190611・12 堺市
過日、11日と12日に堺市に行ってきた。
11日はグループ撮影会で「白鷺公園」と「大仙公園」。
撮影会が終了してからは、同行の皆さんと別れて一人で「仁徳天皇陵」と
「いたすけ古墳」、そして旧堺港に行ってみた。
その後は旧堺港から戻って予約していたホテルに投宿。
一人で行動してからは6.7キロは歩いたことになる。
12日は南海電鉄堺東駅近くで電動自転車を借りて、再び旧堺港。
以後は与謝野晶子と千利休の「利晶の杜」。それから「南宗寺」。
15時過ぎには自転車を返却して帰京。18時からは予定が入っていたから早めに帰る。
11日(火)
阪急電車桂駅を8時半近くに出発して白鷺駅着は10時半前後だっただろう。
時間を克明に記録していないので詳述できない。
白鷺駅から歩いてすぐの公園に入る。この公園は私は初めてである。
ハナシヨウブがまずまず見ごろでもある。良い写真が撮れたかと言うと、
いつものごとくに?である。漫然といい加減に撮影しているから、いつまで
たっても上達しない。
白鷺公園から堺東駅まで戻ってから大仙公園。この公園にはこれまで2度は入っている。
前に来てから10年ほどは間があくことになり、妙に懐かしい。
大仙公園内の「日本庭園」で撮影。ここには私は入ったことがなかったので新鮮な感じもする。
しつらえられた風景、造園の妙はさすがだともいえる。良い庭園の部類だろう。
ひとしきり撮影してから15時の半ば頃だったか帰るということになり、以後は皆さんと
別れて私一人で行動する。
まずは仁徳天皇陵に向かう。ここも今回で4度目のはずである。一度は、この陵墓を
一周したこともある。栴檀の実が印象に残っているので秋だったのだろう。
この陵墓は厳密には仁徳天皇の陵墓と確定しているわけではないのだが、
一応は仁徳天皇陵とされている。今般、世界遺産になると確実視されてもいる。
11日には陵の前から見ただけで、百舌鳥駅を過ぎて目的の「いたすけ古墳」に向かう。
一周できるように遊歩道があるので進む。
この古墳にも、これまでに少なくても3度は来ているはずだ。
この陵墓を業者が開発するためにコンクリートの橋を渡していたのだが、
開発反対運動が起きて、ために開発は断念され、橋も途中で撤去されている、という。
開発断念に追い込んだのは、その運動に携わった方々の尽力があったためであり、
私もその運動をひそかに称えたい。
それで壕の中ほどに残っている橋の先端まで、時々は自生のタヌキが出没すると
いう話を聞いてはいたのだが、これまでに見たのは一度だけである。
最近はめったに姿を見ることはないとかの話。なんでも同属婚の弊害により
生息数を減らしてもいるらしい。下は2010年の画像。
いたすけ古墳から大仙公園の前を通って旧堺港まで歩く。
すでに薄暗くなってきたので、あまり見ないでホテルに向かう。
12日(水)
ホテルで朝食を摂ってから堺東駅近くのサイクルセンターに向かう。ところが距離感がなくて、
思わぬ遠回りをして時間を食ってしまう。しかも電動自転車はどこにもあるわけではなくて、
電動自転車の置いてあるサイクルセンターにと移動。
なんとか借りて、昨日にあまり見なかった旧堺港に向かう。
現在は埋め立てがすごくて昔日を想像しにくいのだが、堺の町が自治都市として
栄えていた、かつての時代背景を思い出しながら、ゆっくりと自転車を走らせる。
潮の匂いが、懐かしい。大浜公園も一周してみる。
以後は「利晶の杜」に入る。数年前にできた施設だろう。与謝野晶子と千利休の
二人の記念館みたいなもの。晶子に接すれば、いつも女傑だと感じる。たいした女性だ。
そこですでに昼を回っている。近くのコンビニでパンとお茶を買って近くの公園で昼食。
それから南宗寺まで。南宗寺は二度目である。
以前に大鳥神社・菅原神社・開口神社・百舌鳥八幡宮・家原寺・金岡神社・ザビエル公園・
行基の土塔などめぼしい名所は自転車で走り回っている。
今回は南宗寺しか行けそうにもないが仕方ないとも思う。
南宗寺ではボランティアのガイドの方が説明しつつ案内してくれる。ありがたい。
でも記憶は風化するものとはいえ、以前に見た南宗寺を克明に覚えてはいない。
まあそれも仕方ない。行けば行ったでまた記憶も新たにできるので、良いことだと思う。
南宗寺を出たのが14時半頃。以後はサイクルセンターに自転車を返却。
それでこの日の私の堺は終わった。あまり行けなかったが、まずまずの小旅行になったと思う。
この両日の画像は下にあります。御覧願います。
190611.12 堺