おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

春の終焉

2017年04月17日 | 京都

桜が終わった。
瞬く間にという感じだ。まことに以って花の命は短い。
桜が咲いて初めて「春が来た」と思うのだが、花とともに春は去っていく。

佐々木信綱博士の「夏は来ぬ」の八十八夜も近い。夏は目前だ。
それなのに桜の話題でもないのだろうけど、今春の桜紀行について
少し触れてみる。

17年桜

上のOneDriveのサイトにあらかた出していますから、
興味のある方はご覧ください。

2日に宇治市植物園・宇治橋放生院・恵心院
5日に平野神社・千本釈迦堂・車折神社・嵐山
8日にインクライン・毘沙門堂
9日に桂川・円山公園・岡崎疎水・祇園白川
11日に退蔵院・法金剛院・嵐山と廻って桜行脚。
13日に植物園と半木(なからぎ)の道。
14日に西光院・松尾大社・法輪寺・桜守りの佐野さん宅・広沢の池・大覚寺・天龍寺・嵐山

以上で私の今年の春は終わった。
桜の頃は押しなべて天候が良くないのだが、例によって今年も
良くない日々であった。ことに桜の最盛期に一週間ほど青空が見えなく、
そのためもあって出かけることも少ないものだった。
やむを得ない。鬼が笑うが、来年に期するしかない。

13日と14日の画像は後日にブログアップします。まだ画像整理が
ほとんど手付かずのままです。







西光院は西行法師ゆかりの所。江戸時代に西行桜と言えばここの桜を指していました。
二枚目は法輪寺の多宝塔の桜吹雪。雪の場合もそうですが、こんな時には
フラッシュを焚くのが効果的。ただし昼の日中ではフラッシュ光はあまり届かないので、
効果は少しです。
三枚目は法輪寺の舞台から。









池の二枚は大覚寺の大沢の池。人造湖ですが月の名所としても著名。
白いのは桜の花弁。

瀧は嵐山の中之島公園から東公園に行く橋の下。
桜は祇園の桜守りの佐野さんのお宅。巨木が数本あります。
他に桜の木も多くて、毎年拝見に伺っています。





上の二枚は植物園。フタバアオイの葉は葵祭に使用されます。
もちろん画像はフタバアオイの花。

このところちよっと忙しく、次の更新は10日ほど後になります。





祇園の枝垂れ桜

2017年04月07日 | 京都


祇園の枝垂れ桜は名桜である。その姿形は優美ともいえる。
一見して、意識を奪われるだけの力がある。

現在の樹は円山公園に植樹された枝垂れ桜の二代目である。
一重の桜で、推定樹齢は80年ほど。
もうかなりの老樹で桜守りの佐野さんのご尽力がなければ、
とうに枯れているのではないかとも思う。
画像を見ても切断もし、接ぎ木もしているようにも見える。
現在は15年ほど前の優美さは損なわれて、ちょっと痛々しい。

樹が弱った原因は老齢ということもあるのだろうが、
主にカラスの害とも聞く。それとともに付近の喧騒、
ライトアップ、すぐ側での篝り火なども起因するのではなかろうか。
花のシーズンともなると人々が押し寄せて、昼も夜中も騒ぐという
日々の連続では桜であってもストレスは相当のものだろう。
付近には寺社が多いが、花の頃には人の狂態が見られる。

もともとこの地は「円山安養寺」や「八坂神社」などの土地だが、
明治の上地令によって各寺社の敷地は削られて、公園となった。
それから120年ほどになる。公園名は円山安養寺から採られている。
古くは「真葛が原」と呼ばれていて、山城の歌枕のひとつだ。

私がこの樹が桜の花をつけているのを初めて見たのは、そんなに古いことでは
ないように思う。仕事を持っている時には平日はもちろん休日も関係なく
おおむね仕事の毎日だったので、出歩くことは少なかったのだ。
とはいえ2000年までには何度も見ているはずだが、当時は写真を撮るという
習慣もなく、証拠となるものがない。

2000年を超えたあたりから写真は撮ってはいると思うが、残っているものは少ない。
不思議なほどに画像がない。それが残念だ。桜は花を付けた日数はとても少なくて、
相対的に満開の頃に見に行くこと自体が少ない。花の頃はあまりにも短い。
あるいは古いCDに入っているかも知れないのだが、調べないままである。

もし出て来るようであればアップすることにします。
少しですが「桜花紀行総合」の「京都祇園の桜」に入れています。

桜花紀行総合
























170402 宇治植物公園

2017年04月04日 | 京都


170402宇治植物公園・宇治橋放生院・恵心院

桜が咲き始めたとはいえ、満開にはまだまだ時間がかかる。
咲き始めたばかりの桜の風情も悪くはないのだが、でも満開の圧倒的な存在感、
その迫力にはかなわない。

それで春の草花とソメイヨシノや山桜のなどより他のバラ科の花が見たくて、
宇治植物公園に出向いてみた。

この植物園には年間で二度か三度は行く。特にハスの頃には必ず行っている。
今の季節、園内では梅・桃・紅シダレサクラなどのバラ科の花の多くが
ほぼ満開になっていた。
祇園の名桜といわくありげなベニシダレ桜も満開であるが、いかんせん、
老木で支えの木もたくさんあって痛々しい。

ともあれ3時間ほど居て十分に春の息吹と植物の発する声に触れあった気がする。
ひそかに期待した「カタクリ」の花は空振りに終わったが、それも仕方なし。
7年間ほども地中にあって、その歳月の意味を込めて咲くカタクリの植栽は難しいらしい。













植物公園から宇治橋放生院と恵心院。
末法思想による浄土観が日本を支配していた頃、藤原頼通によって別業として建立された
平等院にはそれほど行くこともないのだが、この恵心院には宇治に行けば寄る。
「往生要集」を著した恵心僧都源信のゆかりの寺だが、
小宇であっても典雅な気がして気に入っている。

花を見て、撮影していれば時間はとても早く過ぎて行く。
17時近くになったので恵心院を辞して帰路につく。

この日の画像は下にあります。ごらん願います。

170402宇治植物公園

桜開花

2017年04月01日 | 京都


今年もまた桜の季節になった。

古来から・・・というほどでもないのだが、桜は日本人の感性に合うのか、
ことに親しまれてきた植物であるとも言える。
確か、万葉集では桜よりは梅の歌の方が多かったと思う。
それが紫宸殿の「左近の梅」が「左近の桜」に変わった仁明天皇治世頃からか、
花と言えば桜を指す代名詞となった。その頃にはもう桜は花の王者としての
地位を獲得していたのだろう。

江戸期の「葉隠」や、本居宣長の言う散華の思想は、日本人の美意識の
一部分を抽出してもいるのだが、それが特定の主義と結びついた時、
嫌らしい感じを否めない。そういうのは桜にとっての受難だ。
ただ単純に桜を愛でれば、それで良いと思う。

私もことに高齢になってから桜と紅葉は意識の深層の一部分を占めるようになった。
私の中に桜と紅葉は抜きがたく存在していていることを、それぞれの季節に
なれば否応もなく自覚する。
それで桜や紅葉を見にしばししば出向くのだが、とはいえ仕事を持っていた頃には
それもままならない。好んで桜を見に行き、写真を撮るという行為は
10年ほど前からのことだ。

西行の山家集にある歌、

「身を分けて見ぬ梢なく尽くさばや よろずの山の花の盛りを」
                  (岩波文庫山家集31P春歌)

私もまた、この西行歌に激しく共鳴する。

桜は桜でありそれ以外の何物でもなく、もしも個人的な何物かを付託させよう
などということは滑稽以外の何物でもない。桜を自分なりに愛でたいという
ことは終生、私から抜け出ることはあり得ないが、それは私の生の充足のために
私が持ち続けて行く責務のようにも感じている。













ちょっと多いのですが「桜花紀行」としてOnedriveに出しました。
未収録の物もいくつかあり、近いうちに吉野山のも出します。
撮って出しで色味調整やトリミングなどをしていない画像も多いです。
時間の余裕のある時にご覧ください。桜以外の物も含んでいます。

「桜花紀行総合」