おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

「さびしさに・・・」歌について

2017年02月22日 | 歌稿


「さびしさに・・・」歌について


西行法師の山家集に下の歌が採録されています。(出典は岩波文庫)

 「さびしさに堪へたる人の又もあれないほりならべん冬の山ざと」
      (岩波文庫山家集冬歌103P・新潮山家集141P503番・
       西行上人集・新古今集・西行物語)

新潮山家集の歌番号は「私家集大成」の歌番号に拠っています。

この歌を現在的に漢字を用いて書き変えてみます。

 「寂しさに堪えたる人の又もあれな庵並べん冬の山里」

 さびしさに(初句・一句)
 堪へたる人の(二句)
 またもあれな(三句) 「以上三句までが上句」

 いほりならべん(四句)
 冬の山さと(結句・五句)「四句と結句で下句」

平安時代末期を生きた西行の歌ですが現在の私たちにも労せずして
鑑賞できる歌です。歌の調べなり言葉が現在との長い時代の隔たりを
感じさせないほどに分かりやすい形で詠まれています。言葉も平易
であり、何の補足説明も要しないほどです。

それでもあえて言えば字余りになっている三句の「またもあれな」が
説明が必要かもしれません。

また……また(又・亦・復=副詞、接続詞)
    ここでは「再び、他に、もう一度、同じように」という
    意味合いの《副詞》として用いられています。

ーも……も(接続助詞、係助詞、終助詞)
    副詞「また」に付いた係助詞。意味を強める作用をします。 
     
あれ……あれ(助動詞。ラ行変括活用「あり」の已然形。)
    事物や事柄がある空間・時間の中に有ること・在ることを
    言います。

ーな……な(終助詞)
    (・・・てほしい)という自らの願望を表します。  

「またもあれな」で、(他にも誰かいて欲しい)という意味となります。

以上のように「またもあれな」は「また」「も」「あれ」「な」の
4種の言葉の複合語です。
こうして「又もあれな」の言葉から一首全体をみても、寂しさに堪えた
生活をしている人がいて、それは作者自身のことだろうと解釈できます。
寂しいという自覚を持つ作者が、同じような生活をしている人がいれば
隣同士になって住んでみたいなーという願望の強い歌だと言えます。

意訳を下に記述します

(和歌文学大系21から抜粋)

「私の山家も冬になるとあまりにも寂しいから、このような寂しさに
我慢できている人がもう一人いたらいいな。庵を並べて住んでみたい。」

(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「この閑居の寂しさに堪えている人が他にもあってほしいものだ。そう
したらこの冬の寂しい山里に庵を並べて住もうものを。」

(西行山家集全注解から抜粋)

「仏道に入って山里に世をのがれ住み、山里のさびしさに堪え得る人が、
私のほかにもう一人あればよいなあ、そうしたならばその人と一緒に
この冬の山里に庵をならべて住もうものを。」

(安田章夫氏「西行」から抜粋)

「前略。西行は自らを『さびしさに堪えたる人』であるとしている。
『さびしさ』を深く感じさせる『冬の山里』のなかで、彼は独り、
「さびしさに堪え』ているのである。そして、そういう自分と同じ
ような人が他にもおればいいのにと望んでいる。もしおれば庵を
並べて共に堪えようというのである。その激しい願望は「も」「な」
とう感動の意味を表す助詞を二つも含み、ふくらみを持ちつつ強く
切れている第三句の表現によく出ている。そして、そういう第三句を
受けて、第四句でも切れ、結句は体言止めとなっている一首全体の
調べが、その内容にふさわしいうねりとおちつきとを有するものと
なっている」

(西行物語)

「まず剃髪染衣の形とならば、戒儀を旨とし、欲を捨て愛を離るべきに
なほ妻子を帯し、三毒五欲をほしいままにし、五戒十善をも保たず。
ここに無常の殺鬼、貴賤をえらばず、別離の魔業、老少を論ぜぬ習ひ
なれば、事と思ひと違ひ、楽しみと苦しみと共なり。
さればこの時、恩愛の絆を切り、無為の家に住み、俗塵を捨てて、道門
に入る事、うれしくおぼえて、西山の辺に柴の庵を結びて住み侍りけり。」

『さびしさに堪へたる人の又もあれないほりならべん冬の山ざと』

〇西行物語は出家の時の歌としています。もちろん創作です。

次に「あれな」の西行の用例歌を挙げて、この稿を終えます。

01 捨てていにし憂世に月のすまであれなさらば心のとまらざらまし
      (岩波文庫山家集77P秋歌・新潮山家集405番・
                 西行上人集・玉葉集)

02 さびしさに堪へたる人の又もあれないほりならべん冬の山ざと
      (岩波文庫山家集冬歌103P・新潮山家集141P503番・
            西行上人集・新古今集・西行物語)
 
03 松がねの岩田の岸の夕すずみ君があれなとおもほゆるかな
      (岩波文庫山家集羇旅歌119P・新潮山家集1077番・
        西行上人集・山家心中集・玉葉集・夫き抄)

04 我が袖の涙かかるとぬれであれなうらやましきは池のをし鳥
      (岩波文庫山家集恋歌148P・新潮山家集608番)

05 あはれとて人の心のなさけあれな數ならぬにはよらぬなさけを
      (岩波文庫山家集恋歌158P・新潮山家集1276番・
        西行上人集追而加書・新古今集・西行物語)

06 あふと見しその夜の夢のさめであれな長き眠りはうかるべけれど
      (岩波文庫山家集恋歌164P・新潮山家集1350番・
       西行上人集・山家心中集・宮河歌合・千載集)

07 夜の鶴の都のうちを出でであれなこのおもひにはまどはざらまし
          (岩波文庫山家集雑185P・西行上人集)

画像は2005年4月2日撮影の西行庵です。



白き駿馬に

2017年02月21日 | 歌稿

白き駿馬に         


新玉を出でし月日も奔り行くものみなすべて目まぐるしくも

幾千の眠れぬ夜をやりすごしはるばる来つる古稀という道

又も来る眠れぬ夜のつれづれに旅立つ意識恣意の国へと

覚醒と反覚醒のはざまにてさ迷いながらことだま探す

薄明の靄の中なる言霊は姿を変えて白き駿馬に

あるいはと吹雪く未明の道の辺に邂逅願う我が優駿に

騎乗して遠駆けさらに思いせずただただ逢瀬望むばかりの

まぼろしは幻しのまま逢えずして無明の闇に駆け下りて往く

逢いたしと募る輪廻のかざぐるま眠りの中の深い漆黒

あの人もまたあの人も消えて行く地平はいつか霞がつつむ

捨てて来しもの

2016年09月22日 | 歌稿


捨てて来しもの                    

次々と捨てていくもの気にもせずいつしか馬齢重ねて来たり

古来稀遠くまで来た道すがらなくしたものの重さに気付く

あの道やこの道曲がる曲がり角定めのままに捨て去る荷物

父も逝き母も逝きしてふるさとも立つ白波の彼方に消えて

細い道追われてたどり永らえて矜持という名の癖をため込む

累々と後ろに残る残骸をまた見つめては懺悔を少し

歌を詠むその言の葉も落ちて行く日々を重ねて語彙欠乏症

まずしさは語彙の浅さに比例して加齢は人の浅さに急ぐ

また来たる明日と言う日の一日を諭す鬼あり夜半に目覚めて

捨てて来て消えはてたもの充ちあふれそれでも月は空に輝く

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なんとブログアップは一か月以上、歌稿アップは3か月ぶりと
いうことになります。

それだけ活動が停滞していたということかもしれません。
歌はなかなか詠めなくて(詠もうとしなくて)アップすることも
叶いませんでした。続けて行くのはなかなか難しいものですが、
なんとか詠もうとする意欲だけは保ち続けたいものだと思います。

歌の傾向は日常性に材を採るのではなく、内省的な部分に依拠している
歌が多いために、少し意味合いはずれますがネガチィブな歌ともいえます。
それに付随するもろもろのことを思うと、こういう傾向は詠まない方が
良いと思ったりして、いつまでたっても試行錯誤の日々です。

ともあれ詠み続けていきたいものです。




梅雨のまにまに

2016年06月24日 | 歌稿




梅雨のまにまに                  


馬の背にしがみつきつつかいま見た幾多の景色遠くに消えて

あるものをあるがままには見えぬまま鏡にさらす見たふうな顔

はかなさを人に委ねて桜逝くまた咲くことを思いこがれて

桜花筏となりて流れ行く過ぎ去る時の余韻残すも

おもい川花を淀みに引き入れて散る言の葉に想い託せよ

時は今闌ける五月も置き去りに梅雨のまにまに閑居の不善

短さも長さも一期雨の降る午睡に見たし一掬の夢

覚悟せよ幾々たびか叱咤する空の高みの青の屹立

とりどりの盛りの花を見る愉楽誘われて行く桃源郷へ

夏至過ぎて夏越しも来れば祇園会の渦巻く熱気暑さに浸かる

雨はそぼ降る

2016年04月25日 | 歌稿


     雨はそぼ降る                 

こがれつつ行かずに過ぎた「かぎろひ」の丘に立ちおり時を隔てて

古都の町経巡る途上寄りたくもやむなく過ぎた四十年前

折にふれ時に触れつつ「かぎろひ」の野と人麻呂は脳裡を占めて

年降りて阿騎野の丘に来てみれば人麻呂いずこ雨はそぼ降る

千三百の星霜隔てありし日の君の姿をしばし見たしも

ひんがしにかぎろひ立たず煙る野の日中の幽暗花もしおれて

丘の上かえり見しても月はなくわずかに見える鈍色の空

吉野出で兎田の吾城の地大海人に草壁付きし列進み行く

軽皇子命の連鎖受け継いで丘に立ちおり草壁亡くも

蒼然と古色に染まり鎮座する歴史秘めおり阿騎の御社

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長くアップしませんでしたが、これから少しずつ出します。
もう桜の花でもないのですが、記録として今年の桜画像を次に出すことにします。



きさらぎあやし

2016年02月24日 | 歌稿



     きさらぎあやし              

春の前あたらしき鬼入れ替えて昏き陽の眼を惑いつつ撃つ 

また来たる春と正月如月の逸る心を捨てる新月

樹もはだか風は荒れ吹く夕まぐれ気配を見せよあやかしの者

緩慢に斬る意思一つ捧げ持つ紙魚より遅き鎖付く足

貪欲に鏡の中の深みより出づべき声を待つや今宵も

夜の街張り付く寒の間隙にタワーは妖し翠にあやし

冬眠といつわる惰眠至福なりほどなく長き眠りの無明

あるままの夕日の中の澪標弥勒の袂イカロス行けず

うるわしき二月如月仲春に衣を替えて人の傲慢

あやうさをはらんで過ぎる如月は良きも悪しきも花の聲して

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ちょっと、言葉の冒険をしてみました。自分の歌のありようを考える時、
言葉や思考の領域を広げるためにも冒険は必然です。
成功しているかどうかは別次元の問題です。

画像も少し添付します。花はホトケノザ・ハナニラ・紅梅の順です。












あらたまの朝

2016年01月31日 | 歌稿



    あらたまの朝                


日も年も替わる時刻に船出する未踏の景色尋ねる旅の

花までの長き眠りを断ち破り勇躍出でよあらたまの朝

年古りて身はとりどりの色捨てど旅路のかなた見果てぬものを

かねて見し景色の続く道すがら息吹きを探し足跡記し

納まれる鳥居の中の日輪にほむらの赫き熱もらい受け

日輪はタブーかイカロス向かう先望む高みに逸りて昇れ

係累や友もいつしか籍変えて磯辺の千鳥鳴きながら行く

ふと目覚め奥の深くのまこと知る覚悟を強いて歩み促す

凍る朝サザンカの朱狭庭にもメジロ問い来て友と呼びたし

たまさかに巡る矢車出会いおり乗りえて巡ることのうれしき


歌は常に未完みたいなものです。添削推敲を重ねたいと思いつつ、
いつもいい加減な状態で完成させたつもりになっています。

良い歌をいつかは詠みたいものです。




鬼を飼う

2015年12月21日 | 歌稿

鬼を飼う


どうにも退屈な歌しかできません。説明に終始していて、
これではダメですね。
なんとかうまく詠めるようになりたいものです。

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鬼を飼う                              

見はるかす比良の山並み雪抱くせわしく奔りひととせが行く

いつよりか深みに宿る鬼を飼い同行二人道行き永し

人の持つ知恵かはたまた我として産まれし時に彼もありしか

隙あらばまなこの前に浮き上がる鬼の手の上踊りを踊る

気が付けば互いを喰らいながらえて争い続く一筋の道

やじろべえ右往左往の道行きの危うさ覗く日々のあけくれ

飼い馴らせ飼い馴らせ折り合いつけよ過ぎ来た道は凡庸なれど

独り居の師走は寒し酒盛りの酒は丹波の「鬼ころし」呑む

思いあり眠れぬ夜のつれづれに涙流して優しい鬼に

笑うまい鬼の言葉に誘われて桜や紅葉またも見たしと

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疾く奔り

2015年11月25日 | 歌稿


疾く奔り                       

たどりきて冬の立つ日に暦買う来るひととせが我が物になる

手の上の三百六十六日を温めてまだ来ぬ月日わずかに馴れる

見えぬもの暦のうちに現れて望みの渦は生まれて消えて

疾く奔り続く齢に夢見する小雪も近し小さき春に

旅の途次かの人小松なる邑を「しをらしき」まま幻の中

那谷寺の石のきざはし登り降りかいまはせをの気配を探す

石山の石より白くなけれども浪速の風は今おもしろし

義仲の眠る隣に添い寝する一期を終えて風おさまれり

作られし伝説生きる義経は安宅の関で死せず生かされ

関に来て義経見たか漆黒の闇は安宅の海と分かたず







いざなわれ

2015年10月23日 | 歌稿


いざなわれ (2015/10)

秋の部屋陽射しは届き穏やかに記憶の国に降りて往きおり

老い進み記憶の襞をかきわけて時を戻して来し方見入る

色の濱歌のひとつにいざなわれ浦廻に探すますほの小貝

群青の色より出でし水島に赫たたえたる小貝拾いに

秋さなか富士の高嶺は雪いだく初冠雪を逸りつつ見つ

風もなく煙も立てず雪かむる富士に想いを託して過ぎる

整える容に飽きず富士を見て沁みいるところ浮島ヶ原

今昔の懸隔縫って難所なる薩埵の峠も易々として過ぐ

くらぶ山義経晶子いませども昏き道行き昏きに染まる

在ることは在るままでなく一つずつ抜け落とすこと今日は歯を抜く