おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

170226淀緑地

2017年02月27日 | 京都

自宅→桂川駅→東福寺駅(京阪乗り換え)→淀駅

淀駅→京阪祇園四条駅→円山公園→阪急河原町駅→桂駅→自宅

朝の起床が10時過ぎと遅かったので少し躊躇したのだが、淀緑地に
河津桜を見に行く。自転車でとも考えなくはなかったのだが、
なにしろ老体。老骨に鞭打つよりも安全策を採る。

自宅11時発。淀緑地に着いたのは12時半近い。

肝心の桜はというと咲いてはいる。でもまだまだである。
250本あるという樹の内10本ほどしか開花していない。
昨年は2/16日で、もっと良く咲いていたのだし、今年は本当に
遅いと感じる。
梅も定点観測した多くが遅かったという印象である。
もっともこれは昨年が異常に早くて、今年は例年通りのようだ。
この淀緑地の河津桜も多くが満開になるのはまだ2週間ほど
必用ではないかと感じる。

ソメイヨシノも京都の開花予報は3/29日か30日。
昨年よりは4.5日遅い?
そのことを頭に入れて桜の追っかけの予定を立てたいが・・・・。

例によってOnedriveに入れておりますので、ご覧願います。
似たようなのばかりが多いので精選するべきでしょう。

170226淀緑地

草庵の画像は東山の「西行庵」それと「芭蕉堂」。
芭蕉堂はなんとレンタル着物店に庇を貸しています。
どうしてでしょう。?です。祈る女性などは八坂神社。













170225梅宮大社

2017年02月27日 | 京都


2/25日は官公の「梅花祭」が、ゆかりの北野天満宮で開催される。
官公はもちろん菅原道真のこと。官公が藤原時平によって大宰府に
放逐された当時の歴史も面白い。

年間を通じてみれば北野天満宮には良く行く方だが、25日は近くの
児童館で子供たちに卓球を教える?日に当たっていて、それが15時から
なので、時間は少ない。

それで11時に自宅を自転車で出て梅宮大社に行く。ここも梅の名所であり、
社地は広くはないのだが、かつ、梅の木の本数も少ないのだが毎年のように
梅の花を見に行っている。

当然のように早咲きの樹は満開。遅いのはまだまだ固い蕾。すべての樹が
いっせいに開花するわけではない。
私感だが今年はどうも梅の開花が遅いような気がする。
三月に入ってからの気温次第かもしれないが、桜も遅いような・・・

広くはないのだが結局14時まで鑑賞してから帰宅する。わりと良かったような
気もしている。

ともあれ当日の画像をOnedriveに出していますので、ご覧願います。

17/02/25梅宮大社











「さびしさに・・・」歌について

2017年02月22日 | 歌稿


「さびしさに・・・」歌について


西行法師の山家集に下の歌が採録されています。(出典は岩波文庫)

 「さびしさに堪へたる人の又もあれないほりならべん冬の山ざと」
      (岩波文庫山家集冬歌103P・新潮山家集141P503番・
       西行上人集・新古今集・西行物語)

新潮山家集の歌番号は「私家集大成」の歌番号に拠っています。

この歌を現在的に漢字を用いて書き変えてみます。

 「寂しさに堪えたる人の又もあれな庵並べん冬の山里」

 さびしさに(初句・一句)
 堪へたる人の(二句)
 またもあれな(三句) 「以上三句までが上句」

 いほりならべん(四句)
 冬の山さと(結句・五句)「四句と結句で下句」

平安時代末期を生きた西行の歌ですが現在の私たちにも労せずして
鑑賞できる歌です。歌の調べなり言葉が現在との長い時代の隔たりを
感じさせないほどに分かりやすい形で詠まれています。言葉も平易
であり、何の補足説明も要しないほどです。

それでもあえて言えば字余りになっている三句の「またもあれな」が
説明が必要かもしれません。

また……また(又・亦・復=副詞、接続詞)
    ここでは「再び、他に、もう一度、同じように」という
    意味合いの《副詞》として用いられています。

ーも……も(接続助詞、係助詞、終助詞)
    副詞「また」に付いた係助詞。意味を強める作用をします。 
     
あれ……あれ(助動詞。ラ行変括活用「あり」の已然形。)
    事物や事柄がある空間・時間の中に有ること・在ることを
    言います。

ーな……な(終助詞)
    (・・・てほしい)という自らの願望を表します。  

「またもあれな」で、(他にも誰かいて欲しい)という意味となります。

以上のように「またもあれな」は「また」「も」「あれ」「な」の
4種の言葉の複合語です。
こうして「又もあれな」の言葉から一首全体をみても、寂しさに堪えた
生活をしている人がいて、それは作者自身のことだろうと解釈できます。
寂しいという自覚を持つ作者が、同じような生活をしている人がいれば
隣同士になって住んでみたいなーという願望の強い歌だと言えます。

意訳を下に記述します

(和歌文学大系21から抜粋)

「私の山家も冬になるとあまりにも寂しいから、このような寂しさに
我慢できている人がもう一人いたらいいな。庵を並べて住んでみたい。」

(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「この閑居の寂しさに堪えている人が他にもあってほしいものだ。そう
したらこの冬の寂しい山里に庵を並べて住もうものを。」

(西行山家集全注解から抜粋)

「仏道に入って山里に世をのがれ住み、山里のさびしさに堪え得る人が、
私のほかにもう一人あればよいなあ、そうしたならばその人と一緒に
この冬の山里に庵をならべて住もうものを。」

(安田章夫氏「西行」から抜粋)

「前略。西行は自らを『さびしさに堪えたる人』であるとしている。
『さびしさ』を深く感じさせる『冬の山里』のなかで、彼は独り、
「さびしさに堪え』ているのである。そして、そういう自分と同じ
ような人が他にもおればいいのにと望んでいる。もしおれば庵を
並べて共に堪えようというのである。その激しい願望は「も」「な」
とう感動の意味を表す助詞を二つも含み、ふくらみを持ちつつ強く
切れている第三句の表現によく出ている。そして、そういう第三句を
受けて、第四句でも切れ、結句は体言止めとなっている一首全体の
調べが、その内容にふさわしいうねりとおちつきとを有するものと
なっている」

(西行物語)

「まず剃髪染衣の形とならば、戒儀を旨とし、欲を捨て愛を離るべきに
なほ妻子を帯し、三毒五欲をほしいままにし、五戒十善をも保たず。
ここに無常の殺鬼、貴賤をえらばず、別離の魔業、老少を論ぜぬ習ひ
なれば、事と思ひと違ひ、楽しみと苦しみと共なり。
さればこの時、恩愛の絆を切り、無為の家に住み、俗塵を捨てて、道門
に入る事、うれしくおぼえて、西山の辺に柴の庵を結びて住み侍りけり。」

『さびしさに堪へたる人の又もあれないほりならべん冬の山ざと』

〇西行物語は出家の時の歌としています。もちろん創作です。

次に「あれな」の西行の用例歌を挙げて、この稿を終えます。

01 捨てていにし憂世に月のすまであれなさらば心のとまらざらまし
      (岩波文庫山家集77P秋歌・新潮山家集405番・
                 西行上人集・玉葉集)

02 さびしさに堪へたる人の又もあれないほりならべん冬の山ざと
      (岩波文庫山家集冬歌103P・新潮山家集141P503番・
            西行上人集・新古今集・西行物語)
 
03 松がねの岩田の岸の夕すずみ君があれなとおもほゆるかな
      (岩波文庫山家集羇旅歌119P・新潮山家集1077番・
        西行上人集・山家心中集・玉葉集・夫き抄)

04 我が袖の涙かかるとぬれであれなうらやましきは池のをし鳥
      (岩波文庫山家集恋歌148P・新潮山家集608番)

05 あはれとて人の心のなさけあれな數ならぬにはよらぬなさけを
      (岩波文庫山家集恋歌158P・新潮山家集1276番・
        西行上人集追而加書・新古今集・西行物語)

06 あふと見しその夜の夢のさめであれな長き眠りはうかるべけれど
      (岩波文庫山家集恋歌164P・新潮山家集1350番・
       西行上人集・山家心中集・宮河歌合・千載集)

07 夜の鶴の都のうちを出でであれなこのおもひにはまどはざらまし
          (岩波文庫山家集雑185P・西行上人集)

画像は2005年4月2日撮影の西行庵です。



白き駿馬に

2017年02月21日 | 歌稿

白き駿馬に         


新玉を出でし月日も奔り行くものみなすべて目まぐるしくも

幾千の眠れぬ夜をやりすごしはるばる来つる古稀という道

又も来る眠れぬ夜のつれづれに旅立つ意識恣意の国へと

覚醒と反覚醒のはざまにてさ迷いながらことだま探す

薄明の靄の中なる言霊は姿を変えて白き駿馬に

あるいはと吹雪く未明の道の辺に邂逅願う我が優駿に

騎乗して遠駆けさらに思いせずただただ逢瀬望むばかりの

まぼろしは幻しのまま逢えずして無明の闇に駆け下りて往く

逢いたしと募る輪廻のかざぐるま眠りの中の深い漆黒

あの人もまたあの人も消えて行く地平はいつか霞がつつむ

170216植物園

2017年02月17日 | 京都


植物園で2月10日から「早春の草花展」をやっていると知っていたので、
昨日の16日に行ってきた。出発が遅くて着いたの13時ちょうど。
それほど寒くもなく、まずまずの天気であったのが良かった。

例のように初めに「生態圏」に向かう。でもまだまだ冬枯れのさなかである。
福寿草、節分草、バイカオウレンなどが見られるも、咲いている花は
極端に少ない。今の時期だから当然である。

生態圏で適当に撮影してから「草花展」に向かう。芝生広場の休憩所横の
特設展示会場。
展示されているのは春の草花がたくさんあるが、しかしほとんどが
園芸種であるのが残念。園芸種は私の興味もひかず、撮影する意欲も
あまり起きない。
それでもそこそこに撮影。
ついでに観覧温室にも入ってみる。先回撮影した花の一つに名称が特定できないのが
あり、その確認もあったのだが、すでに花は終わっていて見ることができない。
やむをえない。

「四季彩の丘」にも花は何もない。しかし梅林などをのんびりと撮影していると
時間はすぐに経つ。
適度に切り上げて植物園を後にしたのは16時40分。
次は来月の中頃にはと思う。その頃になれば春の花たちが
たくさん出迎えてくれるだろう。

昨日の画像は例によってOneDriveに出しています。
よろしければご覧願います。

170216植物園













170211城南宮の七草と伏見界隈

2017年02月12日 | 京都


JR桂川駅→京都駅→近鉄竹田駅→城南宮(以下駅まで徒歩)→宇治川派流→
JR桃山駅→桂川駅

毎年、2月11日は城南宮の「七草」の日である。これまでにも何度か
行っているのだが、ひさしぶりに「七草」に行ってみた。
今年の2月11日は旧暦1月15日。少しのズレがあるが、これは毎年月日が
変動するという旧暦のいたずらである。

城南宮の前に「安楽寿院」。白河院と鳥羽院の院政の中心地である。
ただし当時の安楽寿院と現在の安楽寿院の位置は少し違う。
だから鳥羽院崩御の時に西行が駆けつけて読経したのは現在の安楽寿院
ではない。

道かはるみゆきかなしき今宵かな限のたびとみるにつけても
                (西行・山家集)

と絶唱に近い歌を残した西行と鳥羽院の関係を改めて思う。



安楽寿院の次に城南宮。時刻は2時半。







七草かゆは1センチ四方ほどの小さな餅が一つ入っていて500円。もう長い年数、変わらない粥である。
ともかく無病息災を願う。
いたずらに年を重ねすぎて、今では春の七草も資料がないと言えない。
つまりは忘れてしまっている。忘れることは素晴らしい能力に違いないこととはいえ、
それだけ記憶力が減退していることでもあり、ちょっと悩ましい。

ついでに「神苑」に入ってみる。椿はまずまず見頃と言えるか。
枝垂れ梅は白梅が5分咲き程度。紅梅はまだまだ。

下の画像は昨年2月25日撮影。
今年もあと二週間でこんなになるので、その頃にまた行くつもりである。



城南宮を出てから歩いて宇治川派流まで。まずはヤドリギ街道を見てから長建寺。
ロウバイと椿くらいで桜は無論ない。長建寺前のシロヤブケマンソウがすでに花盛り。
小さなケマンソウでムラサキケマンソウの仲間。ムラサキケマンソウはヤブケマンソウ
とも言うらしい。

竜馬通りから大手筋に出て御香宮。白梅が一本満開。うまく撮れない。
御香宮からJR桃山駅。駅にある寒桜が二分咲き?程度になっている。



開き切ったら壮観の桜で、ご苦労なことに毎年撮影している。
JR桂川駅着。帰宅は18時半ころ。10キロ程度歩いただろうか?。
心地よい疲れを感じている。

画像は例によってOneDriveに保管しています。

170211城南宮他






170202.03節分

2017年02月04日 | 京都


本日2月4日は立春。暦の上では本日から春である。
昨日は節分。京都の多くの寺社でも節分の行事が行われる。
中には節分の日だけでなくて、2日と4日も入れて3日間かけて行う所もある。

こんな行事を見るのはもういいかなーと思いながら、今年も
出かけてみた。

2月2日

法輪寺(達磨寺)→千本えんま堂→今宮神社→大徳寺→熊野神社→

須賀神社→聖護院→平安神宮→梛神社→壬生寺

2月3日

蘆山寺→護王神社→御苑→宗像神社

このうち今宮神社、大徳寺、宗像神社は節分の行事はしない。
各寺社によってそれぞれである。

私は宗教心というのはとても希薄で、節分にしても単なる行事としてしか
見ることができない。節分も多くの宗教儀式のように土俗性に満ちた
物だが、さてこれをどのように受け止めるかということは、
人それぞれに任されているのだろう。

ともあれ撮影をしたのでこの両日の証明として出してみます。
例のようにOnedriveにリンクします。
合計6つのフォルダがあります。

2017年節分