらくは直線距離で5.6キロはあるはずだ。

自然のままの公園で、売店めいた施設もないのだけど、またいつか行ければと思う。

淡路島の公園も前回は少ししか回れなかったので、また行ければと思っている。

当日の画像は下にあります。よろしければ御覧願います。

190609明石海峡公園神戸



 


190522生地・大歩危ほか

2019年05月28日 | その他

190522生地・大歩危ほか

 

予想だにしていなかった展開で急遽、生地の愛媛県に帰省することにした。

西宇和・三崎半島にある寒村が我が生地である。

昭和30年過ぎから過疎化が始まり、現在の人口数は当時の5分の1程度と聞く。

現在人口は300人程度ではなかろうか?

戦後すぐの日本の人口が7000万人程度だったと思う。その人数が急激に膨張する

過程で、徐々に人口が減少した地域もあるということだが、私の生地もその一つだ。

 

それはそれとして、7か月ぶりの帰省。係累もすでに一人もいなくなり、帰省する

頻度も少なくなった。それにも関わらず、やはり生地というものは、私そのものが

象嵌されている場所でもあり、生地のどこを見たり歩いたりしても、過去の私が

現在の私にまつわりついてくるような錯覚さえ覚える。良い悪いなどでは語れない場所だ。

ごくごく短い時間の滞在。すでに住むべき家とてないのが現実であり、いろんな思いを

残しながら短時間で生地を後にする。花はママコノシリヌグイ。群生していた。

 

次に向かったのは徳島県三好市大歩危。渓谷美で有名な所である。

若い頃から一度は行きたかったが、不思議とこれまでに行く機会がなかった。

大歩危駅の少し手前の善通寺は歩き回ったこともあり、金毘羅宮の奥宮までも登って

いるので、その時に行けば良かったという思いを抱えていた。

広範囲にわたっての観光は歩いたりバスでは無理なので、祖谷渓タクシーさんの

お世話になる。これが良かった。短時間のうちに名所をほぼ見て回った。

それにしても、現在の秘境とも言うらしい厳しい環境の中で生活してきて、

長い歴史を紡いできた人々に対しては、ただそれだけで崇敬の念を覚えたりする。

24日の昼、大歩危に別れを告げて、JRを乗り継いで京都府の北部。

久しぶりに係累と逢って、久闊を叙しあう。それにしても老いたものだと、互いを思う。

この短い旅の画像は下にあります。良い写真は撮れていないのですが、よろしければどうぞ。

私は人様のお顔の写っている写真は出さない主義ですから、人物画像は出していません。

190522生地・大歩危ほか

 


190428奈良

2019年05月05日 | その他

190428奈良

 

今年5回目の奈良である。内訳は若草山の山焼き・お水取り・当麻方面2度。

そして今回である。

今回は近鉄奈良駅から猿沢の池。奈良町を少し散策して浮御堂・飛飛野。

八重桜もほぼ終わっている。もう新緑の季節と言ってよい。

今回の主目的は万葉植物園のフジ。この植物園にも何回となく入っているのだが、

不思議とフジの盛りの頃に入ったことがない。

なかなか良い時に入ったと思う。もう少し遅ければ万葉集に詠まれた花たちも、

多くの種類が咲くだろうと思う。でもそれでは藤が見られない。痛しかゆしである。

写真は当日に撮影したもの。

ワンドライブには下に置いています。よろしければ御覧願います。

190428奈良



190322・24奈良二上山

2019年03月26日 | その他

190322・24奈良二上山

 

昨年9月の彼岸の頃以来、3/22日と24日に奈良二上山山麓に行ってきた。

目的は二上山の雄岳と雌岳の鞍部に入る夕陽を撮影するためである。

まず3/22日に行って様子を見る。様子というのは夕陽が二上山の雄岳と雌岳の

鞍部に入るかどうかということである。それを「鞍落ち」というらしい。

鞍部に入るのは年間に二日。ちょうど真ん中ではなくて少しずれているのも

加えたとしても各2日で計6日。

これまでに合計して10数度は二上山の麓近くと、もう一か所、三輪の大神神社の

摂社である檜原神社近くの撮影スポットに何度か行ってきた。

しかし、ことごとく女神は微笑まない。多くは太陽が顔を出さなかったり、

出しても厚い雲がかかっていたりして、まん丸い太陽が鞍部に入るのを

見ることができなかった。

3月22日はわずか1分程度で太陽は雲の中に入って行方不明。

でもおおよその感じで翌日の23日か、もしくは24日に入ると確信。

23日は天気も悪く雲も多そうなので断念して、24日に再度チャレンジ。

結果的にはそれが良かった。太陽の位置はほんの少しずれてはいたが、

まずは長年の悲願?が叶えられた思いである。


昔の月刊誌のこの写真を見て、私もいつか撮影してみたいと思った。

爾来、30年を超える。数年前までは思いを持ちながらも行動を起こせなかったが、

時間もあり、かつ、撮影できるだけの装備も整った。

それから3年ほどはチャレンジしているということになる。


私にとって二上山は霊峰ともいえる。この山にこれまでに二度登った。

山頂には大津皇子の墓所もある。歴史的なことは割愛するが、

大津の姉の「大伯皇女」の歌を一首。

  うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟背(いろせ)と吾が見む
                                                (大伯皇女  
万葉集巻二 165番)

下の写真は何度も行っている石光寺と境内の植物と、石光寺周辺で22日に撮影。

下は24日に撮影。土筆がたくさん生えていて、土筆を摘んでいる人もいた。

両日の写真は下に置いています。御覧願います。

1903.22.24奈良二上山


 

 


190308 奈良 石光寺と二月堂

2019年03月10日 | その他

190308 奈良 石光寺と二月堂

天気が良いという情報を得て、春まだ浅い8日に奈良に行く。
今年二度目の奈良行きである。

初めに二上山のふもと近くにある石光寺。電車の待ち時間などが多い場合は、
自宅から3時間ほどを要するので、時間は結構かかる。

このお寺をはじめて訪ねたのは、もう35年ほど前にもなる。
京都の拙宅からの自転車による奈良一周の途次に立ち寄ったもの。
それだけに奈良では愛着のあるお寺だともいえる。
広いとは言えない境内には多くの花が植栽されていて、目を楽しませてくれる。
さすがに「花の寺」である。
10日ほど後の彼岸の頃に、また行く予定にもしている。土筆と花桃以外は石光寺での撮影。

石光寺を辞してから、急に逢うことになったKさんと当麻寺門前で待ち合わせて、
近くの喫茶店で1時間半ほどを過ごす。
長く教職にあったK氏は退職してからも歴史的な会館の要職にも就き、
ことに河内地方一円の歴史についての造詣が深い。私も彼の薫陶を受けている一人である。

K氏と別れてからは奈良に向かう。片岡梅林に立ち寄って梅を見る。咲きそろっている。



次には「万葉植物園」に行ったのだが、時刻はすでに4時半を過ぎていて閉園したばかり。
仕方がないので東大寺大仏殿から二月堂。5時になるかならないかという時刻でも、
二月堂の付近には人が集まっている。私も二月堂舞台下の広場に入り込んで19時すぐに
挙行される「お松明」を待つ。寒い。何もしないで、ただ待つしかないのは、ちょっと辛い。

17時10分頃に付近のライトが消されて、火を灯された松明が登楼を上がっていく。
そして二月堂の舞台の上で松明をくるくると回したりしながら、最後は舞台の
端まで走って行き、終わる。ちょっとした迫力ではある。



なんでも火の粉を浴びたらご利益があるとかいうらしい。私はというと撮影のために
程よい距離が必要なのだが、人が多くて場所の移動はほぼ無理である。
それでなくても目の前にある「良弁杉」が舞台の半分しか見えないようにしている。
撮影場所としてはとても悪い。
合計8本か10本ほどの松明が順番に舞台を駆け抜けたことになる。その間20分ほど。
12日の修二会(お水取り)の日には松明の数も多く、それらが一本ずつではなくて、
10本以上が同時に舞台の上で勢ぞろいするようだ。さぞかし壮観だろう。

動画も撮影してワンドライブに出したのですが、なぜか再生できない。
MPGという一般的な拡張子なのに苦慮しています。動画は初めてのアップだからわからないのです。
どうしたら再生できるのか少し研究してから、大丈夫なら、お知らせします。
画像は下に置いています。よろしければ御覧願います。

190308 奈良 石光寺と二月堂