180826丹生都比売神社他
思い立って26日に高野山の麓の天野の里を訪なってみた。
丹生都比売神社である。ずっと気にはなりつつ行く機会も作らず、
今回が初めての参詣である。
それにしても私の最寄り駅からは4時間ほどもかかる。結構な時間だ。
前回に九度山に行った時にこの社まで町石道を歩いて行くつもりだったのだが、
その日は途中で断念したという残念な思いを持っていた。
今回行ってみて積年の思いは叶えたのだが、神社を見、付近を少し散策するだけで、
帰路につく時間になってしまった。そういう意味では足早に通り過ぎていくだけの
単なる観光客に過ぎなかったのだが、それもやむなしである。
山家集に下の記述がある。
「 小倉をすてて高野の麓に天野と申す山に住まれけり。おなじ院の
帥の局、都の外の栖とひ申さではいかがとて、分けおはしたりける、
ありがたくなむ。帰るさに粉河へまゐられけるに、御山よりいで
あひたりけるを、しるべせよとありければ、ぐし申して粉河へ
まゐりたりける、かかるついでは今はあるまじきことなり、吹上
みんといふこと、具せられたりける人々申し出でて、吹上へおはし
けり。道より大雨風吹きて、興なくなりにけり。さりとてはとて、
吹上に行きつきたりけれども、見所なきやうにて、社にこしかき
すゑて、思ふにも似ざりけり。能因が苗代水にせきくだせとよみて
いひ傳へられたるものをと思ひて、社にかきつけける
あまくだる名を吹上の神ならば雲晴れのきて光あらはせ
(岩波文庫山家集136P羇旅歌・新潮748番)」
引用した詞書にある「天野の山」は、今回行った天野の里のある場所だ。
高野山内に住んでいた西行が帥の局などとともに粉河を経て和歌山の
吹上まで行ったという記述である。
中世文学の内の西行和歌を長年勉強している者としては、この天野の里に
行くこともごくごく自然の流れなのだろう。
もう少し涼しくなってから、高野山や粉河も訪ねてみるつもりではある。
もちろんその時は一泊する予定だ。
画像でもわかるように、由緒のある格式高い古刹なのだが、古めかしいとか神なびた印象は薄い。
それも時代の変遷が原因なのだろうが、高野山と密接に結びついた重い歴史を内包している
ことに変わりは無い。
OneDriveに、この日以前の画像も出しています。
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8月22日 洛西
8月25日 植物園・下鴨神社
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